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本当のホリデー精神
年末年始のお祝いを前に、この季節
および日ごろの私たちの期待について
考えるいい時期です。
贈答シーズンが近づくにつれ、
多くの人は「誰に何をあげなければならない」という
長いリストや済ませなければならない飾り付け、
送らなければならないカードや年賀状、
その他、この季節を「完璧」にするための
準備で神経をすり減らします。
この季節はまた、たくさんの慈悲団体が
私たちのホリデー精神に訴え、
寄付を求める時期でもあります。
たとえばホームレスの人たちに
お祝いのごちそうを食べさせたり、
貧しい子供たちに、クリスマスに
おもちゃを買ってあげたりするために...。
表面的にはすばらしいことに思えますし、
私たちも寄付することで、いいことをしたという
実感を覚えるかもしれません。
しかしもっと根本的な、深いレベルで
考えてみると、本当にそうでしょうか。
だれかが年末年始にごちそうを食べなかったり、
子供がクリスマスにおもちゃをもらわなかったことを
どうして悪いと思うようになったのでしょうか。
そして、もしも誰かが年末年始にごちそうを
食べなかったことを惨めに思ったり、
子供がおもちゃをもらわなかったことを
不公平に思ったりしたのであれば、
どうしてそのような感情を抱くように
なったのでしょうか。
先日、旦那さんと大喧嘩をし、一ヶ月以上も
口をきいていないという女性に会いました。
喧嘩の原因は、彼が彼女の誕生日を
忘れてしまったことだと話していました。
彼女はその日にプレゼントを期待していたのに、
彼がその期待を裏切ったものだから、
一ヶ月たった後も、その事態が彼らの
仲を気まずくし続けていたのでした。
誰が悪いのでしょうか。
プレゼントを期待していた奥さんでしょうか、
期待していたプレゼントをあげなかった
旦那さんでしょうか、それとも
特殊な日にはプレゼントをあげたり
もらったりすることを期待するように
私たちを教育した社会でしょうか。
まず私たちは「特殊な日」というものを考え出します。
そして、それをみんなが知っているように宣伝します。
自分もそれに参加し、他人にも参加させます。
時が経つとともに、新しい項目を加えていきます。
新しい歌、新しい飾り物、新しい儀式...。
そしてそのうちに、それを普通だと考えるようになります。
それを期待するようになります。
ある年にそれが起こらないと、
何かが間違っていると思うようになり、
当然の権利を奪われた気持ちになります。
中毒と非常に似ています。
アルコール中毒と比較してみましょう。
まず、将来のアル中患者にとって、
最初に飲んだお酒は飲んでも飲まなくても
よかったはずです。
誰かがくれたのであれば、お水を飲むような
軽い気持ちで受け取ったはずです。
おいしくも感じなかったかもしれません。
でもそのあと、何回か飲んでいるうちに
気に入ってしまったのです。
最初は何でも、選択肢で始まります。
そして選択肢が好みになり、
好みがこだわりになり、
こだわりが強迫観念になり、
強迫観念が中毒に発展するのです。
アルコール中毒者は長い年月をかけ、
自分はアルコールなしでは生きていけないと
自分を説得することに成功します。
自分の精神を完全に説得してしまうので、
お酒を飲まないときは禁断症状も
経験するようになるのです。
中毒というのは、アルコールに対しても、
プレゼント交換のような簡単な行為に対しても、
健康的ではありません。
ホームレスや貧しい子供たちのために
いいことをしたいのであれば、
年末年始に限る必要はありません。
社会の、あげるべき側、もらうべき側の
物質的期待につぎ込まないようにしましょう。
この年末年始を祝うのであれば、
その本当の意味を考えながら祝ってください。
期待や権利に胸を膨らませるのでなく、
感謝と謙虚な心で祝いましょう。
ナマステ