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安斎科学・平和事務所がおとどけする
放射能から命を守るシリーズ
今回で20回目となります。
第1回目を、お送りしたときに、
この撮影会を、20回続けたい というふうに申し上げました。
まず、今回をもって、 第一期の撮影会の最終回といたします。
今回のテーマは、
「脱原発運動の現状と課題」です。よろしくおねがいいたします。
福島原発の事故が、
3年3カ月前に起こってから
事態は、深刻な状況を
ずっと続けているんですね。
事故を起こした原発の中 が、どうなってるのか
ということについては
誰も見に行けない
原発事故の特徴ゆえに
いまだに事実がどうなっているかさえも
分からないということで
これから数10年から100年単位 で
我々は原発事故を見すえていかな ければいけない
そういうことで言うと、このシリーズを
20回で切って、お終いという訳にはいかないので
今後とも、そのとき時の話題を取り上げながら
別の形ででも
続けていきたいと思っています。
今日は、一応ここに用意しましたが、
「脱原発運動の現状と課題」 という風に書きましたけれども
政府や電力会社は
いま再稼働とか原発の輸出に 非常に熱心に取り組ん
でいるいるという現実が
ありますね。
それは、原発を止めると、
とってもお金がかかるので、
100万キロワットの原発を一日動かすと、
億っていうお金が
入るんだけど、今
それが入らなくなった上に
止まっている原発も
冷やし続けないと核燃料が溶ける ために
一日何千万円と、お金を使ってい るんですね。だから
再稼働したいというふうに、
考えているんですね。
ところが、
同じ政治家の中にも、
皆さんご承知の通り、小泉純一郎氏とか、
こうした中
細川護煕さんみたいに、
かつて内閣総理大臣を務めた ような人々が、
脱原発のための
動きを示している
という側面もあるわけですね。 そして大変多くの市民たちは、
脱原発の未来を望んでいると
そういう状況の中で
それが、どういう方向に今、進んで いるか
ということなんですけれども
原発やり続けたいと思っている人びとは
できるだけ
国民が声を一つに
そういう要求を突きつけて
それで政治的意思として、
まとまらないように
対立要因を持ち込む ということが、
しばしばあることです。これは 原発問題だけじゃなくて
平和や戦争の問題についても、
あることなんですけども、今、この原発絡みでもいろんな
対立要因が、被災者の中でも、
あるいは、被災者と都市住民の間でも
この対立要因が持ち込まれている
ということがあるんですね。
原発を無くする声を一つに、
政府に突きつけていくためには
なるだけ、対立要因を持ち込むような手には
乗らずにですね、声を一つに
脱原発を目指していきたい ものだ。
で、そのためには
実は日本の原水爆禁止運動の
教訓というのを、
思い起こしておく必要がある と思うんですね。今年はあの
1954年3月にビキニ環礁で
いわゆる第五福竜丸事件と いわれている
アメリカの巨大な水爆実験が あってから
ちょうど60年目に
当たるですね
まぁ、言ってみれば 還暦に当たる
のですけれども
これを日本の原水爆禁止運動 が今日までに
至る60年の間に
紆余曲折があって、内部に対立が 起こったにした経験をして
きたんですけれども、結局今
この3つの
旗のもとにですね、
みんなで力を合わせて
核兵器をなくす運動を 世界にアピールした
ひとつは、核戦争を阻止しよう
ふたつ目には、
核兵器を無くそう
そしてみっつ目には、ヒロシマ ナガサキやビキニの
被爆者、被災者ですね援護連帯をしよう
こういう3つの旗の下で
個別の意見の違いがあっても、まとまって
国際社会に核兵器廃絶訴え きた
その結果として
国際社会も、やっと
もう核兵器をなくす方向に 国連を含めて動きだしているんですね。
国連総会などで、
核兵器をなくす決議、
それに反対する国は、もうごく わずかな国に
なって大部分の国々が、
日本の原爆被爆者たちの、
すさまじい体験も、
踏まえながら、核兵器をなくす という声に
まとまろうとしているわけです。
脱原発運動についても、
放射能被害の根絶。
それから、原発を廃絶する。 そして、被災者と援護連帯をする。
3つの旗のもとで、
まとまって
いろんな意見の違いがある だろうけれども
原発のない社会を作るという
その目標に向かって
力を合わせていく必要がある だろうと思うんですね。
個別の問題については いろいろな
見方、考え方の違いが起こる ということは
よくあることなんですけ れども
見方や意見の違いがあっても
この対立感情を、お互いに煽るような、そういう
言動は謹んでですね
お互いに配慮しながら、
原発をなくすという大きな 目標に向かって
ともに
励まし合っていくという ことがとても大事だ
と思います。
もちろんあの
相互に意見の違いがあった らば、
それを
批判するというのは、
まったくの自由であって、
ここに書きましたけども
総合批判というのは完全な自由ですよね。
違う意見があればそれ に対して自分の意見を
述べるということは、
だれによっても抑圧 されるべきものでは
ないわけですけども、
やはり、互いの心情への配慮 は大切なんですね。
お互いに、もし頂上が同じところであれば、 いろんなの登り口から登って行って
そこに見方の違いなど があったとしても
将来をきちっと展望して、
互いに励ましあっていくと。
批判があったら、
その批判の意見を述べる
ことは自由だけど、その述べ方 については、
対立感情をあおり立てる ようなことは避けていく
ということが、
大事でしょうね。
ごく最近、
「鼻血問題」というのがありました。
ある雑誌の上で、
マンガの形で、とても
大きな話題として、
報道でも取り上げられたもの ですけれども
原発被災者の間に
鼻血を体験した人が
それなりに沢山いる、というわけですよね。
まあ、一つの見方は
それは降り積もっった
セシウム137などが出している
ガンマ線をいっぱい浴びたために
障害が起こったのではないか?
という見方の人もいますけれども、
それはおそらく
無放射線の影響学の専門分野 から見ると
こういうこの
ガンマ線を浴びて
鼻血がでるためには、
例えば1000ミリシーベルト とかいう
かなりまとまった線量を 短時間で
浴びる必要があるんです けども
私たちが
例えば
安斎育郎が事故の
1か月ぐらい後に、
80キロぐらい(から)原発の7キロぐらい 近くまで近づいて
調査を続けた
その
6時間ぐらいの間に
被曝したのは0.022ミリシー ベルトというふうな
量ですから、
例えば、新聞記者が
現場の取材に行ったという ことによって
1000ミリシーベルト
に近いような
被曝をするなんてことは
ちょっと考えられないことなんで
それはないかもしれない。
ということですけれども
それに対して、
いや、そうでなくて、セシウム137など を含む
β線という
放射線を出す
微粒子がですね、空気中を飛んできて それが
鼻にくっついてですね
非常に狭い範囲だけれども
大きな被ばく線量を与えた結果
鼻血が出たのではないか
鼻粘膜の
損傷が起こって出血が 起こったのではないかという
見方もあるんですね。
これについては、
無いことを望みたいと思います けれども
今このことを心配して
調べている科学者も いるんですね。
したがってそれは
そういう科学者たちの
研究の成果を待って
みるという必要があるでしょう。
全面的に否定するのではなくて、 そういう主張を、科学的主張
がある以上、
それが正しいかどうか ということについての、さらに
研究の成果を待つっていうこと ですね
その一方ですね、鼻血 っていうのは
おそらくみなさんも体験 したことあると思うんですけれども
ごく日常的に起こる
現象でもあるんですね。
ええ
安斎育郎も東京大学工学部の
原子力工学科というのに
1962年に
学生になりましたけれども、
それ以降は鼻血を経験した ことはほとんどありませんが、
その前、幼いころにですね、
鼻血というのは、年中
体験していて、
よくチリ紙を鼻に
突っ込んで、この遊ぶなんて ことやっていた
鼻血対策としては、
非常に悪い方法だと
言われてますけれども、そういうことをやっていたんですね。
それでいて実は鼻血っていうのは
たびたび起こることだけども
結構重要な、
病気の原因だったりもするん ですよね。
ギーゼルバッハVっていう、
鼻の真ん中にある仕切りの、 ちょっと奥にある
粘膜の非常に薄いところがあ るんですが、そういうところが
傷つきやすい
よく鼻を、
ほじるなんていう習慣のある人などは
非常に傷つきやすい
アレルギー性鼻炎という こともあるし、
あるいは蓄膿症の人でも
症状によっては鼻血という形 をとることもあるし、
あるいは、内蔵の疾患が
原因のこともありうるし、
血液や血管の
病気ということもあり得 るし
あるいは、最悪の場合には 鼻孔、
この鼻の中に
ガンができているっていうようなことも、
ありうるということなので、
鼻血が出たからといって、バカに しないで、きちっとした医療的な
検査を受けて治療 を受けるということが、
必要ですけども、それをいきなり、
福島の放射線の被爆と結びつける
ということには
まあ放射線の影響学的に見る と
理解を越えた部分が あるので、それはこれからの
研究に待つと部分と やはりあまり短兵急に
直接、被爆と結びつけて
"福島に住んでいること自体 が、とても危険なことだ"
ある人は"福島の原発近くに 住んでいること自体が犯罪的だ"と言った
人もいますけども、そういう見方 をすることによって
福島の人に対する偏見とか、 差別とか、不要な風評被害を
生み出すことがないように しなければいけないと思うんですよね。
したがって、まあこういう問題 についても
おそらく、いろんな意見がある と思いますけども相互批判
の自由を保証しながらも、 お互いに共通の
原発による災害のない社会 をめざしたいということであれば
そのためにに力を合わせてい く
ことが必要だろうと。そういう面で、
今日いいました脱原発運動の どの現状と課題のなかに
現状としてはまだまだそれを 取り組んでいって声を大に叫ぶ
必要があるんだけれども
課題として、やっぱり多くの 国民が、この内部的ないろいろな
意見の違いを乗り越えて
非常に
原発を推進したいと思っているそういう構造自体
社会的な構造自体を変える ところまで行っていない
ということで、いっそう そういうことに配慮しながら、
力を合わせていく必要がある だろうというふうに思います。
20回シリーズそういうことで 締めくくりますけれども
今後とも、先ほど言いましたように
問題は、
山積みされているので
これからも次々といろいろなかたちで取り 上げていきたいと思います。
では、わたしの話はそこまでにして
ご質問、ご意見をうかがいたいと思います。