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ムージ、あなたが私たち、私に示してくれているときに、 私は行為しているという感覚になってしまいます
行為しているという感覚はありません 見ているという感覚さえありません それ全てを明らかにするには、ちょうど良い機会ですね
心は言います 「はい、私はしたくありません なぜ、私がそのような事をしなければならないのですか?」
もちろん、あなたはしなければなりません なぜ、あなたがしなければならないか? あなたがしなければならない理由を教えてあげましょう
その理由は、あなたは意識なんですが、 あなたは「意識」なんですよ! でも、たった今、あなたは意識として機能していないからです
あなたは、人、個人として機能しています あなたは、アイデンティティとして機能しています
そして、あなたのアイデンティティの中には強い信念があります 従って、その事が、 あなたがこの個々のアイデンティティの装いの中にいるように、 あなた、意識に訴えなければなりません
なぜなら、そうする事が、あなたにアイデンティティを基盤として どのように振る舞うか取り決められるからです
そして、あなたが、 このアイデンティティを越えているときには、 この議論はこれ以上どんな価値も持ちません
あなたがアイデンティティ、行為者の感覚を持ち続けている限り、 あなたは、行為者、信ずる人、思考者として、 非常に多彩に行動する事を良しとします
しかし、私は、ここで、 あなたのまさにそのアイデンティティを疑っていますが、 「でも、あなたは私に何かをしなければならないと話しています」 とあなたは言います
そして、そう言うのは、 あなたは「する事」に慣れているからです
あなたは、あなたの知性、記憶、教育に頼ることさえします これらは、いわば、アイデンティティ、あなたの世界です このようにして、あなたは機能しています
その空間の中で、あなたは、 あなたの世界を認識し、いわば物事を理解します 物事は、ここ、何々に属していますというようにです
そして、もし、あなたがなにかしら、 このアイデンティティを、とても深く抱擁しなかったら、 そのとき、このレベルでの議論は不要になるでしょう
そのとき、私たちは、残った何かを見るかもしれません もし、何か議論するものがあるのならば
[Q:]どのようにして、アイデンティティを抱擁しないのですか?
[M:]アイデンティティに気づいている事によってです 自分自身のこの考えに気づいている事も、同様に観察できます
アイデンティティとして機能するこの考えは、 「私は誰々です」「私はこのようです」 「私は男です」「私はここで育ちました」 「私はこれらの事を勉強しました」というように表現出来ます
「私は、とても長い年月、瞑想しています」 同じく、これも一種のアイデンティティの構築です
そして、もしこれらと結びついた強いアイデンティティがある場合、 そのアイデンティティは、その条件付けに結びついている あなたの意識から活動、エネルギーが溢れ出してきます
もし、あなたがそれに気づいていたら、 それを鎮めようとする必要はありません
私は、 「それを鎮めなさい、押さえつけなさい」とは言いません 「そのままにしておきなさい」と言います
しかし、この事象を、 深い見る者が存在し、ただ承認しており、 その中で仮想自己のあなたの感覚の情報は見られています
あなたは深い気づきです その深い気づきの存在の中で、 個人であるという考えが現れ、それは知覚されています
既に、空間はあります
それから、あなたは「超然たる恩寵」が、 それ自身で現れるのにまかせます
でも、もし、あなたがアイデンティティをしっかり保持していたら、 そのとき、あなたは、あなたの信念、 アイデンティティの制限の中で機能しなければなりません
私は、あなたを個人、人としてみなしたくありません なぜなら、そうするとあなたを制限する事になるからです
意識が個人、人として強く結びついているときには、 制限、批判、不安、抵抗、疑いに満ち溢れています
あなたの心、ビーイングの中で、 これらの事すべてが、生き生きとしてきます
でも、いったん、あなたがこの事を認識し始めたら、 「でも、それは、ただ構築されたもの 真実でない!信頼できるものではない!」となります
このアイデンティティには一貫性がありません それはいつも変わっています
6歳のあなたの感覚と 10歳のあなたの感覚が違うように
15歳のあなたは、違いを感じはじめます あなたの意見は強くなっています
20歳のあなたは、戦場にさえ行きます そして、25歳には、片足になって家に帰ってきます
そして、30歳のあなたは「戦争反対!」とやり始めます それから、40歳のあなたは、世界、何からでも逃れたくなります
そして、これらアイデンティティのどれが、 正しいあなたなのですか?
こられ全ての局面を通して何か連続しているものがあります
それが、あなたに、いつも、 「でも、私は私です」という感覚にさせます
しかし、その「私」は、あなたのパーソナリティではありません その「私」は、あなたのビーイングです! それは、絶えず存在しています
それが、 変わり続ける全てのアイデンティティの下にある共通の特徴です
その感覚が「私は在る - I AM -」です
あなたが気づいているとき、あなたは「私は在る」を味わってます 「あなたは存在する - you exist. -」という認識です
深い眠りの中では、あなたは、 この「あなたは存在する」の認識さえありません あなたは、プライド、信念はありません
あなたは、あなたが男か女かも知りません あなたは、あなたが既婚か未婚かも知りません あなたは、あなたに子供がいるかも知りません 何であれ知りません
あなたは、信仰さえもありません そこには何もありません
なぜなら、誰にでも、全ての人に現れる 「私」という存在の感覚さえ、そこにはないからです
そして、全ての生き物は、この完全な放棄、 アイデンティティさえも放棄したこの状態を楽しみます
もっとも高尚な「私は存在する」という認識さえありません
深い眠りの状態の中では、あなたは、 この「私は存在する」という認識を持っていきません そして、全ての生き物は、この状態に行きたがります
毎日、あなたは、ある時点で快く、または嫌々ながらも あなたのアイデンティティ、あなたに関連している全てのものを 降ろし忘却の中に行きます
そして、あなたは、その状態には叫びながら行きません それどころか、私たちは、聡明に、 最高のベッドを買うためにたくさんのお金を使います
全てを忘れるためにです
あなたは、今日、今朝、結婚しました 今夜、ハネムーンが始まります
でも、深い眠りの状態に来るとき、 あなたの花嫁、花婿は、あなたと一緒にそこにはいません あなたもそこにはいません
そして、目覚めの状態が起こります 意識が目覚めます
その時、「私は在る」という感覚が現れます
「私は在る」には、驚きさえありません
はじめに「私は在る」が来なければなりません それから、「あなたがいる」が続きます
「私」より先に「あなた」を知覚する事は出来ません
はじめに「私は在る」の輝きが来なければなりません それから、「あなた」という感覚が来ます そして、時が来ます、世界が来ます
全てがやって来ます
はじめに「私」が来ます
そして、たいていの宗教、スピチュアリティの真髄は、 この場所「私は在る」に戻ろうとする事です
それは、最初の純粋さの中です 質を同一視し始める前です 「私はこの身体です。私は人間です。私はドイツ人です 私は日本人です」などは後から来ます
後から来るものは二次的なものです それらは、あなたのビーイングの始まりではないからです
「私は在る」という感覚。「私は在る」という感覚は、 どんな観念とも結びついていないとき、 単独でそれ自身で輝きます
そこから現れる香り それが、セルフ・アウェアネスです
人々は、これを「サッチタナンダ」と言います
あなたが存在するという直観的な気づき この存在するという気づき、 至福、喜びが、その空間の中に現れます
そして、全ての生き物は、 「結びついていない存在」のその甘露、 アムリタの味を追い求めています
これを、人々は、バグワン・ブッダなどと呼びます
そのとき、ある少数の人々は言います しかし、この結びついていない「私は在る」という感覚でさえ、 この感覚さえも見られていると
「私は在る」は現れます そして、同様にその現れは見られています
あなたが、真髄の味に気づくその場所の中にいるときでさえ、 それ自体は現象です
あなたは、生まれてもいないし言葉も発しません
それは、今、どこにあるのでしょうか?
まさに、ここにあります!
それが、本当に選択することなく私たちです 私たちが「それ」なのです
私が、あたかも時に依存していないかのように 「いつ - when - 」について話す場合は、 それは、「いつ」のような時の中には位置していません
心にあるのは「いつ」だけです 「それ」自身には「いつ」はありません
「私は在る」という感覚さえも見られています