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歪んだ正義感はなぜ生まれたのか…弁護士への大量懲戒請求にみる“カルト性” 「日弁連は諸悪の根源」――。 こんなブログの文言に煽動された人たちが、弁護士に対する大量の懲戒請求を送り付け、問題になっている。
ブログの言説を頭から信じ込み、対象となった弁護士をいとも簡単に「悪」認定して攻撃する現象には、善悪二元論に支配されたカルト性が感じられる。 大量懲戒請求の異常性。
日弁連の集計によると、例年は1500件から2500件程度の懲戒請求が、昨年は13万件を超えた。 これまでも、1人で100件以上の懲戒請求を出した人がいて、3000件を超える年もあったが、昨年の数は明らかに異常だ。
過去には、橋下徹弁護士がレギュラー出演していたテレビ番組で、光市母子殺害事件の被告人弁護を行っている弁護団のメンバーに対して懲戒請求を行うように呼びかけ、大量の請求となったことはあった。
この時寄せられた懲戒請求は8065件に上った。 「ただ、この時は、懲戒請求書のひな形はあったとしても、一人ひとりが懲戒を求める理由を自分で書いて送っていた。 今回は、文言も一様で、あの時とは、明らかに違う」(日弁連審査2課)。
今回は、文部科学省が朝鮮学校に対する補助金交付を再検討するよう地方自治体に求めたことについて、会長声明などで反対の意思表示をした21弁護士会の弁護士や、在日韓国・朝鮮人に対する差別に対して活発に活動している弁護士らが主なターゲットになった。
これに対し、大量の懲戒請求で業務を妨害されたとして、請求者に訴訟を提起するなどの対抗措置をとる弁護士も出始めた。
ヘイトスピーチなどの問題に取り組んできた神奈川県弁護士会の神原元弁護士は、昨年6月から今年1月の間に1140通の懲戒請求を同弁護士会に申し立てられた。
神原弁護士は、その一部に対して、不当な懲戒請求により、反証のために労力を費やさざるを得なくなったなどとして損害賠償を求める裁判を提起した。 ヘイトスピーチなどの問題には関与していなかったのに、標的になった弁護士もいる。
東京弁護士会の佐々木亮弁護士もその一人。 同弁護士会は、2016年4月に「朝鮮学校への適正な補助金交付を求める会長声明」を出している。
この時の弁護士会役員らも、大量懲戒請求の主な標的になったが、佐々木弁護士は役員でもなく、この声明にはまったく関与しておらず、そもそも声明が出ていることも知らなかった。
労働事件では、労働者側の人権を守る立場だが、在日韓国・朝鮮人の差別問題には関わっていない。 それにもかかわらず、懲戒請求書には判で押したように、こんな「懲戒事由」が書かれていた。
「違法である朝鮮人学校補助金支給要求声明に賛同し、その活動を推進する行為は、日弁連のみならず当会でも積極的に行われている二重の確信的犯罪行為である」(原文ママ)。
佐々木弁護士に対する懲戒請求は、約3000件に上る。 ツイッターで問題提起をしたところ、同じ東京弁護士会所属の北周士弁護士が、次のような応援ツイートをした。
「保守派といいますか、ささき先生とは政治的意見を全く異にする弁護士ですが、今回のささき先生に対する根拠のない懲戒請求は本当にひどいというか頭おかしいと思いますし、ささき先生に生じている損害の賠償は当然に認められるべきだと考えています」。
北弁護士は、主に企業の顧問や経営者向けのセミナー企画などの活動をしている。 労働事件であれば会社側の代理人になり、佐々木弁護士とは逆の立場だ。
ところが、このツイートをきっかけに今度は北弁護士も標的にされ、1000件近い懲戒請求が行われた。 両弁護士は、懲戒請求を行っている者に訴訟を提起することを検討。 その費用をカンパで集め、記者会見を開いた。
会見では、損害賠償を求める民事訴訟のほか、煽動しているブロガーの刑事告訴を検討していることを明らかにすると同時に、反省・謝罪した者との和解(和解金5万円)も呼びかけた。
ほかに、やはり朝鮮学校などの問題は無関係なのに、大量の懲戒請求を送り付けられた神奈川県弁護士会所属の嶋崎量弁護士も訴訟を検討しつつ、反省した者との和解を進めている。
懲戒請求を行った50代女性は これまで3弁護士のところに連絡をしてきた人たちもいるが、その人物像を問うと中高年ばかりだという。
「私が話した人では、1番若くて43歳。 40代後半から50代が層が厚く、60代、70代もおられる」(佐々木弁護士)。 「30代以下はいない感じ。 女性がかなり多い。 話していて、ネットに関する知識は低い感じがした」(嶋崎弁護士)。
懲戒請求をした理由については、「これで日本が良くなると思った」「日本のことを考えてやった」「時代を変えられると思った」などと話している、という。
だが、日本を良くしたいという動機と、弁護士への懲戒請求という行為の間には、相当の飛躍がある。
嶋崎弁護士が話した相手は、「『(朝鮮学校のことについては)無関係なのに懲戒請求をしてごめんなさい』とは言うが、関係があれば構わないという感じ」だった。
ブログを読んで、在日韓国・朝鮮人を差別・攻撃することは、むしろ「日本を良くすること」と思い込んでいた。 なぜ、そんな発想になるのか。 実際に懲戒請求を行った50代前半の女性に話を聞いた。
彼女は、体調を崩して休養中、時間がある時に、たまたま問題のブログに接した。 それまで政治や歴史に関心が薄く知識も乏しかったこともあり、ブログに掲載されている中国や韓国を非難する記述を新鮮に感じた。
「ここにはマスコミには出ない情報が載っている」と思い、引きつけられた。 「本当の保守の人は、そのブログは危ないと感じてすぐに離れたようなんですが、私は知識がなかったので、むしろ『ここから学ばなきゃ』と思ってしまいました」。
読み進めるうちに、「このままでは日本が壊されてしまう」という怒りや恐怖が湧いてきた。 そして「なんとかしなければ」という切迫した思いにかられた。 そういう時に、懲戒請求の呼びかけがブログでなされた。 女性も「これをやれば、日本を守ることになる」という気持ちになって、参加した。
ブログに煽られて懲戒請求をした人たちは、朝鮮学校を利する行為に賛成する者は、「反日」であり「悪」である、それを叩く行為は「日本のため」であり「善」である、とする、ブログが提供する価値観を信じ込んでいたようだ。
このような単純な二元論を使えば、あらゆる人や価値観は「善」と「悪」に振り分け可能となる。 北弁護士の場合は、「悪」の味方をする者だから「悪」という認定だろう。
そして、自分は「善」の側に立ち、「反日=悪」の弁護士に“正義の鉄槌”を下す、という意識になる。 「日本を取り戻す」という使命感で高揚した者もいる、とのことだ。
ネットを利用すれば、それぞれの弁護士の日頃の主張や活動を調べるのは、そう難しくない。 日弁連のホームページからは、弁護士の事務所の住所や電話番号は容易に検索可能。
特に佐々木弁護士らは、自分の実名を出してツイッターなどのSNSを利用しており、直接問い合わせることは容易だ。
けれども、懲戒請求をした人たちは、それぞれの弁護士の主張や活動を調べたり、確かめたり、あるいは自分自身で是非を考えたりするわけではなく、問題のブログによる「反日=悪」認定をそのまま鵜呑みにし、その呼びかけに応じて行動している。
どう見ても「サヨク」ではない北弁護士まで対象になったところを見ると、一人ひとりの弁護士の思想信条や活動領域はどうでもいいのだろう。
自分たちに批判的な者はすべて「悪」という、極めておおざっぱな分類を、彼らはなんの疑問もなく受け入れている。 こうした思考方法や行動パターンは、カルト信者のそれと酷似している。
典型的なカルト教団であるオウム真理教の信者も、人殺しまで行うのはごく一部の幹部らで、多くの信者は直接関与しておらず、犯罪が行われていたことすら知らない。
むしろ、教団はよいことを実践しているのに、社会から迫害されていると思い込んでいた。 特に社会で生活をしていた在家信者たちはそうである。
教団の教えはすべて真理と確信し、「米軍がオウムに毒ガス攻撃をしている」などという突飛なこともすべて真実と信じ込んだ。
家族が、そのおかしさを指摘しても聞き入れないことが多く、自分で考え、確かめることをしない。 ただ、このブログの信奉者は、オウムのように組織的な拘束を受けているわけではない。
“信者”を生む反知性主義的な宗教性 家族の話も聞き入れないほどのめり込んでいる者がいる一方、先の女性は、このブログの危うさを指摘する人の話を聞いて、「ここはカルトじゃないか」と気がつき、離れることができた。
佐々木弁護士に和解を申し入れてきた人の中にも、自分の行為の異常さに気づいて、「ブログを読んでいた時は洗脳状態だった」と語る者もいる。
アメリカで変質したキリスト教がつくり出した精神文化を分析し、トランプ大統領が出現する背景をひもといた『反知性主義』(新潮選書)などの著作で知られる、森本あんり・国際基督教大副学長も、彼らの価値観に宗教性を感じる、と指摘する。
「懲戒請求をしている人たちは、『正義』を楽しんでいる、自分たちは正統であるという意識を堪能しているように見えます。
自分たちの怒りは義憤であり公憤であって、悪をやっつけるのだという意識が感じられ、非常に宗教的です」。 宗教的な価値観が前面に出ると、「善」は絶対善であり、「悪」は絶対悪であって、そこには妥協はない。
多様なものの見方も許さない。 だから、「悪」を叩くことに容赦がないのだろう。 ただ、森本さんが語る昨今の「宗教」イメージは、かつてのそれとはかなり異なる。
「昔は、何かを『正しい』と信じるには、論理的整合性や組織の裏付けが必要でした。 今は違います。 個人個人が、心の中で感じられるものが大事。
感動して涙が止まらない、そういうものが正しいのです。 これは神秘主義の特徴でもあります。 日曜日には礼拝に行く、といった行動よりも、自分がどれだけ感動できたかが大事で、それが正しさの基準になっているのです」。
このような「宗教」は、伝統宗教にありがちな組織性はさして重要ではなくなり、「信仰」は極めて個人主義的な営みとなる。
今回の大量懲戒請求問題に照らし合わせてみると、請求者にとっては、ブログの内容が、事実に即しているか否か、思想として論理的であるか否か、懲戒請求制度の趣旨に照らして適正か否かなどは重要ではなく、読んで自分が心を動かされ、共鳴し、怒りや使命感を呼び覚まされた実体験が大事。
それによって、「正しさ」への確信が生まれると、その言説の論理的不整合や事実の過ちを指摘しても、「信仰心」はなかなかゆるがない。
「宗教」であるがゆえに、その「正しさ」は当人にとって普遍性を持つから、自分にとって「正しい」ことは、「みんな」すなわち日本社会にとっても「善」であるという確信になる。
だから、自分たちの行動のために他者に迷惑をかけることは、気にならない。 しかも、組織的な規律が求められるわけでもなく、街に出てヘイトデモなどに参加する義務もなく、個人で参加できるので、極めてハードルが低い。
懲戒請求を行った人たちは、自分の名前や住所が相手の弁護士に通知されるとは知らず、政治的主張への賛同署名でもするかのように、気軽に参加した者が少なくないようだ。
弁護士の返り討ちにあうことは予想せず、「こんなことになるとは思わなかった」と動揺した者もいた。
当該ブログは、弁護士らの動きに「在日朝鮮人に組みするものは日本人ではない」(原文ママ)と、これまた「日本人か、朝鮮人か」の二元論を展開。
「日本人と在日朝鮮人との戦いが始まった」とのろしを上げる一方で、「懲戒請求のような取り組みは、家庭内その他問題のある方は無理をして参加する必要はない」とも呼びかけている。
個々の事情に合わせて参加できる。 そういう緩さは、“信者”にとっては、自分たちが自発的に活動しているという確信をもたらし、むしろ強い”信仰心”をもたらすのではないか。 しかし、こうしたグループの実態は、まだまだよくわからない。
弁護士たちが起こした民事裁判を通じて、差別的な排外主義に染まる中高年たちの姿が少し見えてくるのかもしれない。