Tip:
Highlight text to annotate it
X
今からちょうど66年前の今日のようにとっても寒い凍てつくような冬空の日に
私は畑の中で生まれたんですね。
2000gにも満たない未熟児で生まれましたので、
呼吸も上手にできずに瀕死の状態だったようです。
父は、母が野良着の中に産み落とした私を拾い上げて
頬かむりをしていたタオルの端をビリっと切りまして、
御へその緒をしっかりくくって、
すぐにカマで御へその緒を切って
そしてすぐさま私を懐の中に入れて
母はリアカーに乗せて、
畑から近かった産婆さんのおうちにかけこみました。
産婆さんは私の顔を見て、
「ああ、この子はもう助からないかもしれませんね。」 っておっしゃったら、
両親は、 「あ、いいんです。」 って言ったらしいんですね。
そういう時代だったんですね。
でも、御産婆さんは、 「とにかく一度預からせて下さい。」 っておっしゃってくださったようで、
昼間お家にいらっしゃるときには、私を一日中胸に抱いて、
そして、自分がお仕事に行かれる時には、家族に私を託して下さって、
また、寝間で寝るときには、寒くないように、
一升瓶にお湯を入れて、それを布でくるんで、
私の周りに並べて頂いて暖かい環境を作って下さったようです。
上手におっぱいを飲めなかった私は、
3ヶ月の赤ちゃんを育てていらっしゃる、 産婆さんのお乳を頂いていました。
その産婆さんは一生懸命おっぱいを絞って下さって、
それを脱脂綿に染み込ませて私に飲ませて下さったんですね。
そのお産婆様と家族の方の献身的なケアで私の命は救われたのです。
三ヶ月経った時に私は産婆様に抱かれて家に戻りました。
「もう大丈夫ですよ。」って 産婆さんが家族に渡そうとされると、
私が生きていたことがビックリだったようで、
家族全員は、「えー生きてたの?」って言ったんですね。
産婆様は、 「この子に名前をつけてあげてくださいね。」って言ったら、
おじいさんがすぐに 「産婆様のお名前を下さい。」って言ってくれたみたいで、
それで産婆様と同じかずこという名前が付けられました。
命は救われたんですけど、
虚弱であったことは確かでしたでしたし、
産婆様は私の体のことをとっても心配して下さいました。
村で遊んでいると、私にこっそり飴玉をくださったりとか、
御砂糖の塊をくださったりとかして、栄養状態にとっても気を使ってくれたんですね。
私にとってその産婆様はもう第二の母のような存在でした。
自然に産婆様の後を追うようになりまして、
村で遊んでいて産婆様の姿が見えると追いかけていくようになりました。
そうすると産婆様は 「赤ちゃんのお風呂を見るかい?」って誘ってくださったりとか、
「今日今から赤ちゃんが生まれるよ。お家の人がいいって言ってくれたら入ってみるかい?」とか言って下さって、
私はもうそれがうれしくって 何人も何人もの赤ちゃんのお風呂を見せて頂いて、
お産もたくさん見せていただきました。
村では、もう私は産婆さんについてくる子だということで有名になっていたようです。
その産婆さんの赤ちゃんのお風呂をされる手は、
もう本当に綺麗で、
お湯の中でお魚が泳いでいるような手つきで、
もう本当に素敵だなあ、と思ってみていましたし、
お産の時には、産婦さんの背中を優しく優しく撫でていらして、
その手が輝いているように見えたのですね。
ああ、お産ってこんなに優しくて素敵なんだって言うのが、
子供心に私の胸の中にストンと落ちてきました。
小学校の4年生ぐらいでしょうか?
産婆様が 「あんたは大きくなったら何になるの?」 って聞かれて、
私はすぐさま迷わずに 「産婆様のようになりたいです。」って言ったのを覚えております。
ずいぶんと回り道をしたんですけども、
28歳になった時に、助産婦学校に入学することが出来ました。
そして一年間の勉学を終えて、助産婦の免許を頂くことが出来たのですね。
そしてその助産婦の免許証を、両親ではなくて、産婆さんに一番に見せに報告に行きました。
もう、とっても喜んで下さって、「よく頑張ったねー。年取っていたのに。」って言われて、
「でも、本当に良かった。おめでとう。」って言って下さいまして、
で、しばらく間をおいて何をおっしゃるのかしら、と思ったら、
「あのね、助産婦は賢くならなくていいの、勉強なんかしなくていい。」
「とにかく産婦さんに優しくしてあげて頂戴。」っておっしゃったんですね。
この言葉が、私のその後の助産婦人生の座右の銘になりました。
そして病院で働くようになりまして、
病院で働いている間、900人の方のお産に出会わせて頂くことが出来たのですけれども
私の描いていたお産のイメージとは全く違いました。
ほとんどの産婦さんは分娩台に仰向けに寝さされて、
そして、お産の時間を操作するお薬は普通のように使われていました。
私はやさしくという事をこころに刻んで働いていましたのに、
何もいいお手伝いができなくてとっても心が痛みました。
なんとか、頑張ってみたいと思ったんですけれども、
なかなか 暖かくて自然なお産の実現が難しかったです。
元々、私の命の恩人の産婆さんのような働きをしたいと思って助産婦になりましたので、
10年間を区切りに病院を退職致しました。
そして、地域で開業することになったのですね。
開業してまもなく、妊娠5ヶ月の妊婦さんが、
自宅分娩の お手伝いをして欲しいという依頼をして下さいました。
そしてその方のおうちに初めて、妊婦さんの診察に行ったのですけれども、
その妊婦さんは、 お腹の中の赤ちゃんに向かって
「助産婦の左古さんだよー、いまからあなたとお母さんの二人の診察を してくれるからね」っておっしゃったんですね。
この二人の診察っていうのに私はびっくりしたんです。
もちろん妊婦さんの診察は、お腹の赤ちゃんと、そしてお母さんの診察ではあるんですけれども、
このような言葉で具体的に学校でも、病院でも習いませんでしたし、聞いたこともなかったんですね。
改めて、妊婦さんの診察は、お母さんとお腹の中の赤ちゃんの診察をするんだから、
お腹の中の赤ちゃんにもきちんとご挨拶をしないとって思って
ご挨拶をして自己紹介をして診察をさせていただくように心がけました。
そして、その方の自宅分娩は、もう本当に素晴らしいお産で、
家族に囲まれて、家の中を自由に動きまわって、
立ったり座ったり、叫んだり泣いたりしながら
ご主人にも甘えたりしながら、本当に自分自身をいい意味でさらけ出してお産して下さって、
私今でもたくさんの幸せを頂いたのを覚えております。
私はこういうお産をしたかったんや、って改めて思いましたね。
でも、その一方であの病院で出会った900人の産婦さんたちに心の底からあやまりたいって思いました。
もっともっと心を尽くすべきだったと。
本当に大きな反省が残ってしまいました。
それから三年ぐらい経った時に入院分娩をお受け出来る助産院をスタートさせました。
そこでは、約900人近いご家族が、
本当に自然で暖かくってリラックスしたお産をして下さいました。
いまからその一つの家族の方のお産を見て頂きます。どうぞ。
いかがでしょうか?
ありがとうございます。
私は、日本の女性も、そして世界中の女性も、こんなふうに幸せなお産をしていただきたいな、
私のお産は幸せだったって言って頂けるようなお産のお手伝いをしたいなと思ってやってまいりました。
開業して10年経ったときに、
ブラジルのお産が、とっても非人間的なお産をされているというのを知りました。
私立の病院では、90%以上の方が、本当は必要のない帝王切開術で赤ちゃんを迎えていらっしゃるというのも聞きました。
同じ地球上で住んでいながら、一方では、とても幸せなお産をする人もいる、
でももう一方では、人間としてはこころが痛むようなお産をさせられているというのも知って、
なんとかならないかしらと思って心が騒ぎました。
そんな時に、JAICAの方からブラジルに行ってそして、
日本のお産のいいところを伝えてもらえませんか、
そういうプロジェクトをしているので、参加して欲しいというお話がありました。
でも実は、私はとっても飛行機恐怖症なんです。
ですから、いままでどんなに素晴らしい魅力的なセミナーや学会が海外で行われるといってお誘いがあっても
全部断ってきたんですね。
でも、ブラジルの話の時には別でした。
もう迷うことなく行きます、行かせて下さい、って答えてしまってました。
なにかしら大きな力に突き動かされているような気がして、
私の体中の血が騒いだんですね。
1998年から夏限定で三回、ブラジルに渡ることになりました。
飛行機が怖い私は、機内では寝ているしか無いと思って、リキュールをしこたま飲みました。
そして、それでも何度も何度も墜落する夢を見て、
そして30時間かかってブラジルに着いた時にはもうふらふらでした。
でも、私の体の中の血が騒いで、こりもせず、また翌年もその翌年も三回も行ってしまったんですね。
でも、ブラジルのお産を何とかしたいという思いが強かったのです。
ブラジルでは、准看護婦さんという、お産の現場で働いていらっしゃる方のトレーニングから始めようということになりまして、
一年目はそれに取り組みました。
彼女たちの素晴らしさは、素晴らしい実行力というか行動力なんですね。
日本のお産のビデオを見ていただいたり、お話をしたり、
そして、実際にお産のことを役割分担しながらロールプレイングなんかしたりしますと、
わかった、これはいいことだ、と言う風に納得すると、もうその日のうちに現場でやってのけるという実践力なんです。
ですから、毎年毎年夏にブラジルに渡りますと、もうどんどんどんどん、ブラジルのお産がいい風に変わっていました。
プロジェクト終了の5年目の時には、もう助産婦のいない国、ブラジルではなく、助産婦教育が始まっておりました。
助産院ゼロだったのが100ぐらいに増えておりました。
本当に見事に、人間的なお産に向かって走りだしたなあという確認をすることができたんですね。
で、本来お産というのは、女性の多くは自分の力で赤ちゃんを生み出す能力を持っています。
そして、赤ちゃんも自分の力で生まれてくる能力を持っているんですね。
助産婦が産ませるのではなくて、お母さんとあかちゃんが力を合わせて生み、生まれるのです。
でも、妊婦さんや若い女性の多くの方は、
お産は痛くて辛くて苦しいって思ってらっしゃる方がずいぶん多いように思います。
でも、決してお産は辛くて痛くて苦しいだけのものではないのです。
自然なお産には、必ず痛みと痛みの間にお休みがあるのです。
そして、よくテレビで報道されるような、急激に耐え難いお産が始まるようなお産はありません。
徐々に徐々に痛みが強くなってきて、そして最後に赤ちゃんが生まれるんですね。
ですから、ほとんどの女性はそれを乗り越えていけるはずですし、
私が出会った女性たちはみんな乗り越えていって下さいました。
できるだけ私は、お産をあるがままの姿でしていただきたいって思っています。
お産の時に痛かったら痛いって言っていいし、泣きたかったら泣いていいし、
喜怒哀楽を思っきり出しきってお産していただきたいなって思っています。
そして、そのあるがままを出しきった、 丸ごとを私たちは受け入れたいと思っています。
あるがままを出しきってお産をされた方は、
そして赤ちゃんを大事にされたお産、 そして自分も大事にされたお産をされた方は、
その後の人生が大きく変わっています。
子育てにもいい影響が現れています。
赤ちゃんがいよいよ生まれるという瞬間に、
家族がガチっと固まって、一つの大きな絆が生まれることもあります。
時々とっても感動的なお産に出会うこともあります。
いよいよ赤ちゃんが生まれるという時に、
とっても素敵な夢見心地の表情をされる方があったり、
セクシーでうっとりするような表情でお産をされる方があるのですね。
そういうときは私は、その産婦さんの邪魔をしないように。静かに見守ります。
そして赤ちゃんがお生まれになってから、
しばらくして、とってもいいお顔をしていましたよ。 っていうと、
本当に心地よかったの、もうすぐにでも産みたい。 っておっしゃる方もいっぱいいらっしゃるんですね。
このようなお産は、 人生の選択と同じで、選ぶことが出来るのですね。
どこで、だれと、どんなふうに産むか、
例えば、自宅であったり、助産院であったり、 病院であったり、
そして、 夫と一緒に子供たちと一緒に、
そして、自由に動きまわって、 立って生んだり、座って生んだり、
お風呂の中で水中出産、 海辺で生んだっていいんです、
お産をする主役の女性が選べるのですね。
ぜひ、大切なお産を他人任せにしないで、自然分娩が出来る体に整えて欲しいと思っています。
そのためには、 食べ方はとても大切です。
そして、生活スタイル、一日の過ごし方、 気持ちの持ち方、
いろいろと見なおしていただいて、
頑張っていただきたいなって、思っております。
私は、ご家族とそして、産婦さんと、そしてご家族のために頑張っておりましたけれども、
あかちゃんというのは、 自分の力で生まれてくるっていうのは先程も申しましたけれども、
おさんは赤ちゃんはあるいみ命がけで出てくるんですね、
そして、その命がけで出てくる赤ちゃんのためにお母さんとしては、
自分の命を掛けてあげて欲しいとおもいます。
そして、その赤ちゃんとお母さんの支えをご家族や私達助産婦がするべきなんだと、思っています。
そうすることで、その後の家族の有り様とか、人生が豊かになることに繋がるような、
そんな思いでおさんのお手伝いをさせていただいております
それらはすべて、お母さんやご家族が決められたらいいと思うのです。
産み方は生き方です。
決めるのはあなたなんですね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
自然なお産をされるっていうことで、単に産み方が変わるということだけじゃなくて、
人生が変わる、生き方が変わる、というようなことをおっしゃられましたけれど、
なぜ、そこまで生き方が、その方の家族関係とか、人生まで変えてしまうのか?
もうすこし、よろしければ、おきかせ下さい。
はい。
私はよくお産の時には、自分をさらけ出して下さい。って言っています。
そして、喜怒哀楽も出して下さい。
人生の喜怒哀楽を凝縮したようなのがお産にもありますよ。
悲しかったら悲しいって言ったらいい、
痛かったら痛いって言ったらいい、
こんなのいやだったら嫌って言っていい、
でも途中下車できない、
だから頑張られるんですけど、
でも、その喜怒哀楽を出して下さったことが、
それを私達が丸ごと受け入れたことが、
お産をされる産婦さんにとってはとっても重要で、
あのとき私はまるごとうけいれてもらえたという思いがあると、
子育ての時に、子供がこんなの嫌だ、っていっても、
うーん、そう嫌なのかそうかそうかって、
言ってやれるお母さんになっているっていう、
子供の喜怒哀楽も受け入れられるお母さんになっている、
そして、夫とも、そういう関係になっていく、
ていうふうな気がいたしております。はい。
どうも、左古さんありがとうございました。
ありがとうございました。