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夢とヴィジョンのテーマでの三度目の日曜礼拝となります。
どうしてかといいますと。
Timと二世たちと会合を持ちました。
個人的な夢や教会基準の夢を考えたときに
個人,教会,社会においての夢やヴィジョンを実現するには継続性が必要ということです。
先週はグループ議論をしました。
今日も同じです。準備はいいですか。
先週の議論で出てきた項目に先ず目を通してみたいと思います。
説得性のあるヴィジョン。
重要な点ですね。人々に説得性のあるヴィジョンを提示して覚えてもらわなければなりません。
覚えてもらえるためには,普遍性がなければなりません。
個人的なヴィジョンもより高い全体的なヴィジョンに結びついているべきです。
次の点にも関連してきます。
ヴィジョンは個人のレベルを超えるべきです。
真の夢は個人を超えて全体,公に向かいます。
より大きいものを考えてみましょう。
自分だけの幸福を考えるだけでは不十分で,他の人の幸福も考えましょう。
個人的目標に留まるのではなく超えていきましょう。
大伽藍について誰か話していましたね。シャン君でしたか。
昔,素晴らし大伽藍を人々は建設しましたね。
大伽藍を建設するためには,一人の建築家だけではできませんでした。
何世代も必要でした。
大伽藍を建立するためには息子へ,孫へと何代にも渡って引き継がれていったのです。
今の時代なら超高層ビルでも二年ほどでできてしますでしょう。
一人に建築家の履歴書では一項目に過ぎないでしょう。
大伽藍が5世紀,6世紀に建立された時は状況が違いました。
一つのヴィジョンが数世代を跨いたのです。
それがいいヴィジョンというものです。
あるヴィジョンがその人個人の時に成し遂げられなかったとしても,それはその個人,その人の意思から出発するのです。
私たちの中に情熱とかいうものがなければなりません。
夢は常に内側から来ます。外から押されて来るものではありません。
外側から押し付けれるようなこともあるかもしれませんが,それは本当の夢ではないでしょう。
ヴィジョンは内側から来なければなりません。
これは実用的な提案ですね。
夢を書き留めましょう。
時折思い返すために。
夢を追い続けるために。
現実的なことは大切です。夢やヴィジョンは現実的でなければなりません。いつかは実現可能なものでなければなりません。
誰かが言いましたね,若い時は夢やヴィジョンを持ちやすいと。
まあ,そういう意見もあるということです。
私のように年をとっていると諦めてしまうかもしれませんとか。
けれども,私たちは諦めてはいませんよ。まだここに立っています。
若ければ,より容易ということです。
より容易になるには力と刺激が必要になります。刺激が必要です。
わくわくさせてくれる
環境が周囲にあることが必要です。
良き友人や知人によって励まされたり。
聖書,原理,自叙伝などのみ言葉も私たちを刺激してくれます。
刺激を受けるための方法はいろいろありますね。
私たちの内にある夢を常に養わなければなりません。
先週の討論でいいものが出てきたと思います。
今日はどうなるか楽しみです。
聖書や真のお父様が夢やヴィジョンについてどのように言っているかみてみましょう。
ヨハネによる黙示録 21:
見えますか。これはクリスチャンの2000年間の夢です。
私が若い時には,このことは重要な意味を持っていました。
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り、
海もなくなってしまった。
また、聖なる都、新しいエルサレムが、神のもとを出て、天から下ってくるのを見た、
夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、
「見よ、神の幕屋が人と共にあり、
神が人と共に住み、
人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。
数多くの人々がこの夢を数千年間持っていました。私たちの夢はこれ以上のものですね。
私たちの夢は天国です。
今日は,カトリック教会では再臨についての箇所を読んでいるでしょう。
問題は,主が再び来られるときに,地上に信仰がみられるかどうかということです。
問題は正にここなのです。
キリストは天国を創るために来られました。
真のお父様は「アメリカに対する神の希望 」の中で語られました。
今こそが神様の本然の理想が初めて実現される日です。
今こそが神様が人間と一緒に暮らすようになる日です。
神様が喜びに満たされるのです。
神様ご自身の息子である完成した第三アダムが地上に全く新しい歴史を開くのです。
その日には私達は神様の生きた似姿になるのです。
神様が地上に彼の王国をもたらすのです。
これが真のお父様の夢です,ヴィジョンです。
朝起きたら天国であったというように簡単にはこの事は起こりません。
真のお父様は,何度も繰り返して言われますが,私たちが本当に地上天国を望むならば
私たちの手でなさなければならないのです。
どこから始めるのでしょうか。
ここ地上から始めるのです。
しかもどこでもいいというのではなく,最も困難を極める場所,即ち地獄からです。
地獄とは,とても厄介な,私たちの限界線にあるとても難しい場所です。
そこから神の王国が始まるのです。
これが救世主が成そうとしていることです。これが彼のヴィジョンなのです。
どん底から天国が始まるのですね。
私たち家庭教会員はそういうことが得意です。地獄を潜り抜けてきました。私たちの霊的な生活。
教会は朝鮮半島から始まりました。あの車輪を思い浮かべてみてください。
最初はそれだけだったのです。それと夢だけ。
看板には世界基督教統一神霊協会とあり,なんと大きな夢なのでしょうか。この小さな車輪が世界中の基督教を統一するというのですから。
これが私たちの教会が通過してきた道です。
私たちは最悪の場所からとてつもなく大きなヴィジョンを持って出発したのです。
そして,私たちは実際に正しい道に来ているのです。
真のお父様はこのことについて暫し語っています。少し見てみましょう。
ある人が底辺いて,しかも並の段階にさへ至るまでには百万年先だということを知っているとしましょう。
その人がその目標のためにただ無神経に突っ走ると思いますか。
いいえ,人間というものは自己の位置と燦燦たる目標を明確に見たいと思うのです。
そうなれば人はそのも苦境に向かって一所懸命に向かうことでしょう。
私たちは考えられる限り最悪の場所から出発するわけですが,
ある意味で地獄からです。地獄とは何か人によって理解は異なるでしょうが。
その地獄にとどまっていてはいけません。そうなってしまっては,最初の段階へ出発することさへ失敗してしまいます。
例えひどい場所にいるとしても,天国へ目を向けているべきではないでしょうか。
自身の中にしっかりと目標を持っていなければいけません。
悲惨な場所であったとしても目標が捉えられて入れさへすれば,それを成し遂げようという強い意思がでてくるというものです。
これば真のお父様の言われることです。
実際にこのような考え方は使われています。私は勤め先で業績分析をしたことがあります。
大体こんなことをするのですが,ええと,地獄からではなかったのですが,
現状分析する時というのは,状況が好ましくない時ですよね。どこに向かっていけばいいのか。目標はどうしたらよいのか。
皆,一緒に座って,議論を重ねます。「私たちはかくかくしかじかの目標を....」
そして現実と目標の間にある大きな隔たりに気が付きます。
そこで現実と目標に橋を架ける実行計画が必要になります。There comes an action plan to bring us over to reach the goal.
真のお父様が話される時にはもっと劇的ですが。
霊界と地上界について読んでみましょう。
私たち一人一人が理想世界創建に参加しなければなりません。
真理を学び開拓者の立場に身を置いて完全投入しなさい。
朝起きてみた地上天国ができていたらいいなどと待っているというのは無責任です。
そのようなことは決して起きません。
真のお父様はここで天国は私たち自らが建てるものであるといっています。私一人一人がです。
それしかないのです。誰かがやってくれるだろうと期待してはいけないのです。
面倒だと思う人もいるかもしれませんが,私はこれは祝福だと思います。
私たちが私たちの手で建てるということは,私たちに責任がるのです。私の責任です。
私ができるというのです。これは祝福です。
祝福といえば,持っている夢をどのように成し遂げるかということを考えます。
神様は私たちに三大祝福を賜りました。個性完成,自己開発,すなわ神様への私たちの関係のことです。
次いで,家庭における人間関係,そして社会,世界における関係。次いで自然への関係のことです。
私たちにはすでに三種の神器があるのです。
ですから誰でも天国を創建する可能性があるのです。
さて,今日も本題の議論をしていきましょう。
これが今日の議論の項目です。
私たちの共通のヴィジョンとは。私たちの周囲を一つにできるものとは何か。次の段階とは。
教会の共通ヴジョン,或はスウェーデンのまたは世界の共通ヴジョンを考えてもいいですよ。
なんでも一番関心があるものでいいのです。
最も大切なことは私たちの周囲を一つにすることができる何かを見つけることです。
これが先日の一世と二世との会議で出てきた課題です。
一世と二世を一つにしてともに歩むことができるヴィジョンが必要です。これを話し合ってみましょう。
最後の項目は次の段階です。