Tip:
Highlight text to annotate it
X
私達で解決しよう、多民族融合問題というお話をしたいと思います。
Husbyで最近、若者の暴動事件がありました。
家屋や自動車などが壊されたり火をつけられたりしました。
最初はHusbyから始まりました。
その後、ストックホルムのあちこちに広がり、 スウェーデンのほかの場所にまで飛び火しました。
Husbyから全てが始まりました。私はKistaに住んでいます。
Husbyから地下鉄でたった一つの駅しか離れていません。
他人事ではありません。
一方、近くに住んでいる割には余り実感がないという面もあります。
私の子供達が通ったモンテソーリ小学校にも火をつけられました。
夜にパトロールしている人達がいたのですが。 親達が一年中パトロールしているのです。
彼らが様子を見に来たときは問題はありませんでした。
暫くたちもう一度見に来たときには屋根が黒焦げになっていたのです。
悲しく残念なことに、 この学校にはHusbyから多くの子供達が通っているのです。
Husbyには余りスウェーデン人が住んでいません。親達は、子供たに Husbyだけはでなく、スウェーデン人と移民たちが一緒に住んでいる環境で 学ばさせたいと願っているのです。
私の子供達がこの学校に通っているころは Husbyからの友達がたくさんいました。
ですから、この、けなげな学校がこのような暴動の犠牲になり、心が痛むのです。
とにかくHusbyは有名になりました。
世界中で有名になりました。 CNNやBBCでHusbyと検索すれば沢山の記事が見つかります。
直ぐ近くで起こっていることなのですが、CNNとかBBCのニュースで報道されて いるのを見ると何か地球の裏側で起こっていることのようにも感じられ奇妙です。
実際は、地下鉄でたった一つの駅の処なのです。
外国記者達はこの暴動がスウェーデンで発生した事に驚いています。 スウェーデンはある意味でモデル国家です。 私達はとてもうまくやっているのです。
社会的平等。貧富の差が余りない。
けれども暴動が起こりました。
外国の記者達は暴動の原因を探ろうとしました。
人種問題を抱えている英国、フランスの旧植民地とか アメリカでそのような暴動が起こるのならともかく、
なぜ、スウェーデンで?
英国の新聞で専門家五人がこの暴動の理由について解説しました。
難航し、かえってわからなくなりました。 五人の専門家が五つの異なる説明をしました。
説明は色々つけることが出来ます。
失業、犯罪、左翼分子の扇動、
多くの移民達が同じ地域に集中して棲み分けられていること、 社会における不平等。
学校での躾がなっていないとの指摘もありました。 家庭崩壊。 これらの全てが当てはまっているともいえるでしょう。
息子にこの件でメールを出しました。彼は移民についてよく知っています。
日本で生まれ、この国に幼い少年の時にやってきました。
今は、ノルウエーで外国労働者として働いています。 若い人生の中で二度も移民の経験をしています。
彼は、この問題は不平等への欲求不満と無分別が原因といいます。
私のかわいい息子は、ちゃんと食べているかとか、 そこでの生活とか仕事ははどうかだとかいう質問には少しも答えず、
しかし、現代スウェーデン社会での移民問題には関心を示し、
長い文章を書いてきました。
説明は一つだけではありません。
Martin Luther King も暴動について述べています。
暴動の限界は、勝利がないということである。 暴動に加担している人達自身もそのことを知っているのである。
ゆえに、暴動者は革命家ではなく、反動者である。 なぜなら敗北をもたらすからである。
彼らは気持ちがすっきりするかもしれないが、後には絶望感が待っている。
テレビの報道では、13歳ぐらいの子供達が 建物や車などに火をつけて面白がっているといっている。
彼らは決して革命家ではなく反動者である。 社会から、かえって反対されるでしょう。
仕事の帰りに、Akala行きの地下鉄に乗りました。
この地下鉄はHusbyにも停まります。
私の前のある老婦人が電話をかけていました。
「帰っても安全ですか。家に帰れますか。」
電話の相手は、もう騒ぎは静まっているので帰ってきても大丈夫との返事でした。
彼女はHusbyに住んでいるに違いありません。
だから電話をかけたのです。安全かどうかを確かめるために。
駅ではスウェーデン人と移民の子たちのグループがたむろっていました。
お酒が入っているようで、とても愉快そうです。
大声で騒いでいて、何もかも楽しそうです。
この女性はHusbyに住んでいるスウェーデン人です。
この子達の声を聞いているだけでも、 世の中が変わったしまったことを感じます。 もう昔のようではありません。
Martin Luther Kingは絶望感について述べています。
残念ながら、そのとおりだと思います。 絶望感
何もかもこれらの若者達に背を向けています。
絶望感の原因は何でしょうか。
それは社会的拒絶でないでしょうか。
彼らは私達と一緒ではではないとか。
拒絶されているという意識
これはHusbyだけの問題ではなく、一般的な問題です。
拒絶されているという意識、歓迎されていないという感覚。
心理学ではこの問題について余り研究がされていませんでした。 ここ10年ぐらいでしょうか。
この拒絶という事は私達の全ての生活面に深く影響を及ぼします。 愛する人に拒絶される、就きたい仕事に拒絶されるとか。
親子の間柄で、友達関係で、学校でも拒絶ということが起こります。
実に様々な局面で私達は拒絶を覚えます。
恰も私達の価値が他人によって決められているようですね。
対人関係が得意な人もいます。
そういう人は受け入れられやすいでしょう。人に好まれるでしょう。
一方好まれなければ、 私達は無価値になると信じ込んだりします。
例外もありますが、 しかし一般的に私達の価値が他人によって決められています。
私達の価値とか感情を決定する鍵を他人に預けるという過ちを犯しています。
脳の中では、拒絶されたのと腕を折った場合の痛みは同様なものだそうです。
脳はこれらの二つを区別しないのだそうです。 脳内では同様な反応が起こるということです。
私達はどこかに長期的に属していなければならないという 基本的な欲求があるのですね。
拒絶されたときに何が起こるのでしょうか?
私達の中で一体何が起きているのでしょうか? What happens inside of us?
怒りを覚えたり、心配になってきたり。
嫉妬したり、悲しんだり。物事を悲観的に観ます。
新しいことを学ぶことが難しくなります。
情緒を抑えられず、健康を害する場合もあります。
私達には二つの道があります。
第一の道はカメレオンになることです。
仲間に入れてもらうために何でもするということです。
物事がうまくいくように周囲に自分を合わせます。 周囲の空気を読むのが得意です。
ますます人付き合いが良くなっていきます。
他の人が望むように妥協をしていきます。
自分自身を失いそうですが、しっかっりと残っています。
もう一つの道は、怒り、攻撃的になり、暴力的になります。
これは面白い写真ですね。元のビデオを見ましたが、このボデービルダーがHulkenです。ドクターの役を演じてい人もいます。
このシリーズでで注目に値するのは、 彼がHulkenに変身することを恐れているということです。
彼は自分が感じる暴力性や攻撃性を恐れているのです。
他人を傷つけるのを恐れていますが、 彼が激しい怒りを覚えると凶暴なHulkenに変身してしまうのです。
ある状況下では、私達は抑制していた感情が出てしてしまう場合があります。
2013年にLearyがなした学校問題の研究があります。
校内で生徒が発砲し他の生徒を殺害するという、 所謂スクールシューティングです。
50の事件について調査をしました。
内30名は人生で社会から拒絶され、 そのような銃犯罪の原因になったといいます。
私達は自らの道を自分で決めていきます。
もっとも危険なことは拒絶されることでは実はありません。 誰しも拒絶されるということは経験するものです。
問題はこのことが私達の霊的生活に どう影響を及ぼすかということです。
Henri Neuwenからの引用です。
彼はオランダ出身のカトリックの神父さんで、40冊の本を出しています。
歳月を経てわかった事は、人生最大の落とし穴は成功、 名声や権力ではなく、自己拒絶にあるということです。
成功、名声や権力は確かに大きな誘惑ではありますが、
それらの誘惑的な性質はしばしば自己拒絶への もっと大きな誘惑の一部としての過程から来るのです。
私達は無価値だとか愛を受けるに値しないといった声を信じるときには、
成功、名声とか権力は 魅力的な解決方として安易に思ってしまうでしょう。
本当の罠は然しながら自己拒絶なのです。
誰かが自分を批判したり責めたりするや否や、 拒絶されたり、取り残されたり無視されたりするや否や
「結局私は取るに足らない者なんだ。」 と考えている自分に気が付くのです。
[私の暗部が囁きます]私は良くない、 追っぱられたり忘れられたり拒絶されても当然なんだ。
自己拒絶は霊的生活にとって最大の敵です。なぜならばそれは私達を 「慕わしく」呼んでくれる聖なる声に矛盾するからです。
「慕わしい」存在であることが私達の存在の核心的真実なのです。
私達が仲間外れにされたと感じたとき、私達が受け入れらなかったりグループに属さないと感じる時私達が蚊帳の外にいるとか拒絶された時 それらを対処することを学習することが可能です。
もし誰かが心の奥にまで入ってきてしまい、とうとう
「私はだめなんだ」とか「ここに私の場所はない」とか 自分で自分を拒絶し始めたら
又は、自分から外に出ようと決めたら、
又は、外にとどまっていようと自ら選択するとしたら、このことこそが危険なのです。 こうなってしまっては、神様も近づくことが出来なくなります。
私達が一緒に中にいようと願わず、外に留まろうと思うならば 問題を解決することは出来ません。自分で自分を傷つけてしまいます。
文先生はどうされたのでしょうか?
先生は独自の方法があります。
先生は言われます。
私は迫害を国家レベルや世界レベルで受けた。
しかし皆さんは皆さんのホームチャーチで迫害されている。
このことは、人種差別者による拒絶、共産主義者による拒絶、 国家による拒絶の全てを代表しています。
常に受ける迫害に対して感謝しなさい。
そして堕落の基準を超えることに拍車を かけるためのエネルギーに付け加えなさい。 文 鮮明 師 1979年5月27日
文先生は拒絶されることのマスターです。
彼はあたかも人々にどちらに付くのか、はっきりしなさいと挑発しているかのようです。社会に私達が受け入れられることはとても大切な事ではあるのですが。
彼はそこからエネルギーが得られるというのです。
1970年代にアメリカで、あらゆる方面から 迫害を受けているとき次のようなことを言っています。
個人、家庭、ついには国全体から。しかし耐えるならば、サタンは退く。
これは究極的な宗教的手法です。
歴史の中で何かが誤ってしまったのです。
この世界はあるべき姿になっていません。善と悪の闘争があります。
善と悪の闘争に勝利するとは自分に打ち勝つことです。
今だけの話ではありません。毎日の戦いです。
私達は宗教的問題解決を採りますが、 私達が信じているのは何でしょうか?
文先生は言われます。
人種間の調和をもたらす最短道は国際結婚です。
二つの全く異なる文化や環境的背後からくる男女が 神の愛で一つに成るべきです。
これが調和と統一を成就させるのです。
私達はこのような理想を成し遂げるためにいるのです。
偉大なことを成し遂げるためには、大きな愛の力を見つけなければ成りません。
そのような絶対愛の力は究極愛の力からのみ来ます。
この愛は社会や環境の変化によって、さっと過ぎていく愛ではありません。
究極愛のみが国家や人種や知識の壁を超越することが出来るのです。
次の引用です。
人類歴史の中で数多くの人種や国家が お互いに敵として戦い分裂してきました。
私はこれを解決したいのです。
新しい心情的な絆を開拓しましょう。
統一教会は国際合同結婚によって国家間の壁を崩し
速やかな心情的な蕩減の基盤を作っていくのです。
このような結婚を踏み石として、地上地獄から天国へと飛び出していきましょう。
最後に
文鮮明先生の最大の貢献は全人類を共通目標の下に導き 神の愛を中心として一つの和の理想を実現することです。
私達はここで文先生が述べているような人々ではありませんか。
私達は国際結婚をしている者たちです。
私達は国際的ではありませんか。私達は文化の多様性をもっています。
私達はこのような理想を実現する大きな能力を持っています。
過去を見てもこのような国際的なグループは存在したでしょうか? 私は知りません。
スウェーデンではスウェーデン同士で結婚したカップルはいません。
ここにいる誰もが今までに別の国で生活し歩んだ経験があります。
少なくとも外国から配偶者を連れてきています。 彼らはこの国に合わせなければなりませんでした。
私達の経験を本にして出版したらどうでしょうか?
私達全員の経験を集めるのです。
私達は移民についての熟練家でよく知っています。
新しい社会への融合ということをどうしたら成せるでしょうか?
どんな助言が出来るでしょうか?
少し集めてみました。
先ず第一に人のために生きるということです。
奉仕し、助けるということです。
別な国に、様々な理由で行くでしょう。私達は自分達の新しい人生のため とか、新しいキャリアのためとか。
いいえ。私達はその国を助けるために行くのです。
何を奉仕できるか、与えられるかということを考えます。
与えるということが持って重要です。何が出来るのか?
移住とか移出する人々は、普通はこのようには考えないでしょう。
その国を助けるために移住しようとする人は余り多くないでしょう。
人々は何かを得ようとして来ます。スウェーデンはいい国だ。 多くの支援、補助が得られる。よし、行こう。
しかし、私達は違うのです。
み旨のためです。
天の父母様のために。
人々に奉仕するだけではなくみ旨を実現するためです。
そのために全力を尽くすのです。
神様には計画があることを知っています。摂理というものがあります。
私達の教会の目的はこの地上に神のみ旨を実現することです。
私達はただ隣人と仲良く生活すること以上に 彼らと一つにになれるよう目指すのです。
多かれ少なかれ私達はこの地上に神のみ旨を実現するために 奉仕したいという目標を持っています。
無条件に愛しなさい。
私達は異なる文化、人種や言語の人々と
交わる訓練を積んできています。
私も若しこの運動に参加していなかったならば、 私の今周囲にいる人々とは一緒にいなかったでしょう。
全く別の道を行っていたと思うのです。
普通なら自分からは選ばないような人々と話をしています。
私達は本当に無条件に心を開いてきています。
人々の外見や思想にとらわれずに誰にでも機会をもちたいと思っています。
少なくとも努力しています。
別のポイントは、最初の一歩を踏み出す事です。
率先して行動し、渉外し、仲良くなることをしてきています。
私達は多くの文化や環境に入っていくことが上手です。
与えることが得意です。相互授受関係も得意です。
移住問題の懸念の一つは私達スウェーデンの人は多くの移民を受け入れ、 彼らが社会に入れるように私たち自身をオープンにしたのです。
このようになっていくのですが。
しかし、移民たちも又溶け込む意思をもつという責任があるのです。
両方から働きかけなければ成りません。両者です。
これが私達が実践している相互授受関係です。
これが授受作用の原理です。
片方だけが努力するだけでは不十分です。 うまくいくためには両者が努力しなければならないのです。
最後に、重要ですが、家庭です。
実際、家庭は私達が持っている全てです。
二世の民さんには少しプレッシャーのように聞こえるかも知れませんが、
家庭と子供達は私達の信仰と生活の結実なのです。
家庭では多様な問題を経験します。
私達はよくコントロールしていると思います。
私達の子供のうち誰も自動車に火をつけたりしないでしょう。
そんなことは起こらないでしょう。
幾つかポイントを述べてみました。
皆さんも色々経験や知識があり、共有できたらいいと思います。
社会はそのような知識と私達のような人を必要としています。
気が付いていないかもしれませんが私達は熟練家なのです。
移民問題には私達に出来ることが多くあります。
私達は熟練家なのです。
今まで、私達のような、国際的な、地球的な多様文化に揉まれた 熟練グループは歴史にありませんでした。
私達一代目で終わるのではなく二世に引き継がれていきます。
私達一代目で国・民族が交わったので、二世からはもっと交わっていくでしょう。
出来ることをやってまいりましょう。
経験をまとめ、必要な人たちに伝えていきましょう。
現代社会、スウェーデンが必要としています。
需要は高いと思います。
ありがとうございました。