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カリフォルニア州 サンタクルーズ
[リップ・ジンガー スケータリティー ]
5歳の時にスケートを始めた
育ったのは サンディエゴとー
【スケートボーダー/アーティスト トーマス・キャンベル】 ロサンゼルスの中間のー
デイナ・ポイントだ
僕が生まれたのは 1969年
その後の 1974年から 78年というのはー
スケートボードが 急成長を遂げた時代だ
僕の家の近所では 男女問わず 誰もが滑ってた
13歳か14歳の頃 スケーターとしてー
新たな領域へと踏み出した
スケートが 生活の中心となったよ
当時はファン雑誌を 作ったりもしてた
17歳になった頃 文章を書き始めー
初の記事は『トランスワールド』に 載ったよ
その後 写真家になった
写真の基礎はないもののー
【アートディレクター アンディ・ジェンキンス】 彼には 写真家に必要な 〝目〟があった
僕も 海外での彼の撮影を 特集したことがある
詳しい内容は忘れたがー
彼は いつも凄い企画に 同行してたもんだ
分からないことがあると 電話をして聞くんだ
照明の使い方や レンズの選び方など 何でもね
そうやって写真家として成功し 今も続けてるんだ
トーマスの作品にはー
【アーティスト/サインペインター ジェフ・カンナム】 独特の魅力があるんだ
【アーティスト/サインペインター ジェフ・カンナム】 何を作っても 彼の魅力が
メールの文面でさえ 独特で すぐに彼からだと分かる
写真もそう 見た瞬間に トーマスの作品だと気づくよ
どの作品からも 彼の個性は ハッキリと見て取れる
- これは何?
僕が作ったジン
最初の頃は ジョーク集として まとめてたんだ
たしか 9冊ぐらい作ったと思う
9冊
高校生の時に オフセット印刷の勉強をしたんだ
これらのジンはすべて 刷版を作ってからー
自分で刷ったんだ
- オフセットで? - そう
下は紫色で 上は黒で
そうやって印刷した
このデザインも すべて僕が描いたものだ
ずっと作品を提供してきたのはー
『トランスワールド・ スケートボーディング』だ
この表紙の写真は スティーブ・オルソンだよ
確か ドイツで撮ったと思う
『トランスワールド』の写真はー
【写真家 ブライアン・ガバーマン】 どれもすごかった
【写真家 ブライアン・ガバーマン】 クレイジーな写真ばかりでね
カメラを巧みに 操ってるのにー
カオスでもある それが見事なんだ
意図的に狙ってるんだよね
ティム・ブラウチの写真
彼は僕の友人だったからー
長年 グラフィックを 任されていたんだ
これは〝モンスター〟で 撮った写真だ
通常 コンテストでは フラッシュ1つで撮影するんだ
でも僕は常識を破って フラッシュを複数取り出してー
みんなにパーク中に 散らばってもらった
トーマスとはー
【スケートボーダー トニー・ホーク】 雑誌『スケートボーダー』の特別号でー
一緒にコラボした
トムは 写真が持つ雰囲気に ものすごくこだわるんだ
彼の意見は貴重なものだった
多くを学べて楽しかったよ
自由にやれたしね
『スケートボーダー』の第2号だ
表紙の写真はリック・ハワード
砂漠にオブスタクルを作って 撮影したんだ
僕自身 各国を旅する中でー
他のスケーターとも 共有したかったのがー
スケートを通じて 世界を旅すること
前代未聞の試みだったかもしれない
第1号は ジェフ・ローリーー
スティーブ・オルソン ドニー・バーレーとモロッコで撮影
第2号の時はー
エイドリアン・ロペスと カイロ・フォスターを連れてー
香港と ベトナムに行ったんだ
一番気に入ってる写真
グラフィック的な写真が好きで これは 特に良く撮れた
1998〜1999年のことだ
スケートボードは 細分化されてしまった
技術を追求する ストリート・スケーター
プール・スケーター そしてバート・スケーター
それぞれの分野同士の 交流は減ってしまった
まるで敵同士かのようにね
僕は あの当時の雰囲気が 嫌いだった
それに 才能ある連中の多くが 無名だった
悔しくて たまらなかったよ
みんなストレスでダメになってた
でも各地にたくさんの パークができて以来ー
スケートボードに対する 人々の考え方は変わったと思う
今は みんなオープンだ
現代の子供たちには 壁が存在しない
パークやストリート 何でもありだ
僕にとっては それこそが スケートボードなんだ
だから再び作品を 作ろうという気になった
『ラブ・シュプリーム』 1995年
初めて手がけた映像作品は 『ラブ・シュプリーム』
スケートショップ 〝シュプリーム〟の依頼でね
当時 ニューヨークに住んでたからー
16ミリで ニューヨークの生活と スケートシーンを撮影した
当時 僕は いつもジャズを聴いていた
あの街にはジャズが似合う
『ラブ・シュプリーム』の撮影初日 初めて16ミリカメラに触れた
何も知らなくて 撮影しながら覚えたんだ
試行錯誤さ
最新作『クアトロ・スエニョス・ ペケニョス』ではー
夢のような 非現実的な 雰囲気を表現したかった
そういう思いから あの夢のシーンを 加えることを思いついた
当時の僕は ヨーロッパ映画に 強い感銘を受けていた
60年〜70年代の トリュフォー ゴダール ベルトルッチなどだ
作品の中で起こる出来事は どれも細かく 巧妙でー
一見 重要ではなさそうな 小さな出来事が重なりー
1つの印象的なテーマが 浮かび上がる
【スケートボーダー ハビエル・メンディザバル】 僕が住むスペインで 撮影しようと決まった
今回のテーマであるー
【映像作家/写真家 フレンチ・フレッド】 〝夢と現実〟を表現したくてー
ロケ地を探し回ったよ
世界中のー
【スケートボーダー マドラス・エイプス】 魅力的な地を滑れて 最高だ
スペイン最高峰の山を登ったり 雲の中をスケートしたりー
ビーチの岩の上を滑ったりね
撮影に参加できてよかった 最高に幸せだよ
作品を作り上げることは 旅をするのと同じだと思う
子供時代は 誰もが作品を作る
でも成長すると 人はそれをやめてしまう
芸術家ではなくなる
僕には 8歳〜13歳までの間ー
芸術的な活動を ほとんどしなかった時期がある
でも13歳の時に 芸術的な作品を 作りたくなった
周囲のスケートボーダーが クリエイティブだったからだよ
楽しんでいる彼らに 影響されたんだと思う
「彼らのように 楽しむ努力をしよう」ってね
当時は 下手だったけど 努力をし続けた
あれから31年程たったがー
今も旅は続いてるんだ
〝画家〟など 特定の芸術に こだわるつもりはない
ただ クリエイティブでありたい
目の前にあるものに 柔軟に適応したいんだ
それを教えてくれたのがスケートだ
スケートに出会い クリエイティブになれた
友達のジェレミーの家に 向かってるところだよ
彼の家には息子の クォーターパイプがあるんだ
それは...
低くて 腰抜けにピッタリな パイプだ
特に 僕みたいな腰抜けにはね
着いた
- よう - ハイファイブ!
【スケートボーダー イスラエル・フォーブス】 元気か?
【スケートボーダー ロジャー・ミハルコ】
トーマス・キャンベルが登場
『ミスティック・カップ』 プラハ 1995年
見事なインバートだ
スケートボードは 僕の人生だ
スケートのドキュメンタリーは 人生の記録だよ
ずっと滑っていたかった
撮影よりスケートしていたかった
でも金がなかったから 写真を始めてー
おかげで貧乏を脱出できた
スケーターだから スケートボードを撮影した
一番興味があるものを 撮影しただけなんだ
いいぞ いいぞ
僕が思うに スケートボードほどー
クリエイティブなムーブメントは 他にないよ
元スケーターのー
【スケートボーダー ジェイソン・アダムス】 グラフィック・デザイナーとかー
広告制作者 写真家 映画監督...
【スケートボーダー オリン・ボルゲソン】 他にもー
スケーターの スパイク・ジョーンズなんてー
アカデミー賞にノミネートされたし
スケート界にはクリエイティブな 人間がたくさんいる
何かを作り上げるDIYの精神に 満ちてるんだ
- かっこいいね!
世界中どこでもそう ヨーロッパだけじゃない
南アメリカ 北アメリカ オーストラリア アジア ロシア
アフリカも
世界中のいたるところで クリエイティブな作業が行われてる
本当にすばらしいことだと思う
フレンチ・フレッドなどは 現代を担うアーティストだ
ポンタス・アルヴもそう
彼らのスケートボードの 捉え方はすばらしい
アイデアが狭くないんだ
ルールなんて気にしない
スケートボードは アウトローの文化だからね
ルールなんてない やりたいようにやろうぜ