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自分の力とか 自分の真価とか 自分の知恵とか
自分の在り方が 問われるのは 実は この
アップしている時じゃなくて ダウンしている時なんです
アップが良い ダウンが悪いでは ないんです
この波というものを どうやってね
生きていくか というのが人生なわけじゃないですか
ペンネーム bunさん
22 歳の男性から頂いた お悩みです
” はじめまして 毎日 動画を拝見し 多くのことを学んでいます 私は 22 歳 大学生です
他の方の悩みを解決する動画を観ながら 自分自身の悩みについて解決できるかと思い
動画を最近見るようになりました そして投稿したいと思いました
私の悩みは今の生活に "生きている" という 実感がないことです
心の中の 熱・希望 というのが感じられず
虚無感ばかりを感じてしまいます
死にたい という感情は ありません
ただ漠然とした日々に
時間が経過していくのを感じる日々が 何のために あるのか 分かりません
この悩みの背景について 少し説明させていただきます
分かりづらい文に なってしまうかもしれませんが 御了承ください
私は生きてきて今まで 大きな挫折や失敗は ありませんでした
失敗をしても そこまで気にするような性格ではなく
寝たら すぐ忘れるという単純な性格です
小学校・中学校・高校 と 特に人間関係での問題もなく
多くの友達 、 そして部活動の仲間と 楽しく過ごしていました。
小学校の頃から約 10 年 サッカー をし 受験での失敗にも屈せず
高校まで サッカーを楽しみました
一つの物事に熱中したら 周りが見えなくなる性格です
大学に入り そこで初めて酒を飲むことを覚え タバコを覚え、恋愛をし
サークルに入り、合宿に行ったり
バイトをして お金を稼ぐことを覚えました。
自分は社交的で、誰とも仲良くなれ 大学生活は とても楽しいものでした。
そして大学時代には
とある インターンシップ に参加し その活動に魅力を感じ
自ら事業を広めていく スタッフ活動を 約 2 年半 行いました
その スタッフ活動は とても楽しく 今でも振り返ると とても熱中していました
その中で人間関係の問題や挫折も味わい
恋愛や大人としてのマナーなど 多くのことを学びました
しかし その活動に熱中しすぎてしまい
学業が疎かになり、大学 3 年頃から 学校に行かなくなってしまいました
結果として 今 1 年 留年して学校に通っています
今 振り返ると その活動をしていることで 自分を正当化させていたこと
行く目的を見失ってしまいました
次第に学校に行かなくなり そして行けなくなりました
また 大学 4 年の後半の時期に 恋愛で別れた彼女が おり
その彼女は同じく インターンシップの スタッフでした
同じく スタッフ活動をしていたのですが 別れ話のような形になり距離を置くようになりました
その後、相手の気持ちが分からず
行動だけを見てしまい 気持ちがないのだろうと思い込み
結果として私から振ってしまいました
そこから スタッフの活動にも 意欲が起きず、 一人で悩み
人と話すのが 怖くなり その活動を途中で辞めてしまいました。
そして辞めたことへの後悔と 責任を全うできなかったことで
その人たちとの連絡を一切 絶ってしまいました
こんなことになってしまった 自分への後悔をして 情けなさと 後悔でいっぱいです
大学を留年してしまったこと、そして物事を途中で 投げ出してしまったことで友達もおらず
自分から相手に対して距離を置くようになり
毎日 家に居たりして人と接する事が 無くなってしまいました
自暴自棄になり風俗に行ったりもしました
去年の年末から今年の夏までは 留年した 1 年で やり直そうとし
学費を稼ぐために ダブルワークをしたり
卒業するという目的を立てて 毎日 学校に通っていました
そして就活も行ってきました
しかし卒業まで あと数科目というところまで来て 学校に行く意欲が無くなり
就活も今はしていません
自分でこの先どうするか とても迷っています 卒業すべきか中退して働くべきなのか
自分でしたいことは今は見つかっていません
ただ これ以上 親に迷惑をかけれないので
自立をして自分のことは 自分で出来るようにしたいと思っています
とても長くなってしまいましたが
この数年間での挫折と直面し 生きているという感覚、心を失ってしまいました
何か アドバイスや、これからについて 仏教の教えを話していただければ 幸いです
長文で失礼します "(質問メッセージ終わり)
「今、ここ」 という 言葉があります。
「今、ここ」 私たちは 未来に 生きているわけでもなく
過去に生きているわけでなく
「今、ここ」 にしか 生きられない
私たちは未来を何とか出来るわけでもなく 過去を何とか出来るわけでもなく
何か自分が出来ることが あるとしたら それは「今、ここ」
まぁ 様々な本
様々な人が
この「今、ここ」に 有心に生きる というようなことを 言ってこられました
若いとき 私はそれに対して 非常に反発を覚えていました
「今、ここ」を 無心に生きろ と言われても
どうしても明日を見てしまう
「今、ここ」を一生懸命 生きろと 言われても どうしても
過去を悔やんでしまう
おそらく皆さんも そうではないでしょうか
「今、ここ」 って確かにその通り、、だけど
そう生きられるかって言ったら
なかなか そうは いかない
まぁ 月日が過ぎて
私も年を重ねていくうちに過去に一生懸命 自分なりにやっていたと
思っていた 一生懸命さを
そこに ものすごく甘さとか
理解不足とか見えなかったことというのが 沢山あったことに気付きました
結果として どうしようもないときに「今、ここ」を 必死で生きることによって
過去に自分が思っていた
思いというものが誤りであったと気付いたり
その経験値が
自分に何か アドバイスをしてくださった 先人たちの言葉を越えていったり
様々なことを体験してきました
その中で今 言えることは 「今、ここ」という言葉は その通りなんです
真実なんです
けれども その前に こんな言葉を
足した方が より「今、ここ」が 明確になるということ
その 「今、ここ」に足す
言葉は何か?
” 自分の より良い未来を見据えた時に さて「今、ここ」
「今、ここ」 に 何をしなければいけないのか? 「今、ここ」をどう過ごすのか? ”
さて、(質問していただいた) bunちゃんの 問題は何かと言うと
この大学の 3 年 生 ・4 年 生(のとき)に
おそらく多くの人が抱えるであろう
ジレンマ、、自分に対してのジレンマ とか葛藤
この葛藤の中で
この ” 葛藤を生き抜く哲学 ”を持っていないということ これは みんな持っていないんです
ちょうど bun ちゃん くらいの時期というのは
高校でも サッカーを通じてとか色んな活動を通じて 積極的に色んなことをやってきた
そして大学でも
大学以外に色々のね
活動に関わって積極的に物事に取り組んできた 非常に ポジティブで
非常にエネルギッシュで 非常に若さ溢れる bun ちゃん
でも これは ある意味では
成長過程の仲間との群れによって群れの中で
切磋琢磨して お互いに刺激をもらいながら 生きていくという
とても 楽しき時期なんです
でも いずれは その群れから離れ
自分一人で勝負をしなければいけない時がある、、
来る!
それが この大学 3 年生 ・4 年生、 就職期が迫って 来るに従って起きてくるところの
一つの子供から大人への階段というものを 学生から社会に出ていくという時の
漠然とした葛藤であったりします
さて 大学という場所は
私は必ずしも 行かなければいけないという ところではないと思います
もし bun ちゃん が「 士業」と言われるね 弁護士さんとか医師とか
あるいは学校の先生とか
大学を出ておいた方が有利、 逆に大学を出ておかないといけないと いう仕事に 将来 就くつもりがあるのであれば
大学は出た方が良いと思います けれども そうでないんであれば 必ずしも大学を
出ていなければ いけないと いうことは ないでしょう
もし bun ちゃん に やりたいことが あるのであれば
どうしても この活動をやってみたいと いうことがあって
もう にっち も さっち も いかんと いうぐらい その事が
頭から離れず
また そこには今の大学生活よりも非常に困難が伴うと いうことがあっても それを
それに対して がっつり取り組んでいくという 意識が強くあるというのであれば
また人からどう言われようが 親からどう言われようが
啖呵 切って
オレは やってやるぞと いうつもりで そこを出ていきたいと いう思いがあるのであれば
大学を辞めても良いと思います
けれども もう 4 年生になっていますね
それで その残りの期間
他に特にやりたいこともないと いうのであれば
大学を出ておくと いうのも一つかもしれません
それは何故かと いうと 学生時代の一番の
優位性というのは 何かといったら 時間があるということなんです
社会に出て働けば 自分の時間なんて無くなっていきますよね
本当にやりたいことがあって 自分で起業するというなら それはそれで良い
けれども 学生、学校というのは研究の場所なんですよ
もちろん単位を取っていかなきゃいけない けれども 自分についての研究とか
何か テーマを持って勉強したいことの研究とか
そういうことをする時間を
堂々と持てるのが大学という場所なんです
ですから bun ちゃん が もしね 他に何か やりたいことがあるとか
いや 自分がやりたいことは他に行かなければ 大学では出来ないんだと いうことでないのであれば
私はね
処方箋として
bun ちゃん にね もう一度 この残りなんとか 学校に行きつつ
bun ちゃん が より良き未来のために
「今、ここ」 で 何をしたら良いのかということを
処方箋として 出したいと 思います
さて
将来どうしたら良いのか?
これは学生さんに限らず
おそらく社会人の人でも
漠然と ずっと抱えていらっしゃるのだと思います
自分が天職ともいえるような仕事を見つけてね
そこに打ち込んでいる
そのような人でもない限り
どこかで社会人でありながらも 将来どうしたら 良いんだろうと いうことに 思い悩むもんなんです
私も そうでした
ただ それを 思い悩んでいるという
これも人生の中で とても大事な時間なんですけれども
大事な時間というか これは削ることができない時間なんです
必須科目なんですよ
必ずね
全ての物事に 100% 自分が やり甲斐を持って楽しくて 自分が好きということだけでは ないんです
全てのものごとは それは世の中の法則ですよ 例えばね
自分が好きな ミュージシャンの アルバムを 買ってみてください
その アルバムの中で全部の曲が好きっていうのは あるかもしれないけど 稀ですよね
おそらく
自分が大好きな アーティストの ミュージシャンの アルバムを買っても その全曲の中の
本当に自分が聴きたいと思っている好きな曲って
一曲とか二曲だったりするじゃないですか?
じゃあ残りは何?っていったら そうなんです
例えば 本を読むじゃないですか ねぇ 本を読んで それは 一章から何章 まで あるとか
あるいは小噺が いっぱい ある
その中で全部が 100 点 満点で 全部が良い噺っていうのは ないんです
この噺は面白かった、 この噺は、、
何でも そうですよね?
自分が好きなコメディアンとかね
お笑い芸人さんの色々な ネタがあるじゃないですか
過去の色んなお噺があったりします どんなに天才的な
長いこと残っている芸人さんの 芸・噺 で あっても 全部が面白かったと いうことは ないんです
そう 必ずね 全てのもの これ 人生もそうだし 全ての 物事に 100%
全てが 楽しかった 全てが 面白かったと いうことは ないんです
時代を見てください
今、地球が誕生してから 今、私たちが 生きている この時代までに
様々な時代がある 日本の歴史を見たって 戦国時代もあれば
貴族の時代もあれば
色々あるわけですね
これもそう
どの時代も 全て平和で 豊かで 人々が 仲良く暮らしていたという時代では ないわけです
そういう時期もあれば
ずっと戦争ばっかりで 民が苦しんでいた という 時期もあれば
もう病気が流行して あるいは飢饉があって バタバタと人が倒れていったという時期があるんです
人間の人生を考えてみた時も そうなんです 必ず正しかったと いう 時期もあれば
そうでないと いう時期もある
世の中の全てが そういう波をつくって
進んでいるんです
株のチャートとかね
為替のチャートって見たこと ありますか?
ガーって 上げる時もあれば 必ず その後 上げたら 下げるんですよ
下げた後に必ず上げます 上げた後は下げる ずーっと 延々と下がり続けると いうことはない
どん底まで行ったら 少しは跳ね返りますよ
世の中は とにかく
この アップ ダウン アップ ダウンと いう波を 繰り返しながら
時々激しくアップする 時々激しく下がる けれども おおよそ この平均値に収束しながら
ものごとが動いていっている
bun ちゃん の 人生を考えてみたときに
生きがい、やり甲斐、 常に楽しい そして仲間がいて 恋愛も全てが充実している
こういう時が延々と続くと いうこと はないんです
必ず そういう時期があったら
そうではない ひとりぼっちの時期が来るんです
自分の力とか 自分の真価とか 自分の知恵とか
自分の在り方が 問われるのは 実はこの
アップしている時じゃなくて ダウンしている時なんですね
アップが良い ダウンが悪いでは ないんです
この波というものを どうやってね
生きていくかというのが 人生なわけじゃないですか
そう思った時に このアップの時は良い でも ダウンの時を
これまで こんだけ激しく経験したことがなかったから
今 、bun ちゃん は苦しいわけですね
どうしていいか 分からないんです
アップの時は何も考えなくて良いんですよ ダウンの時は考えなければいけないですね
そこに様々な人生の課題に直面するわけです
これが一番の勉強です
今 何を勉強しにいくって 学校の様々な科目とか
将来の色々な、様々なことじゃなくて
人生において この時期に何を勉強するのかってときに 自分についての勉強なんです
さて 私は「今、ここ」と いうことに
自分の より良い将来に向かって 「今、ここ」をどう生きるか?
そのような言葉を足してみたらどうですか? という話を冒頭 提案させていただきました
さて bun ちゃん も 私にね 質問を下さるということは
自分がね もう これで死んでしまいたいと いうわけではない
自分の人生を これで投げてしまったわけではない
何とかしたいんだけれども 自分の中に熱きものが 以前 あった 熱きものが
何かこう 生き甲斐みたいなものとか やり甲斐みたいなものが感じられないということは苦しい
これが bun ちゃん の今の問題なわけですね
そこで処方箋です
先ほどのこと
より良い自分の未来を
想定してみたときに 「今、ここ」で 俺は何をしなければ いけないのか
この質問を 冒頭から 何度も 自分に問いかけてください
人間はね
無意識のうちに
毎日を過ごすことも出来ます
でも意識的に毎日を過ごすことが出来ます
無意識に頭をかく ということも出来ます 意識的に頭をかく ということもできます
と 言うことは
無意識に一年過ごすこともできる 意識的に一年を過ごすこともできるわけです
無意識に一生を過ごすこともできる 意識的に一生を過ごすこともできるわけです
自分のより良い未来を意識したときに
①今、ここを 意識的に過ごすこともできるし
②無意識に 今、ここを 無心に過ごすこともできる 、、どっちが正解なんですか?
どっちも間違いであり どっちも正解です
その人の その時の状態
その時の状況によって
どっちかが 正解になる
どっちかが 不正解になることもある
少し分かりにくい話をしました けれども何となく 分かると思います
未来において これがやりたいという 明確な目標がなければ ぼやかしておいて良いんです
だけれども
将来において 今の この苦しい状態から 絶対に脱出をして
そして より良い状態に自分はなりたいんだ っていうことを思ってみたときに
さて 今日一日を 意識的に過ごすことが出来るわけです
意識的に過ごすと いう時に
何を意識したら良いのかということが 次に問題になります
これは それが正解かどうか分かりませんけれども 私がやってきたことの中でね
私がその時を どう過ごしてきたという事を
”大愚 -taigu- ”的 な
私の その時の
処方箋を
bun ちゃん に 今日はね 伝えたいと思います
さて 何か 私たちは
未来において
ウキウキするような
何かこう 将来の目標 、明確な目標を立てて
そして そこに向かって 突き進んでいくということは 理想像として 語られます
けれども そもそも
自分の将来において 明確な目標があって
やりたいことがあって 充実した毎日を 過ごせるということがあるか?といったら
ある人もあるけれども なかなか そういう状況には なれないという人の方が 多いんではないか?と
思うんです
そういう時に私はどうするかと いったら
やりたいことは ない
けれども
絶対になりたくないこと、状態は あるんですよ
例えばね
非常にお金がなくて 仕事もなくて
体が病気で
そして 自分を支えてくれる 友達もいない
そして 今日一日を 生きていくというのに
何の気力も 楽しみもない ただ 生きているだけ
この状態は 私は嫌だったんです
だから どうしたか?と いったときに
その なりたくない状況に
陥らないためには どうしたら良いのかって
そうはなりたくない そのためには じゃあそこに 落ちないためには どうしたらいいのかって
その事を必死で 昔 考えていた気がします
そこで 私は 自分が 最も苦手
そして自分が 最も弱いと思うことを 克服しようと思いました
自分がやりたいこと 得意なことがなんだか 分からなかったので
そこで 私が選んだのは
空手道場に入門するということでした
ちょうど bun ちゃん と 同じくらいの年齢の時です
私は そんな無名選手で 大して強くなかったですけど 一応 全日本という 名のつく大会まで出て
一生懸命 空手をやった時期が ありました
それはね 格闘技が好きとか
空手が好きとかと いうことじゃないんです
全然 空手には興味なかった
殴り合い 打ち合いなんて 痛いじゃないですか
そういうことに 私は全然 興味がなかった
能書き ばっかり 言って その辛いとか 痛いとか 苦しいことを 乗り越えて
何かを手に入れるような 根性のあるような男じゃなかっ た
でも そこが 私にとって 弱点だと思ったんです
私には 突出した能力はない
何か人より 優れて出来ることはない
だけど このままでは 自分は嫌だと
そう思ったときに
何でも良いけれども
何か 自分が決めたことに対して
諦めないで
関わり続けるということを
自分は出来る人になりたいと(思った) そこが一番 弱点だから
それを克服するために どうしたら良いんだろう?と 思っていたところへ
たまたま 同級生が 空手道場に入って
何か その これまでの彼とは 変わっていったっていう姿を
(本当に)たまたま それを見てしまったんですね
私の同級生が
同じ大学にいて 同じ学部にいて
そして
それまでと同じようにね カラオケへ行ったり
色んな遊びしたりとか してたんですけど ある日 突然ね
人が変わったように 朝 4 時に起きて 走り
そして
新聞配達を始めて 新聞配達 ダッシュで やるんですよ
エレベーター が あるところも 階段 登って走ったりとかして
ずーっと 全力 ダッシュで 新聞を 配って 朝 学校に行くと もう 痙攣してるんですね
” 何で彼はそんなストイックな生き方を しているんだ? ”って みんな 馬鹿にしていました
でもね 私はそれを見ていて 羨ましかった
毎日
格好つけて まぁ大学生ですから 色んなことを言って そして 色んなこと 分かったつもりで
能書きをたれている自分というのは いい加減 嫌だった
で 何だか よく分からないけれども
一生懸命 朝 4 時に 起きて 走って
何かを必死で やろうとしているという
だから どうっていうんじゃないんですけど そうやって 大学時代の この
限られた時間を、貴重な時間を 一生懸命 生きている
その友人が羨ましくて仕方がなかったんです
「 何で 君は そんな ストイックに やり始めたの?」 って言ったら彼が言ったんですよ
「いや とにかく 凄いんだよ」 と
「とにかく すごい人たちに 出会ってしまったんだ」 って 言うんですよね
「はぁーっ」て(感嘆して)
それを聞いて 私は これは 自分一人では 何ともならんと 思ったんです
だから 私もね
空手が 強くなりたかったわけでもない
何か こう、、
格闘技って強くなって
何かが 得られるのかっていったら
別にそんなことも 何も 考えてない
でも " とにかく すごい人が いるんだよ ” って いう その " すごい人 " に 会ってみたかった
だから 彼に頼んだんです 「空手道場に連れて行ってくれ」 って
それで 連れて行ってもらいました
” すごい人たち ” がいました
社会人なんですけれども
やっぱり 空手道場ですから
仕事が終わった後にね みんな 疲れた体に鞭打って 一生懸命
突きや蹴りを ミットに叩き込んでるんですよね
で それを見てね
” 何なんだろう この人たちの、、
何で この人たちは こんなに 一生懸命なんだろう ” という 分からない
だけれども プロの格闘家でもなく
当時は K-1 みたいなものも 流行る前でしたから
” 何で この人たちは こんなに 一生懸命 なんだろう? ” と いう その姿に憧れて
空手道場に 入門をしてしまったんです
でも 今、ここ と いうことの意味を 私は そこで学びました
空手には 2 つの モチベーションがあります
1つは
自分が どこどこの試合で 勝ちたいと
だから こういう試合から 逆算して 何ヶ月前に こういう練習をして
スピードが 足りなければ スピードをつける
パワーが足りなければ パワーをつける
技術が足りなければ 技術をつける
防御が足りなければ 防御の練習をする
そうやって 練習を組み立てていくわけです
けれども そういう目標を持たなかったら どうか
これ 目標を持たなくても 空手道場で生き残るためには 放っておいたら やられますから
自分の弱点を埋めていくしかないんです
これは 人生も同じだ と思いました
自分が明確に この大会について 勝つぞ っていう目的はなくても
放っておいても やられるんだったら その弱点を 埋めていかなければ いけないんだ
そうしなかったら この空手道場で 生き残っていけないんだ
そのようなことを 自分の中に勝手に思いました
” 武士というのは 決して その刀を 抜かないというのが 理想なんだけれども
いざ その刀を抜いたときには その刀が 錆びてたら ダメなんです
いざ 刀を抜いた時には その刀が良く 切れなければいけない
そして その刀で 自分を守らなければいけない
だから武士というのは 刀を抜いて人を切りつけると いうことは 極力あってはいけないけれども
いざ それを抜いたときのために 刀を磨き
そして
技を磨いておく
これが 武道の稽古だよ ” ということを 先輩から教えていただきました
なので
それ以降 私は 明確な人生の目標
自分の中で ウキウキとするような 生き甲斐 やり甲斐
ワクワクするような 心持ちが どうしても 持てないときには
この時期こそ 修行だと(言い聞かせ) 今、 自分は もし 抜いてみろ と
言われた刀を 抜いたときに
その刀を磨き その技を磨き (修行)しておかなければ いけないと
そのような思いを持って
何ができる 何がやりたいじゃなくてね
今、ここ
より良き自分の未来を見据えたときに
それがどのような未来であるのかが 分からないからこそ
今、ここ で
自分が
関われることを 一生懸命やろう と
そう思って その時期を乗り越えてきました
ワクワクなんか しません
やり甲斐なんて 感じられません 生きている実感なんて 微塵もありません
でも 死にたくない
でも もし 生きて 明日があるんだったら
その明日は 今日よりも 良きものに なっていて欲しい
だから 今、ここ
自分が手に掴めるものが あったら その手に掴めるものを 自分なりに 一生懸命 やりました
それが将来 どんな意味を もたらすか そんなことは分からない
けれども いつか 自分が掴んだ この 点と 点 と 点 が 線になり
円になっていく
形になっていく
そのことを 信じて
有り余る 学生時代の 時間を 繋ぎ合わせて 生きていったように 思います
でも 結果として
学生時代に そうしてね
面白 可笑しくしていた 時期もある でも 苦しかった その時期
恋愛も 私も経験しました 失恋も 経験しました
やり甲斐も ワクワクも 感じました 絶望も 感じました
でも この
どうしようも 生きがいが 感じられない 将来 どうしたら良いか 分からないと いったときに
生き甲斐というものが 感じられないからといって 何もしないのではなく
より良い未来を見据えたときに 今、ここで 私が出来ることは 何なのかって
それが 楽しかろうが 楽しくなかろうが 苦しかろうが 苦しくなかろうが
とにかく ここで ポジションを 取っておかなければ 何もなくなってしまうって
本当 そうなんです
それが 楽しいとか 楽しくないとか 面白いとか 面白くないじゃないんです
自分が今 与えられている環境の中で 自分が手に届く 範囲の中で 出来ることを全力でやる
それしか その時期を乗り越えることは
方法はないわけです だって やりたいこと 未来が見えないんですから
私の言っている意味も 伝わりますかね?
bun ちゃん どうか
今のね その苦しい状態って 分かります
でもね もう大学も 3 年生
卒業までの前半の期間が、、
もし 1 年生だったら 私 辞めても良いと思うんです でも もう 3 年生まで 行ったんですから
残り 堂々と ” 学生です ” って 言ってられる時間は 限られています
この時間に
何でも良い 自分の苦手なことを克服するでも良いし
何だか 面白くもないけれども 自分が とにかく
バイトとして やっていることを 一生懸命やるでも良いし
必ず 一生懸命やっている人間に 一生懸命やっている人間が 声をかけるんです
一生懸命にやっている人間に 一生懸命やっている人間が 心を動かされるんです
そうやって 人と人というものが
出会い
自分の新たな可能性というものが 拡がっていくんですね
とにかく bun ちゃん、 今までの繋がりとか ご縁というものが ちょっと
一回 疎遠になっているわけですよね 仲間とも
これは 悪いことですか? いいえ 良いことです
自分が 今まで知らなかった 新たなご縁とか 可能性に 今 一人で いるからこそ
飛び込めるじゃないですか これが サッカーの仲間と みんなで 群れあっていたら
新しい bun ちゃん の 可能性というのは 開けていかないんです
これまでの楽しかった サッカーの群れが悪いと 言ってるわけじゃないんですよ
そうじゃない 今 たった 一人で ポツンと 種が弾け出たんですから
その道場で 与えられた水と
そこにある栄養分を吸収して 新たな芽を出していく って そういう時期なんです
より良い未来を見据えたときに 今、ここ
自分ができることを 一生懸命やる
それが 今、ここ の 本当の意味です
どうぞ bun ちゃん 応援しています
何かしらね 面白い 面白くない
私の話が 心に響いた 響かない
どっちでも良いです そんなことは
ただ
より良い未来を見据えたときに 今、 ここ
今、 ここ を
懸命に生きていることでしか より良き未来は出てきません
これは私が経験してきた中でね
間違いのない 一つの検証済みの
真実である ということを言うことが出来ます
頑張ってください 応援しています