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# シュガー・マン、急いでくれないか?
# この風景には飽きてしまった
# 青い硬貨と引き換えに
# 持って来てくれ
# 俺の夢に山ほどの色を
# 銀色の魔法の船が運ぶのは
# ジャンパー、コーク
# 甘いメリー・ジェーン
[南アフリカ ケープタウン]
(スティーブン・“シュガー”・シガーマン)
俺のあだ名はこの歌から来たんだ
軍隊に居た時、皆「シガーマン」を
「シュガーマン」と読み違えた
それであだ名が「シュガー」になってしまった
ロドリゲスの「コールド・ファクト」
というLPが出て40年経つ
南アフリカではとても有名なアルバムなんだ
歴史的な大ヒットだった
でも、おかしな事に
誰もこのアーティストについて知らない
他のロック・スターだったら
知りたい事はなんでも分かる
でもこの男に関しては何も分からない
そしたら、この男は
自殺したって言うじゃないか
観客の目の前のステージで
自分自身に火をつけて死んだと
信じられない話だ
ただの自殺じゃない
ロックの歴史の中で最も不気味な
自殺だろう
“シュガー・マンを訪ねて”
オリジナル音楽
ロドリゲス
[合衆国ミシガン州 デトロイト]
[1968年]
最初に覚えているのは
ある日マイク・シオドールが
電話して来て
「あるアーティストに一緒に会って欲しい」
(デニス・コフィー 最初のアルバム
「コールド・ファクト」共同プロデューサー)
「名前はロドリゲス
デトロイト川沿いで演奏してる」
「河岸のバーだ」
「今晩、会いに行こう
きっと気に入るよ」
覚えてるよ、その晩
車で出かけた
デトロイトの
隔離されたような地区があるんだ
デトロイト川沿いに
川から霧が上がって来てさ
肌に感じる
そこに行って、店のドアを開けた
背後には川を行き来する
貨物船の汽笛だ
まるでシャーロック・ホームズの世界だ
霧の中を歩いて店に入る
中はタバコの煙が充満してて
店に入っても霧の中だ
煙だらけでムッとした
ビールはこぼれて、ピーナツの殻も
ひどく汚かった
ストロークが聞こえた
(マイク・シオドール 最初のアルバム
「コールド・ファクト」共同プロデューサー)
ギターをストロークして、叩く
で、声が聞こえた
不思議な声だ
(コフィー)煙の中をかき分けて
向こうの隅の方に
男の影が見えるんだが顔が見えない
「どうなってんだ?」
で、もっと近寄ると
(シオドール)その男は背を向けてるんだよ
だから背中しか見えない
ヤツは隅に居て歌ってる
不思議な光景だったぜ
霧深い夜、霧笛、タバコの煙で周りが見えない
そして、あの声だ
(コフィー)だから歌詞に集中できたのかもな
だって顔が見えないんだから
ヤツと話をして
アルバムを出さなきゃ、となった
あんな歌が書けたのは
あの当時だったら
ボブ・ディランとかさ
それぐらい良い歌だった
[お前の心を磔(はりつけ)る 1970年]
# あれは猟師だったか賭博師だったか
# お前に代価を支払わせたのは
# 今じゃゆったりと構えて
# お前の負けをもてあそぶ
# 自分の渇きに苦しめられたか
# 得られはしない喜びの
# お前は物好きトムになったのか
# あるいは弱虫ジェームズになったのか
# 何かを得たとお前は言うが
# なにかユニークな物だと言うが
# 俺にはお前の憐憫が見える
# お前の頬を伝わる涙によって
あいつはこの街の
さまよえる幽霊って感じだった
たまに街角で見かける事があった
ほら、デトロイトには見捨てられ
荒れ果てた場所があるから
たまに見かけた
(ダン・ディマジオ
ザ・ブリュエリーのバーテン)
店とは全然別な場所でさ
不思議だったよ
アイツ何やってるんだ?
どうやって生活してるんだよ?
屋根張りとか建設現場で
働いてると聞いた
そうやって金を稼いでたんだと思う
アイツはさ…
これは好きだから言うんだけど
尊敬を込めて言うんだけど
俺はあいつの事を
絶対ホームレスだと思ったよ、な?
ヤツは流浪者だった
あいつは…
あいつに家があるとは思わなかったよ
シェルターを転々としてるのかと
(コフィー)
70年代のデトロイトは酷い場所だった
今でも酷いけどさ
ガラクタばかり、廃墟だらけ
この街には本当の貧困がある
そして、その街角が
ロドリゲスの居場所だった
ヤツと会って相談する時は何時でも
近所の街角で待ち合わせた
俺の家に来ることは滅多に無かった
ヤツは「あの道とこの道の角で合おう」
そこで落ち合った
マイクと俺は車を止めて外に出て
角に立って眺めていると突然
ロドリゲスがそこに居るんだ
街の流浪の詩人みたいだったよ
ほら、見た物を詩に書いて
歌にする
それはデトロイトの街角にある
本当に泥だらけの風景だった
ロドリゲスが界隈で見たもの
自分の脚で見たもの
アイツが歌にした物は
とてもとても印象的だったよ
(シオドール)
テラ・シェラマ・スタジオで録音した
ヤツが最初に歌った時なんか
「うわっ、こりゃ凄い」
ロドリゲスには、あのとき
すべての仕掛けが揃っていた
有力者、資金もあった
環境は万全だった
なぜ上手く行かなかった?
その問いは今でも頭を悩ますよ
宣伝が足りなかったのか?
演奏に不備があったのか?
政治的すぎたか?
あれだろうか? これだろうか?
オレンジ色じゃなくて
緑色にすべきだったか?
バイオリンの代わりに
オーボエを使うべきだったか?
きりが無い
でも最後にいつもこう思う
この曲を聴いたら
理解できない、絶対良いのに
俺が実際に聞いたのは1回だけだが
アルバムの中の1曲で
曲名はシュガー・マンだっけ?
(ジェローム・フェレティ レンガ大工)
「シュガー・マン」本人を知ってたよ
名前は…
フォルクスワーゲン・フランク!
近所に住んでいた
フォルクスワーゲン・フランクの
とこに行ってさ
ちょっと「シュガー」を分けてもらうのさ
分かるよな?
[シュガー・マン 1970年]
# シュガー・マン、急いでくれないか?
# この風景には飽きてしまった
# 青い硬貨と引き換えに
# 持って来てくれ
# 俺の夢に山ほどの色を
# 銀色の魔法の船が運ぶのは
# ジャンパー、コーク
# 甘いメリー・ジェーン
[合衆国カリフォルニア州 パームスプリング]
# シュガー・マン
# 偽りの友人に会った
# 埃だらけの孤独な道で
# 見つけた時には心を失う
写真があるよ
見てくれ
ロドリゲスとイギリスに行った時のだ
さて
このアルバムかな
覚えていない
これ全部、俺の写真だよ
俳優だった時の
これが俺、これはジェームス・ディーンだ
1955年
待てよ、見つけたぞ
これだと思う
ああ、これだ
ああ、なんてこった
この写真を見るのは
35年ぶりだよ
ヤツは1番思い出深いアーティストだった
(スティーブ・ローランド セカンド・アルバム
「カミング・フロム・リアリティ」プロデューサー)
沢山の有能なヤツを育てて来たけど
アイツが1番忘れられない
才能だけじゃないんだ
アイツは…
賢者というかさ、預言者だな
ただのミュージシャンを超える物があった
続けていれば成功したと思う
ロドリゲスに会った時
「こちらがスティーブ・ローランド」と紹介されて
「スティーブは君のアルバムをとても気に入ってる」
で、ロドリゲスは
「『コールド・ファクト』は気に入りましたか?」
俺は「おう、あれは本当に見事だ」
「本当に見事だ」
「このアルバムが上手く行かなかったなんて
信じられない」
「素晴らしいアルバムなのに」
で、ロドリゲスは
次のアルバムが動いてたんだ…
あの当時はカセットだな
次のアルバムのデモテープさ
「カミング・フロム・リアリティ」
俺は「わお、これは
スマッシュヒットになるぜ」って
「どれも素晴らしい歌だ」
「ちょっと… 他人の歌とは違うが
でも凄い歌だ」
「いくつかの歌はとても悲しくて」
その中の1曲がさ
何とも打ち砕かれるんだよ
1番悲しい歌だよ…
笑ってるけどさ
聴いた事も無いほど悲しい
簡単な歌なんだが
待て、今掛けるから
よし、歌詞を聴いて
# なぜなら俺は職を失ったから
# クリスマスの2週間前に
なんてこった
# 俺はドブからキリストに問いかける
# 法皇様はそれは神様とは一切関係ないと
# 雨水がシャンペンを飲み込むあいだ
# 友人のエストニア大天使が来て
# 俺を酔わせる
[理由 1971年]
# なぜなら最も甘いキスを
# 俺は味わった事が無かったから
これを聴くと本当に悲しくなる
これが最後に録音した歌だったんだ
そしてロドリゲスが録音した最後の歌だった
もっと悲しいのは
このアルバムは
1971年11月に出たんだけど
ヒットを期待してた
でも鳴かず飛ばずだった
そしてクリスマスの2週間前に
サセックスはロドリゲスを
レーベルから外したんだ
この歌の最初の歌詞に
まるで予言するように
「クリスマスの2週間前に職を失った」って
まったく、考えちゃうよ
この男は認められるべきだ
アメリカじゃ誰も
ロドリゲスを聴いた事すら無い
誰1人…
誰1人、聴こうとすらしないんだ
なぜだよ? なぜなんだ?
こんなに良い歌を書くのに
だってさ…
# なぜなら誰でも支払いは
# しなければいけないと言うから
# でも俺はもう支払い過ぎたと
# 言ってやった
# なぜなら彼女の残り香が
# 今でも頭にこだまするから
[南アフリカ ケープタウン]
# ふと思う
# 君は今まで何回だまされたのかと
# ふと思う
# 君の計画のいくつが失敗したかと
# ふと思う
# 君は何回セックスしたことがあるのかと
# そして、ふと思う
# 次は誰とするのかと
「コールド・ファクト」の最初のコピーが
どうやって南アフリカに来たのかは
良く分かっていないが
噂の1つによれば
あるアメリカ女が
ボーイフレンドを訪ねて
南アフリカにやって来た
ロドリゲスのレコードを持って
そして仲間内で
とても気に入られて
皆が欲しがったんだけど
レコードが買えない
だから皆ダビングして
テープを回した
とにかく、この地に来て
瞬く間に広まった
(スティーブン・“シュガー”・シガーマン
レコード店オーナー)
# どこまで行けたのかと
# ふと思う
# 君の友人のフリをしてるヤツについて
# ふと思う
# ふと思うのさ
高校生の時、この歌を聴いて
「君は何回セックスしたことがあるのか」だって?
(ヴィレン・モラー ミュージシャン)
南アフリカは当時、保守的だった
アパルトヘイトの最中
テレビも無かった
それほど保守的だったんだ
テレビは共産主義だからって
本当さ、信じられないだろう?
すべてが規制されてたし
すべてが検閲されてた
そんな時にこの歌を聴いた
「これ誰?」って聞いたら
「ロドリゲスだ」って
そしてロドリゲスは
反抗の象徴みたいになっていった
不思議なのは
誰もがレコードを買ったのに
みんなこの曲のレコードを
持ってたのに
大ヒットだったし、誰もが歌った
皆レコードを買った
レコードのカバーは
ヒッピーみたいなサングラスの男
でもこの男について知ってる人間はいない
謎だった
他のアーティストだったら
アメリカから情報が入る
何らかの情報がね
ゼロなんだ。誰も何も知らない。
謎だったよ。あるのは
レコードカバーの写真だけ
# お前はそこに座って
# 心は不安でいっぱい
# 見せかけの法廷は
# 確かな解決策は無いという
# 牢屋に戻って壁を眺めろと
# なぜなら、話を聞いてくれる相手も
# 電話する相手もいないから
# でもお前は俺をおせっかいだと
(シガーマン)
このアルバムは異常な人気だった
南アフリカ人にとっては
これが生活のサウンドトラックだったんだ
70年代中頃、リベラルな中産階級の
白人家庭を訪ねれば
ポピュラー音楽を聴く家だったら
レコード棚を探せば必ず
ビートルズの「アビイ・ロード」
サイモンとガーファンクルの
「明日に架ける橋」
そして必ず
ロドリゲスの「コールド・ファクト」があった
我々にとって時代を超えた
超有名アルバムの1つだ
そこにあったメッセージは
「反体制たれ」
歌の1つは
「反体制ブルース」だった
「反体制」なんて言葉知らなかったよ
ロドリゲスの歌で初めて知った
この社会に対して
異議を唱えても良いんだと
社会に対して怒っても良いんだって
なぜならば我々の社会は
アパルトヘイトの維持の為なら
何でもありだった
(クレイグ・バーソロミュー=ストリーダム
音楽ジャーナリスト)
結局、崩れたけどね
このアルバムの中には何故か
抑圧された我々を解放するような
歌詞が含まれていたんだ
どんな革命にだって賛歌が必要だ
南アフリカでは
「コールド・ファクト」がそれだった
市民に精神を解放する許しを与え
別の考え方が出来るようになった
[体制のブルース 1970年]
# 市長は犯罪率を隠し
# 女性議員は仕事をしない
# 民衆は激怒するが
# 投票日の事は忘れている
# このシステムはすぐに崩れる
# 怒れる若い暴徒によって
# それこそが動かぬ
# コールド・ファクト<冷徹な事実>だ
(シガーマン)
南アフリカのレコード会社が
ロドリゲスを調査しなかったのは
不思議に思うかもしれない
でも実際は、あの時代は
ここはアパルトヘイトの真っ最中で
南アフリカは世界中の国から
制裁を受けていた
南アフリカのミュージシャンは
外国に行けなかったし
外国人も南アフリカでは
演奏できなかった
南アフリカと世界は
交流のない状態だったんだ
# 頭痛と共に
# 今朝は目覚めた
# ベッドから跳ね起き
# 服を身に着け
# 窓を開けてニュースを聞けば
# 聞こえてくるのは体制のブルースばかり
(シガーマン)世界中の国がアパルトヘイトに
反対していた
でも我々は知らなかったんだ
政府が報道を統制していたから
国民の大部分が置き去りにされ
経済活動すら許されなかった
これはドイツのナチ政府で起きた事だ
ナチと同じ事をしたんだよ
もし新聞がそれを報道すれば
逮捕されただろう
おかげで南アフリカは
世界の村八分になれたのさ
文化もスポーツもボイコットされた
隔離された社会だったんだ
孤立してた
誰だってアパルトヘイトは
おかしいと思う
でも白人として
あまり出来る事は無かった
政府はとても強硬だったからね
ほとんど軍事政権だった
アパルトヘイト反対を口にすれば
逮捕されるかも
だから苦しんだ白人も多かったけど
大部分は知らんぷりしてた
見張られてるし、スパイもいる
そりゃ恐怖だし、皆、怖がってた
でもアフリカーン(オランダ系白人)の中から
ミュージシャンや
ソングライターが出て来て
そいつらがロドリゲスを聞いた時には
まるで自分たちの為の歌かと思って
聞こえたんだ
「抜け道があるぞ」って
「音楽が書ける
比喩を使えば良いんだ」
「歌も演奏も出来る」
そしてアフリカーンの中から初めて
アパルトヘイトへの抗議が生まれたんだ
若いアフリカーンばかりで
皆誓って言うよ、
ロドリゲスの影響を受けたって
クイス・コンベイス、ヴィレン・モラー
晩年のヨハネス・ケアコロール
これらアフリカーン音楽革命の
歌聖とされる奴らが
皆言うよ
「ロドリゲスこそ我がヒーローだ」って
(モラー)
「『鳥の自由』運動」と呼ぶんだ
アフリカーンの連中が
アパルトヘイト反対を歌った
全員、ロドリゲスを聴いていた
もの凄い影響だった
他のやり方があるって教えてくれた
体制から与えられたもの全てが
奴らの物じゃないぞって
# 電源を切れ、電源を切れ
(モラー)
1番のヒットは「電源を切れ」って曲で
ボタ大統領の時代だった
悪人のボスでさ、テレビに出ると
こんな風にしゃべるんだ
で、この歌は「電源を切れ」って
テレビを消すように言うんだ
[検閲歴史資料館
南アフリカ ヨハネスブルグ]
(記者)当時、歌詞のどの部分が
問題だったと思いますか?
ええと、全部ですね
「シュガー・マン、急いでくれないか
この風景には飽きてしまった」
「青い硬貨と引き換えに持って来てくれ
俺の夢に山ほどの色を」
[イルゼ・アスマン 元資料館司書]
1番まずいのは「銀色の魔法の船が運ぶのは
ジャンパー、コーク、甘いメリー・ジェーン」
- 何故ですか?
- ええと…
ご想像にお任せします
- ドラッグだから?
- もちろんドラッグですね
アパルトヘイトの最中は
これは放送不可能でした
もし放送したら?
放送できません
何故なのか、お見せしましょう
これがアルバムですね
ビニール盤です
ジャケットの裏に
「避けよ」のシールがあります
ジャケットからレコードを取り出すと
問題の曲には
傷が付けられているのが分かります
針で掻きむしったんです
放送できないように
こうやって政権は音楽を禁止しました
放送できない様に
とても粗暴な方法だと思います
ほとんどの曲は南アフリカ放送協会の
禁止リストに載ってました
政府は放送業界を完全に牛耳ってましたから
独立系のラジオやテレビは無かった
でも、それが知れると
皆レコードを欲しがりました
[スティーブ・M・ハリス ロドリゲスの
南アフリカでの元レーベル支配人]
禁止されると欲しくなるでしょ?
16歳か17歳で
禁止された物を持ってるなんて
最高でしょ?
[南アフリカ ケープタウン]
[抜け出せやしない 1973年]
# 壊れた街に生まれつき
# 合衆国のロックンロール
# 1番高いビルの陰
# 成功してやると誓ったが
# 日曜俳優の言う事にゃ
# こんな嘆き言ばかり
# お前は抜け出せやしない
# 抜け出せやしないのさ
(シガーマン)アルバム
「コールド・ファクト」は誰でも持っていて
10〜20年の間、ただ
当たり前に楽しむ音楽だった
それが、ある日
変わってしまった
キャンプス・ベイの海岸で
皆とくつろいで居たんだ
女友達が…
南アフリカ生まれなんだけど
結婚してロサンゼルスに移った女が
聞いた
「南アフリカだと
『コールド・ファクト』は何処で買えるの?」
俺は道の向こうの
レコードショップを指して
「あそこで買えるよ」って
彼女が言うには「本当?
アメリカじゃ何処にも置いてない」
「どこで聞いても
名前すら知らない」
初耳だった
ロドリゲスは誰でも知ってるかと
特にアメリカでは
だってアメリカ人だし
「ロドリゲスが? こりゃ面白い」
家に帰って
レコードを取り出して
何も書いて無い事に気付いた
誰かとか、出身地とか
「コールド・ファクト」には4つの名前がある
表には、ただ「ロドリゲス」
でもレコードを取り出して調べると
アーティスト名は「シーズトー・ロドリゲス」
でも曲のクレジットを見ると
うち6曲は
「ジーザス・ロドリゲス」になってるんだ
4曲のクレジットは
「6番目の王子様」になってる
本当の作曲者は誰だ?
そしてこの4人は誰だ?
レコード以外には何も情報が無かった
帽子とサングラスで座ってる
カバーの写真
脚を組んでるから
身長すら分からない
この謎をどう解くか?
情報は何でも使おう
どんな情報がある?
レコードカバーの歌詞だ
だから歌詞に書かれている事を
読み解く事から始めた
ほんの少し
地理情報があった
「抜け出せやしない」の歌詞には
「壊れた街に生まれつき」
「合衆国のロックンロール」
どの壊れた街?
60年代後半には
どの街も壊れてたよね
「1番高いビルの陰」
1番高いビルだったら
ニューヨークだろう
後ろの方で、この節に
「アムステルダムのホテルの部屋」
ここには「埃だらけのジョージアの脇道を下り
俺は迷う」 ジョージア?
得られたのは、アムステルダム
ジョージア
それと世界で1番高いビル
あまり多くは無い
(バーソロミュー=ストリーダム)
何通りもの話があるんだけど
人によって話が違うんだけど
俺が聞いた所では
ロドリゲスは長い事
コンサートをして無かった
プロモーターがコンサートの企画を立てた
ロドリゲスも良いコンサートにしようと
でもコンサートってのは
そうは行かない
始めっからサウンドが良く無い
ホールが良く無い
色んな理由でコンサートは
うまく行かなかった
進むにつれ
悪くなる一方だった
観客は、あざけり始めた
口笛を吹いたり、ほら
自分たちが「楽しく無いぞ」って
抗議する為にさ
そして、とうとう
静かに、穏やかに
最後の歌を歌った
「とにかく、君の時間をありがとう
私にも感謝してくれていい」
「言った後は、忘れてしまおう」
そして銃を取り出し
引き金を引いた
それが劇的な
とても劇的な最後だったと
成功できなかった者にとってね
(シガーマン)1996年になって
南アフリカのレコードレーベルが
ロドリゲスのセカンドアルバム
「カミング・フロム・リアリティ」の
CD版をリリースした
レーベルは
俺がロドリゲスに詳しいと思って
ライナーノートの
共同執筆を持ちかけて来た
請けたよ
少し読んであげるよ
始まりは…
「もしポップミュージックの世界に
不思議の霧という物があるならば」
「それはロドリゲスを包んでいるに違いない」
「世界の他の場所では彼は
不思議でも何でも無い」
「なぜなら、ロドリゲスの2つのアルバムは」
「世界の他の場所では
まったく売れなかったのだ」
ここが重要だ
「ロドリゲスという名のアーティストに関する
動かない冷徹な事実など存在しない」
「だれか音楽探偵はいないのか?」
この1行がすべてを動かした
(バーソロミュー=ストリーダム)
ロドリゲスの調査を開始したのは
軍隊にいた時
誰かが聞いた
「ロドリゲスはどうやって死んだ?」
偶然、その時
私は書き物のテーマを探していて
紙切れに、5つぐらい
メモしたのを覚えてますが
多分4つ目が
「ロドリゲスはどうやって死んだのか」でした
良い物語になるかと思ってね
このテーマは
長い間眠っていたのですが
何年も経って
「カミング・フロム・リアリティ」が
再発売され、そのライナーノートに
「ロドリゲスという名のアーティストに関する
動かない冷徹な事実など存在しない」
「だれか音楽探偵はいないのか?」と
あって
挑発されたみたいに思えました
「私がその探偵かもよ?」
最初に行ったのは
金の流れを追う事でした
通常、金の流れを追えば
全てが見えてきます
でも死んだ男の金は
何処に流れる?
ロドリゲスについて知る人が
いない事に驚きました
多分、音楽業界ってのが
そこまで酷い場所だったのでしょう
人から騙し取るので有名でしたから
返ってくる答えはいつも同じでした
「ああ、それは…」
「AとかBとかいう会社に送金しました」
とかなんとか
何時までもハッキリ答えないんです
ある時、強く要求したら
ある住所をもらいました
それで電話をかけて
話をしたか、留守電を残したか覚えてませんが
でも次の日もう1回電話したら
番号が変えられてたんです
それこそ
まさに贈りものですよ
探偵志望者にとってはね
妨害です
妨害には刺激されます
簡単に見つかる物には価値がない
あれは凄い妨害でした
電話番号が変えられたんですから
何か裏の金が絡んでいるなと
嗅ぎ取ったんです
(記者)他のアーティストと比べて
どれほど大物でしたか?
毎月、とにかく売れました
どのパーティーに行っても
どんな場所に行っても
あのアルバムを必ず1回は聞いた
長い間に、どれほど売れたかなんて
想像もつきません
(ロビー・マン RPMレコード
ロドリゲスの南アフリカ最初のレーベル)
(記者)
数字で言えば?
当てずっぽうですけど
全部合わせて50万枚とか
凄い量ですよ
特に、この小さな国では
ゴールドディスクの10倍以上です
(記者)ロドリゲスは自分が南アフリカで
大物だとは知らなかった訳ですが
何故でしょうか?
分かりませんね
きっと、色んな事が…
不思議だと思います
想像もつきません
(記者)でもロイヤリティーは
何処かに払っていたでしょう?
(マン)もちろんロイヤリティーは払いました
A&Mレコードに送金しました
レーベルを覚えてますよ
A&Mサセックスでした
提携していたのか、どうなのか
私には…
お知りになりたいのでしたら
サセックス・レコードの所有者を
お探しになると良いでしょう
そうすればお金がどうなったか
お分かりになるのでは?
(記者)でも変ですよね
違いますか?
(マン)奇妙ですね
とても奇妙です
(記者)アルバムは
どのくらい人気でしたか?
ローリング・ストーンズとか
ドアーズぐらい?
(ハリス)ローリング・ストーンズより
遥かに人気でした
絶対に、あの当時はね
(記者)レコードを出したとき
ロドリゲスに連絡しましたか?
(ハリス)いいえ、まったく
ほら… あの頃は
伝説は、そういうアーティストがいたと
ジミー・ヘンドリックスみたいなもんです
ジミー・ヘンドリックスの目録があれば…
ジミー・ヘンドリックスの
この地域のライセンスを得れば
本人に連絡なんか取りません
死んでるんですから
- じゃあライセンス料は何処に送金を?
- サセックス・ミュージックです
クラレンスさん?
ええ。いや、サセックス・ミュージックです
彼の会社
私は図を書き起こしてみる事にしました
全部の経路を書き出して
跡を辿ろうとしたんです
接点のすべてと
レコード会社すべて
ロドリゲスや彼のアルバムと
接触のあった人間すべて
この図を作り上げたんです
分かったのは、南アフリカで
ロドリゲスのレコードを出した会社は
3つあるという事
最終的にはそれがアメリカの
あるレコード会社に行き着く
それがロドリゲスと契約を結び
最初のアルバムを出した
サセックスです
今度はサセックスの事を調べました
判ったのは
サセックス・レコードを所有していたのが
クラレンス・アバントという男だという事
クラレンス・アバント
彼はモータウンのトップで
レコード業界では
1流の仕事を成し遂げた男です
クラレンス・アバントに会う為に
あらゆる調査をしました
でも行き止まりばかりなんです
連絡がつかない
(記者)この写真を見たことは?
(クラレンス・アバント
サセックス・レコード元オーナー)
あいつだ
ロドリゲスだよ
いつの写真か分からないな、全然
- 1970年だと思います
あいつだよ
ちぇ、また感情的にさせるなよ
さっき、やられたんだから
お前なんかと話して
感情的になんかならねえぞ
俺が付き合った中で
アーティストを10人挙げるなら
ロドリゲスは最初の5人に入る
当たり前だ
ヤツのような音楽は聴いた事が無かった
「ボブ・ディラン」とか言う奴がいるかもしれんが
「違う、違う」って
ボブ・ディランなんかこいつに比べりゃ柔い
「たくさん売れたか」って?
アメリカじゃ歌で判断するんだ
「トップ100に入ったか」って?
「チャートで12位まで進んだか」って?
「ラジオでたくさん掛かったか」って?
「いや、違うよ」と言うよ
誰も… ロドリゲスだと?
名前が売れなかった
白人みたいに見えるかも知れんが
ロドリゲスがスペイン系の
名前なのは分かるだろ?
ラテン系だよ
あの頃ラテン音楽は流行ってなかった
(記者)アメリカで彼のアルバムは
何枚売れましたか?
アメリカで? 6枚だ
俺の女房が買ったかな
娘も買ったかも
いや買えなかったな。ニール・ボガートか
デニスとマイクは買ったかも
おい、いいかい?
ここじゃ売れなかったんだよ
ちょっと話題にはなった
興行主が聞きつけて
カリフォルニアに招待された
でもカリフォルニアに行ったら
あいつ、あがっちゃって
客席に背を向けてたんだぜ
皆「何だこりゃ?」って
(記者)でもロドリゲスは外国で
何十万枚も売ったわけですよね?
(アバント)俺が南アフリカに行って
誰がそんなに売ったか突き止めてやる
(記者)ロドリゲスが南アフリカで
有名な事はご存知でしたか?
ロドリゲスはな、いいかい
俺の知る限り、成功しなかった
以上だ
もし私が本当にお金の流れを知りたかったら
どうすべきでしょう?
それって重要なのか、お金?
それとも…
どっちが大事なんだ? ロドリゲスの物語か
それともお金の心配をしてるのか?
南アフリカの人口は?
4千万人? 4万人?
南アフリカには4千万人います
で、解放されて、どのくらい経つんだ?
3時間か?
だから一体何だって言うんだ?
昼飯のとき言ったよな
レコードに傷つけて聴けない様にしたって
だから地下活動だ
どのぐらいの規模だ、どのぐらいだよ?
(記者)ロドリゲスは南アフリカで
50万枚売ってます
50万枚売った
だから何だ?
誰に売ったか知らんが
レコード会社はいくつあったんだ?
知らねえが
レコード会社は3つです
全社と話はしました
- すごいね
南アフリカで彼のレコードを出した
支配人は…
奴らのとこに行って
俺にレポート寄越せって言えよ
俺が1970年の契約を気にするとでも?
頭おかしいよ
ブッダ・レコードは倒産した
俺も倒産だ
そんな事、気にかけるとでも?
俺なら、しねえな
(シガーマン)俺はロドリゲスの情報を
ずっと追いかけてた
「ロドリゲス大追跡」って
ウェブページを作って
ネット世界の何処かから
ロドリゲスについて何でもいいから
書き込んでくれないかと思って
でも何も起きなかった
あの頃クレイグと会って
俺のライナーノートを読んだ
音楽探偵さ
あいつもロドリゲスを追いかけてた
飛行機でケープタウンまでやって来て
喫茶店で会った
持ってる情報すべてを
交換したんだ
残念だけど
あまり多くは無かった
もう、ここで止めた方が良いかなって
思ったよ
(バーソロミュー=ストリーダム)
袋小路でした。行き止まりです
ロドリゲスは見つからない
どうして良いか分かりませんでした
彼が歌った場所を訪れても見たんです
ロンドンに行きました
何も無し
アムステルダムにも、…歌ってるんですよ
何も無し
それで諦めかけた
これまでだって
ある日、偶然
車でロドリゲスを聴いていて
「インナー・シティ・ブルース」を
聴いてたんですが
素晴らしい歌です
で、その歌詞が
「ディアボーンで少女に会った
この早朝6時」
「冷徹な事実」
待てよ、って思ったんです
ディアボーンを調べた事は無かった
地名かどうか知らなかったけど
市か街みたいに聞こえるな
地図帳で調べてみよう、って
で、古い地図帳を取り出して
見つけられるかな
ディアボーンは見つかるかな
ディア…
見つけたんですよ
ミシガン州ウェイン郡ディアボーン市、F7
Fの7
ディアボーン市、デトロイト圏の1部
あれが突破口になりました
デトロイト、モータウンの街
マービン・ゲイ、スティービー・ワンダー
そして、とうとう、アルバムのプロデューサー
マイク・シオドールへと
[1997年8月]
(シオドール)俺はマンションで休んでた
コーヒーを淹れて
窓から海を眺めてると電話が鳴った
南アフリカからの長距離電話だった
クレイグ・バーソロミューという記者だった
なんか凄い話を
始めるんだ
「あのロドリゲスを知ってますか」って
「南アフリカでは25年以上売れ続けてるんです」
「アルバムは何百万枚も売れました」
俺は「何だって?」
で、続けるんだよ
変な話を
「ロドリゲスはどうやって
死んだんですか?」って
ロドリゲスが
ステージで自分の頭を撃ったとか
自分に火をつけて死んだとか
質問は数えきれないほど
ありましたから
とにかく全ての質問を
ぶつけたくて
「この歌詞はどういう意味ですか?
こっちの歌詞は?」
「このアルバムを録音したのは何処?
こっちのアルバムは?」
話し続けて、たくさんの質問をして
信じられなかった
質問と回答の嵐でしたよ
長年掛けてやっと到達できた
幸福の1瞬でした
とうとう、本当に知りたい質問をしました
「ロドリゲスはどうやって死んだんですか?
ステージで拳銃自殺?」
「劇的な方法だったんですか?」
「秘密の箱を開けて
真実を見つけましょう」
マイク・シオドールが言うには
「死んだってどういう事? 死んでないよ」
「シーズトーは生きてる。ピンピンしてるよ」
「シーズトー・ロドリゲスと呼ばれた
アーティストは元気に生きている」
「デトロイトで暮らしてるよ」
(ハリス)電話して来たのが誰かは
覚えてないけど、「見つけたぞ」って
俺は「嘘だ、騙すつもりでしょう
そんな訳無い」って
最初は悪ふざけだと思いました
誰かに担がれてるのかと
ほら、ツタンカーメンの墓に行って
ミイラを見つけたら
「うわ、生きてる」見たいな
電話をしながら踊ってましたよ
クレイグと私は跳ね回りながら
「見つけたぞ、見つけたぞ」って
自分たちが成し遂げた中で
1番興奮した瞬間でした
# 分かち合った小さな歌を、私は聴く
# あなたが居た時の思い出を呼び戻す
# あなたの笑顔の、軽やかな笑い声
# あなたのキスの、その移ろいを
# あなたを想って
(バーソロミュー=ストリーダム)
見つけたんです
到達したんです
物語は終了でした
死んだ男を訪ねていたら
ある日生きてる男に辿り着いた
私にとって物語は終了でした
私は記事を書いて
「ジーザスを探して」と題し
多くの関係者に配りました
でも、何故かこの記事が大西洋を渡って
アメリカの人間まで辿り着いたんです
私が物語のお終いだと思っていたのは
実は別の物語の幕開けに過ぎなかった
ここからもっと面白くなる
何処に置いたか覚えてないので
少し時間をください
日付がありますね
「死んだ歌手を訪ねての3年間」
これですね
97年8月
私はカンザスに居ました
仕事場で誰かがコピーをくれて
24時間交代制の仕事でした
後から、ネットに繋いで
ウェブサイトを見つけました
そのページには牛乳パックの写真があって
書いてあるんです
「尋ね人 この男を知りませんか?」
私「実のところ、見た事あるわね」みたいな
で、返信したんです
「ロドリゲスは私の父親です。真面目な話」
[エバ・ロドリゲス ロドリゲスの長女]
「本当に知りたいですか?
おとぎ話はそっとしておいた方が良いかも」
何でこんな事言ったのか
で、電子メールアドレスと電話番号を教えて
知りたいことがあればって
そしたら電話が来ました
(シガーマン)クレイグに
ロドリゲスが生きてるって話をした
仕事場で、ウェブサイトをやってる
アレックス・マクリンドルが
「ウェブに載ってる話を信じるまい」って
ウェブサイトの中に掲示板があって
皆が書き込めるんだけど
書き込みがあって
「私の名前はエバです
私はロドリゲスの娘です」
電話番号が残ってて
「誰か関係者の方とお話がしたい」
だから、その晩、電話しました
俺が「もしもし、シュガーです」
彼女は「エバです」
それから2人で
驚くような会話をした
彼女は父親について教えてくれた
どんな仕事をしたか、どんな場所に住んだか
俺について聞くから
何故「シュガー」と呼ばれるかを話した
どういう経緯で
このウェブサイトを始めたか
そして最後に俺は言ったんだ
「こんな素晴らしい会話はした事が無い」
「これでもし
あなたのお父さんと話が出来れば」
「それ以上の事なんかない」って
「お父さんによろしく
お伝えください」って
だって、俺にとって
捜索を終わらせるのに
当の本人と話がしてみたいなと
その後、眠りについた
朝の1:00になって電話が鳴った
俺の奥さんが出て
奥さんの側に電話があった
電話に出た奥さんの顔が変わった
神妙な顔つきになって
「あの方よ」って
ショックだったよ
俺は寝てたんだ
書斎に走って
電話を取った
奥さんは受話器を置いた
「もしもし」って言うと
「もしもし、シュガーかい?」
瞬間に分かったよ
だってあの声は知ってる
レコードで聞きまくった声だ
すぐに分かった
俺はロドリゲスと電話してた
そりゃ、俺に取っちゃ
人生の至福のひと時だった
[サンドリバンの子守唄 1971年]
-(ロドリゲス)何時でもどうぞ
-(記者)了解
(ロドリゲス)こんなので良いのか?
何かしてた方が良く無いか?
コップに水でもあった方が
良いんじゃないか?
-(記者)水が欲しいですか?
- ああ。そうだな
落ち着いてる方が良いよな
もう1回質問を聞かせて
頭で理解するから
70年代、80年代に南アフリカから
何らかの連絡を受けた事は?
いや、無いな
電話番号を知らなかったのかどうか
とにかく、無かった
どのように感じますか?
人生がひっくり返る様な事実を知らなかった
おそらく良い方向にですよ
良かったかどうかなんて分からないが
そんな可能性もあったかもな
でも、自分がスーパースターだったなんて
知りたいじゃ無いですか?
ええと…
なんて答えて良いか分からんな
「カミング・フロム・リアリティ」の後
アルバム制作を続けたかったですか?
続けたかったけど
現実にゃ勝てんさ
だから、元の仕事に戻った
何をしました?
日雇いだ
ビルや住宅の解体、修繕
修復だ
仕事は好きでしたか?
好きだよ
体に血が巡る、鍛えられる
でも音楽とはずいぶん違います
ああ、ずいぶんな
まったく別だな
自分で音楽制作は続けられましたか?
ああ、してるよ、ギターが好きで
鳴らすのが好きだ
でも聴くのも好きだ
コンサートなんかに行ったりして
いろいろ見て回る
[ストリート・ボーイ 1971年]
# ストリート・ボーイ
# 長い事、表を歩いて
# ストリート・ボーイ
# 家に帰る理由は見つけたかい
# ストリート・ボーイ
# ひとりぼっちになっちゃうぞ
# お前にも愛と理解は必要だ
# お前の行き場の無い計画じゃなくてさ
# ストリート・ボーイ
# 家に行っても長居は出来ない
# 何か必ず嫌なことがあるから
# 挨拶と別れを
# そそくさと済ませ
# お前は瞳に信号機を映した
# ストリート・ボーイ
# 考えを変えて
# マシな物を目指した方が良い
父が不平を口にした事なんかありませんでした
次の事に取りかかったんです
生き抜く為に
投げ出す事は出来ませんから
(記者)
代わりに何をしたんでしょう?
たくさん読書をしました
政治に関わりましたし
社会活動にも関わりました
(レーガン・ロドリゲス ロドリゲスの末女)
デモとか抗議活動に
私たちも連れて行かれました
常に人々の為の提案を続けていました
必ずしも声を持たない人たちの為に
あるいは発言の機会が与えられない人たち
労働階級、ワーキング・プア
その方面でたくさん活動しました
彼の仕事への態度は
他の人間とは違っていた
とても厳粛に受け止めていた
まるで儀式みたいにさ
(リック・エマーソン
建築労働の同僚)
8〜10時間、汚れ仕事をしようって時にさ
タキシードを着て来たんだぜ
彼には、紛いなき詩人や芸術家だけが持つ
神秘さが備わっている
世俗から、平凡から抜け出す為の
全てのデタラメや
蔓延する下らなさから
芸術家だ、芸術家こそが開拓者だ
音楽の望みが絶たれても
意気だけは残った
次の場所を見つける為の
自分を高める為の
努力は惜しまなかった
何かが出来ると信じてたんだな
80年代の初めに
彼は何かがしたくなって
世の公正の為
何か出来ないかと
それでだ、…準備はいいかい?
なんと市長選に出馬するって言った
俺はさ
「がんばれ、ロドリゲス」
「お前がデトロイト市長になれるんだったら
何だってあり得るよな」って
# ディアボーンで少女に会った
# この早朝6時
# 冷徹な事実
# 何の荷物かと聞けば
# 郊外は退屈すぎて
# もう戻らないと
# パパは新しい提案を受け付けないから
ロドリゲスの古い持ち物です
これは最初の市議会選に出た時の
バンパーステッカー
これが投票結果だと思う
当選した事はありません。1回も
139位。169名出馬して
当選は9名
名前のスペルが間違ってる
(エバ)うちの家系は母親の側が
欧州系とネイティブ・アメリカン
父親の側がメキシコ人
祖父がメキシコからやって来て
メキシコ人はデトロイトの
自動車工場で働く為にやって来た
私たちは労働者階級ですよ
ブルー・カラー、肉体労働
私たちは26の家を移り歩いた
幾つかは寝室も無い様な家
風呂の無い家もあった
それは我が家というよりは
ただ住む為の場所ですね
でも貧しき者や
持たぬ者だからって
夢まで小さいって訳じゃ無い
心まで貧しい訳じゃ無い、でしょ?
そこから階級とか偏見とかが生まれる
あなたと私は違うでしょ、って
奴らと私たちは違うんだ、って
[最高に胸が悪くなる歌 1971年]
# 俺は演るべきどんなギグでもこなして来た
# 男色バーで演った、売春バーでも
# バイクの葬式でも
# オペラ・ハウス、コンサート・ホール
# 更生施設
# でも俺が演ったどんな場所でも
# 俺の観客はいつも同じだって気付いた
# だから、もしかしたらこの歌の中には
# あんたの知人が出てくるかもしれない
# 最高に胸が悪くなる歌
(レーガン)
父はただ普通の大工仕事はしなかった
父は現場を見事に奇麗にしました
他の誰もやりたがらないような作業をして
本当に、誰1人としてやらないような作業
家に帰ってくると
その日の作業でホコリやゴミだらけ
長い1日だったでしょう
父が冷蔵庫を背負って下の階に
下ろしているのを見たことがあります
父にはそれが当たり前だったのです
でも、私の父は、
友人のどの父親よりも働き者だった
夢を見てはいけない
期待してはいけない
というような街でした
でも父は私を
裕福な家族が行くような場所に
連れて行ってくれました
貧富に関わらず、行きたい場所へ
行って良いのだと教えてくれました
(サンドラ・ロドリゲス=ケネディ
ロドリゲスの次女)
そんな人でした
私に最高の物を見せてくれた
私は「私にだって出来るわ」って
言ったんですよ
(エバ)
父は大学で哲学を専攻しました
父は私たちを
芸術に触れさせてくれた
図書館や美術館や
科学技術館に連れて行ってくれて
そこが私たちの遊び場だったんです
館内を巡って
ディエゴ・リベラやピカソ
ドラクロワなんかを見て回ったんです
街の暮らしとは別の物が
見えてくる様になりました
本や絵画や音楽の中に
[ライフスタイル 1971年]
# 判事の心は交通警官
# 市場の正義で裁きを下す
# 街の真中で凍える子供
# 紙吹雪の中を歩く民衆
# 来もせぬ騎士を待ち続け
# 乗っ取られたのに
# 美しさを競うだけ
# 夜の雨が窓を打つ
# 俺の思考は風と飛び去る
# 俺の言葉に彼女は笑う
# 出会いは別れと繋がるのみ
(ロドリゲス)
ギターを始めたのは16の時で
家族のギターだった
バーとかクラブとか小さな場所で
たくさん演奏したよ
そして、マイク・シオドールと
デニス・コフィーに出会った
彼らは俺を見るために
クラブにやって来た
デトロイト川沿いの
「スーワー」という店で演ってて
クラレンス・アバントと
レコードの契約を取った
[スーワー(どぶ川)1969年]
作業し始めは
凄く大変だった
俺はクライスラーの
ドッジ・メイン工場で働いてて
他にエルドンや
リンチ・ロードの工場でも働いていた
熱を扱う職場とかで
大変な重労働だ
でもいい年だったよ
この「コールド・ファクト」
やりたかった事が出来た
作品を作る事が
凄く上手く出来たと思った
どう感じたか?
大きな達成感、現実化だ
(記者)
これは良いアルバムだと思いましたか?
(ロドリゲス)
うーん
ベストは尽くした
レビューは良かったし
ああ、良いアルバムだと思った
でも俺は聞くべき相手じゃ無いな
その質問は
でもまあ、続けてくれ
売れないと知った時、驚きましたか?
驚いたか? これは音楽ビジネスだ
保証なんか無いだろ?
(シガーマン)伝えたんだ
「あなたはエルビスよりも偉大なんだ」
聞き返された
「どういう意味?」
言ったよ「南アフリカでは、あなたは
エルビス・プレスリーより人気がある」
そしたら黙っちゃって
いたずら電話だと思って
切られるんじゃないかと思ってさ
「待って、切らないで
聞いてください」
「お願いです。1度おいで下さい
そうすれば分かります」ってさ
(エマーソン)
ウッドブリッジの現場で働いてた時
ある日、牛乳パックに印刷された
自分の写真を持って来てさ
言うんだよ「エマーソン、見てみろ
俺は尋ね人だ」ってさ
「ホントか? 何故だよ、ロドリゲス?」
次の日になったら
「エマーソン、俺はツアーに出るぞ」って
「止めてくれ、ロドリゲス
冗談だろ?」と言った
疑いましたよ
合理的な世界では
そんなことは起こらない
あり得ないんです
世界の掟に反する
あの男がツアーに来るなんて
偽者に決まってる
上手い宣伝詐欺だなと
(リアン・マラン ジャーナリスト・作家)
だって本当な訳無いんだから
信じるのは間抜けですよ
でも間違ってました
[1998年3月2日]
(レーガン)もちろん、ずっと不安でした
飛行機から降りるまで
長い空旅
飛行機から降りて
みんな荷物を背負って
荷物が重いから
早く建物に入ろうと
そしたらリムジンが
2〜3台停まるんですよ
自分たちのじゃないのは
分かってるから
避けて通ろうと
「邪魔になっちゃいけない」
「だれか偉い人のリムジンだから」って
そしたら私たちのだったんです
そこからは夢の様
まるで別世界でした
別世界ですよ
(エバ)皆さん、
ほら例えばマドンナに会うとき…
風に吹かれて登場みたいな
パパラッチとかがいて
制作アシスタントの方とか
皆さん歓迎してくださって
VIPスイートに連れて行ってくれました
(レーガン)白いカーペット
そんな事まさか
夢にすら見ませんよ
白いカーペットを歩くなんて
自分の足でですよ
(シガーマン)
リムジンに乗せて街に連れてきました
その道すがら、街灯全部に
コンサートの看板がついていて
電柱毎にロドリゲスの顔がある
ロドリゲスは
「俺だ、俺だ、俺だ」って
(エバ)こちらに来て
たくさんの方とお会いしました
クレイグ・バーソロミューと
そのご家族、お子さん方
スティーブン・シガーマン
皆さん大喜びで
興奮なさって
私たちはもっと大喜びでした
(モラー)スティーブンが電話をくれて
「信じられないだろうけど…」
「ロドリゲスが南アフリカに来るぞ」って
「俺たちのバンドが前座だ」
「やりたいか?」って言うから
「もちろん、やりたいけど」
「どういう事? ロドリゲスはどこ?」
「見つけたんだよ」
「見つけたんだ。生きてるし
ツアーをしに南アフリカまで来るんだ」
「前座を務めるか?」
まだ信じられなかったよ
で、色々教えてもらった
デトロイトに住んでいるとか
その後、こう言うんだ
「ところで、ロドリゲスは
バンドが居ないらしい」
「俺たちがバンドやろうか?」
ロドリゲスのバンドだぞ
その話になっても、まだ
「本当にロドリゲス本人なのか?」って
歌を聴くまで分かるもんか
本当にそうだったんだ
別人だったらどうしよう、って
[エバ・ロドリゲスの個人ビデオより]
(サンドラ)
突然話が降ってきて
その場に行ってもまだ
自分の目が信じられない
驚く事ばかり
でも何故か、父は気楽に見えました
すべき事を淡々とこなすだけ
そんな父を見て驚きました
父は頭がのぼせるような
タイプでは無いですから
父は謙虚過ぎるんです
父はホテルの備品とかを
無駄遣いする事も無くて
部屋の大きなダブルベッドも
使わないんです
朝になると簡易ベッドで
寝てる父を見つけた
多分、自分1人が寝る為に
あの大きなベッドを
散らかす必要は無いと
思ったんでしょう
(レーガン)ある時
他の全員が出かけて
私だけが残ってた事がありました
電話が鳴って、鳴り止まないから
出ることにしました
リポーターの方で
ロドリゲスのインタビューを
取り付けたがっていた
私じゃ分からないから
折り返しと言って
電話を切ろうとした直前に
彼女が言うんです
ここだけの話だから、教えてくれって
本当にロドリゲスなの、って
(モラー)CDを使って曲の
リハーサルをしていた
ケープタウンのスタジオで
ロドリゲスが到着した日だ
彼が着いたとき
俺たちは曲の演奏中だったんだが
彼が入って来て
マイクを奪って歌い始めたんだ
CDは、もう止めたよ
もう、つなぎ目が無いくらい
完璧に同じ
「ああ、これがあの人だ」って
全員が、これは凄い事になるぞ
と思ったよ
ケープタウンよ、ありがとう
(レーガン)
飛行機に乗った時は
希望としては
20人も観客が居れば良いかなと
希望としては
でも、それとは随分違う事が
分かりました
老いた方も若い方も
見に来てくださった
私の義父は
演奏が始まる前にステージに上がって
「観客の写真を撮らなきゃ」
「誰もこんなもの信じないぞ」って
(バーソロミュー=ストリーダム)
いいですか、この男は
エルビスが墓場からよみがえって
目の前に居るようなものなんです
観客だって
まだ信じちゃ居なかった
わざわざやって来て
コンサート会場に来て
お金まで払って
それでもロドリゲスが目の前に
出てくるとは信じてなかった
[1998年3月6日]
(モラー)準備はいいかい?
皆さん…
ロドリゲスです!
(レーガン)まるでもう
演奏なんかする必要が無いくらい
父を見るだけで大喜びなんです
そして分かりました
皆、ただ会いたかったのだと
あれは再会の集いだったのです
(シガーマン)あの時は
全てが違ってた
あの場所にいた者全てにとって
最高に興奮するコンサートだったよ
特別だったもの
誰もロドリゲスを見たことが無い
聞こえてくるのは
ベースのラインだけ
そしてロドリゲスがステージに
のっそりと出てくる
ベース奏者は
弾くのを止めてしまった
しばらくの間
5分か、10分くらいの間
観客はただ叫びっぱなし
俺を生かしておいてくれて、ありがとう
# ふと思う
# 君は今まで何回だまされたのかと
# ふと思う
# 君の計画のいくつが失敗したかと
# ふと思う
# 君は何回セックスしたことがあるのかと
# そして、ふと思う
# 次は誰とするのかと
# ふと思う
# ふと思うのさ
(レーガン)あれはきっと父が
見捨てられた者から
本当の自分に変身したんです
あの姿は父の…
父の本来の姿でした
ステージでファンの為に演奏する
ミュージシャン
# うまくは行かなかったけど
# 俺の君への思いだけは
# どうか疑わないでくれ
# とにかく、君の時間をありがとう
(バーソロミュー=ストリーダム)
彼が、あの観客を前にして
まごつくかなと思ったんだけど
逆だった
完全に落ち着いているんだ
表情に完全な静けさが漂う
完全
まるで彼が
一生をかけて探し求めた場所に
あの日、辿り着けたかのようだった
(シガーマン)
「我が家」とは受け入れられる場所だ
あの男は今まで他の場所で
地球の裏側に住んでいて
まるで、とうとう我が家を
見つけたかのようだった
(バーソロミュー=ストリーダム)
あそこに居た人々を眺めて
「これは一生に1度の経験だな」と思った
「こんな事は、もう2度と起こらない」
(マラン)
これが運命ですよね
皆、夢がある
優れた自分が居て、いつの日か
才能とかすべてが
認められて
突然世の中に知れ渡る
ほとんどの人は
そんな夢物語に近づく事すら出来ずに
死んでいくのに
インタビューの時に
聞こうと思ったんですよ
どれほど不思議な体験だったか
でも何も答えてくれませんでした
ロドリゲスが
極端にシャイだったのか
それとも
私の質問が悪かったのか
言葉が聞き取れなかったのか
分かりませんけども
でも、それでも良いんです
神秘性が保たれたから
インタビューを終える時
言いました
「これは、あまりにも奇妙すぎる」
「ずっと奇妙であり続けるでしょう」
あれは驚異と
不思議の日々だったのです
[ロドリゲスは1998年に南アフリカで
6つのコンサートを満席にした]
(ロドリゲス)
ああ、みんな親切だった
信じられなかった
今でもだよ
だってさ
ステージに上がってみると
5千席が埋まってた
白い椅子が、だってさ
言葉にならない
「これって…」
演奏を始めたら、お客が席を飛び出して
ステージに駆け上がって来た
南アフリカは俺を王子様以上の
気分にさせてくれたよ
(エバ)その後、サインをしました
何時間もの間
みんな長い列を作って
ギターにサインしてくれとか
CDとか、色々持ってくる
(レーガン)
1番驚いたのは
「コールド・ファクト」の入れ墨した
男の人
ロドリゲスの物真似なんです
度肝を抜かれました
「これって、どうかしてる」って
ここにロドリゲス氏を表彰します
アルバム「コールド・ファクト」の実績を
合衆国にも教えてやってくれよ
な?
アメリカ人の歌手、ロドリゲスさんは
元気に生きていました
今晩はフロント・ラインに
お越しいただきました、ようこそ
ありがとう、こんにちは
あなたが死んだという
ぞっとするようなお話を聞きましたけど
ステージの上でガソリンをかぶったとか
ドラッグのやり過ぎで刑務所で死んだとか
(エバ)ええ
あれは美しい、美しい夢だったんです
でも夢から覚めなきゃいけない
お父さんは、人生が2つ出来たなと
馬車が実はカボチャだったみたいに
(記者)
皆さんが戻った時に
デトロイトの人間は
皆さんの話を信じましたか?
デトロイトの人は
良い話が好きなんですよ
どのぐらい信じたかは分かりませんが
あまりに大げさな話だから
夢か何かから
でっち上げたような話ですからね
(フェレティ)
あいつは、とても有名だった
あいつは、ほら
あばら屋を解体したり
ゴミや泥の清掃をしたり
してたのに
それが、ある日突然…
俺は信じなかったんだけど
凄い人気のアルバムの話なんか
し始めて
誰かが海賊版を作って
コピーが行き渡ったとか
あまりに人気が出て
子供ですら暗唱出来るとか
1言も間違えずに
全ての歌を、1言も間違えずにだ
そのアルバムは知らなかったから
「どこで買えるんだよ」って言ったら
どこでも売ってないとか
そのぐらい奇妙な話だったんだ
でも写真とか色々持ってくるんだ
山のような観客とか
2万人だとか
ウッドストックかよ
「冗談だろう? これがお前か?」
フォトショップしたのかと思った
信じなかったんだ
でも山ほどの観客がいた
それでも、あいつは不満そうも無く
普通にお客の家の芝刈りをしたり
掃除とか肉体作業を続けたんだ
ここに残った
父は、とても、とても
とっても質素な生活を送っています
絶対に
無駄遣いは一切しない
そして今でも月々の支払いの為に
精一杯働いています
そう言う意味では
父の生活に贅沢はありません
(記者)
でも今では裕福なはずでしょう?
(レーガン)いいえ
他の意味では裕福かも
モノ以外の意味だったら
ただ単に
そうはならなかったのでしょう
(記者)でも南アフリカで
何十万枚ものレコードを売ったのに
ええ、そうです
でも不正規品とかが
多かったんじゃないかと思います
海賊版とか、そういうの…
おそらく
他の人が裕福になった
[俺は消え去ろう 1973年
未完成のサード・アルバムより]
# 断られた女の事は忘れよう
# 誰と居たいか何処に行きたいのか
# 教えてやろう
# お前の嘘と裏切りも忘れるだろう
# お前のその勿体ぶった態度も
# もしかしたら今日、ああ
# 俺は消え去ろう
# お前の成功の証は持ち帰ればいい
# 俺は自分の幸せを追求するさ
# お前の時計と日課も取っておけ
(シガーマン)
エバと電話した晩を思い返せば
俺たちは知らなかった
エバはロドリゲスと一緒にツアーに来た
案内人が雇われた
一緒に行動してるうちに
2人は恋に落ちた
今じゃ子供がいる
ロドリゲスは南アフリカに孫がいるんだ
南アフリカの男の子だ
俺は、以前は
ヨハネスブルグの宝石商だったが
今はケープタウンでレコード店をやってる
俺たちの人生は
すっかり変わってしまった
でも1人を除いてだ
ロドリゲスは別だ
ロドリゲスに関しては何も変わらない
彼は以前と変わらぬ暮らしを続けている
(エマーソン)彼が見せてくれたのは
選択出来るんだって事さ
あの苦しみや痛みを全部引き受けて
あの混乱や苦悩を全部引き受けて
彼はそれを
何か美しい物に変えてしまった
蚕さまみたいだよな?
普通の餌を食べるけど
それを変化させるんだ
そこには無かった物を作り出す
何か美しいもの
何か優れたもの
何か永遠なもの
彼はそれを作る
彼は人間の精神の代弁者だと思うよ
その可能性の
選択できるって事の
「これが俺の選択だ」って
「お前にシュガー・マンをくれてやろう」って
そんな事やってみた事あるかい?
自分自身に聞いてみなよ
# あれは猟師だったか賭博師だったか
# お前に代価を支払わせたのは
# 今じゃゆったりと構えて
# お前の負けをもてあそぶ
# 自分の渇きに苦しめられたか
# 得られはしない喜びの
# お前は物好きトムになったのか
# あるいは弱虫ジェームズになったのか
# 何かを得たとお前は言うが
# なにかユニークな物だと言うが
[ロドリゲスは南アフリカに4回渡り
30回以上のコンサートをこなした]
# 俺にはお前の憐憫が見える
# お前の頬を伝わる涙によって
[ツアーで稼いだお金の大部分は
家族と友人に渡した]
[ロドリゲスは今でも、40年以上住んだ
デトロイトの同じ家に暮らしている]
# 俺はもうすぐお前と別れる
# そしてもう振り返りはしない
# 俺はその為に生まれて来たのさ
# お前の心を磔(はりつけ)る為
# だからペテン師、鏡に向かって申し訳をしろ
# いつもそうして来た様に
# 影にブツを与えて
# もっとブツを与えて
# 何か売るものがあると
# お前は言うが
# 秘密で光って新しいというが
# でもお前の売り文句のどれほどを
# アイツには囁かなかったのか
# シュガー・マン、急いでくれないか?
# この風景には飽きてしまった
# 青い硬貨と引き換えに
# 持って来てくれ
# 俺の夢に山ほどの色を
# 銀色の魔法の船が運ぶのは
# ジャンパー、コーク
# 甘いメリー・ジェーン
# シュガー・マン
# 偽りの友人に会った
# 埃だらけの孤独な道で
# 見つけた時には心を失う
# それは黒い石炭に化けてしまった
# 銀色の魔法の船が運ぶのは
# ジャンパー、コーク
# 甘いメリー・ジェーン
# シュガー・マン、お前こそが答えだ
# 俺の疑問を消し去ってくれる
# シュガー・マン、だって疲れちまった
# あのイカサマ賭博の話には
# シュガー・マン
# シュガー・マン
# シュガー・マン
# シュガー・マン
# シュガー・マン
# シュガー・マン
[字幕: のざらし]