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まず、苦と病が不思議であることを
忘れてはいけません。
上手く説明しにくいですが、
事実、非常に奥深いものなので、
その中から良いことを 引き出す人もいるわけです。
苦しみに遭った時に、
人生を別の角度から見るようになる人も いるでしょう。
例えば、つい最近、 アビダルというバルサのサッカー選手が
「ガンと闘ってから、
自分の持ち物よりも家族を 大事にすることを学んだ」
と言ったようです。
そして、子供たちや病院、
病気の治療法研究のためにすべての車を売り払い、 そのお金を寄付したらしいですよ。
苦という現実を出発点とすれば、
その存在自体が私たちを気まぐれな生活から
解放して、謙遜な心をもたらしてくれる
と思います。
そして、謙遜があれば、
幸せへの糸口である「愛すること」が 可能になります。
また、苦しみというのが、
私たちを自然と永遠の命に
目覚めさせてくれます。
なぜなら、この世の不正を
補う永遠の幸せと比べたら、
どれだけちっぽけな苦しみだったかを
教えてくれるからです。
苦について様々な
理論を立てることができます。
しかし、イエス様は
いろいろな形で
私たちを救うことができたのに、
「苦」と「死」を選んだのです。
それは、神様が人間となられたときに、
苦しみをはじめ、
それに伴う人間のすべての側面を 受け入れたからです。
人間である以上、
罪の結果である苦痛が一生付きまとうことが
明らかになるでしょう。
これは人間の自由の結果、
悪の働きの結果だからです。
ただ、十字架上のキリストの苦しみと、
私たちの自分の苦痛を共に奉げることによって、
自分の苦しみも 初めて意味のあるものになります。
イエス様が始めた救済の業を完成させる
手助けになるからです。 ?? ?? ?? ??