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空想にふけるのをやめよ。
現在に集中せよ
自分と周囲の人々に 起きていることをよく理解せよ。
マルクス・アウレリウス『自省録』
答えられるべき問い
人々は自分が何を 知らないかを知らない
米国は消費文化でしょう?
だから、人々に対する教育目標は
基本的にただ一つ
それは"買い物"です。
世界大戦以外で アメリカにとっての2大悲劇は
私が覚えている限りでは ケネディ暗殺と9.11ですね
これは世界と米国の歴史 にとっての転換点ですが
9.11後の出来事を ふり返ると
政府は9.11を考慮せずに以前 通りの外交方針をとっている
飛行機、銃、ロケット、ミサイル・・・
それらを世界中の国々に。
それは我が国最大の輸出産業
防衛産業だ。
この1100人は
3つの高層ビル全ての 制御解体の証拠に基づき
自分達の評判と資格を ネット上で賭けています
これは我が国の未来に とって非常に重要です
少なくとも私にとっては これの究明なしには未来もない。
政府は9.11の出来事 について嘘をついた
真実が明らかになれば 戦争も終わるかもしれない
国民はそうせねばならない
システムの衝突
資本主義と民主主義
多くの人々はこれらを 「文明」国に必須の要素と考える
だがこれらの概念の意味を 自問する人はあまり多くない
何かを怖れるからか・・・?
ここで見聞し行為した 事は持ち出し禁止
これもドルの価値の話です (『ドルの理解』、1953年の教育映画)
ドルの価値は上下します
その原因は何でしょう?
なぜドルは価値は減ったり 増えたりするのか?
それは比較価格の問題です
物価は変動します
需要と供給 政府の統制 助成金
多くのことが物価に影響します
これは一般物価水準 の話なのです
一般物価水準が上がると
ドルの価値は下落し
一般物価水準が下がると
ドルの価値は上昇する
追加のローンは様々な 目的に使えます
マイホームの新築に
お店の増築や移転に
新しい農機具の購入に
製品がはける時期の支払いに
家庭で高額医療費が 必要な時に
その他様々な理由で 人々は今手元にあるよりも
多くのお金、預金を必要とします (『銀行と信用』、1948年の教育映画)
これら取引のほとんどは 現金でなく預金で行われるので
それは銀行の預金額を現金 よりも増大させます
その結果、銀行には比較的 小額の現金があればよく
適宜に新しいローンを・・・・
ご覧の通り、銀行ローンは
資本主義システム内にいる人 全員にとってごく普通のものだ。
銀行は残りの現金をどうするのか?
一部は連邦政府に収められ
銀行は代わりに国債 その他の債券をもらう
ところで、国債や地方債は 国家の銀行への借金だ
言い換えると、国民は 間接的な債務者になる・・・
(社債、地方債、米国債)
一部は銀行の銀行 連邦準備銀行に行く
連邦準備銀行は1913年設立 同様の機関としてはその誕生は遅い。
映像と音:『資本主義』(1948年) 教育映画
実際、中央銀行の制度は近代 資本主義とほとんど同時期に生じた。
スウェーデン中央銀行(1664年) イングランド銀行(1694年)
フランス銀行(1800年) ロシア帝国国立銀行(1860年)
日本銀行(1882年)等
連邦準備銀行のユニークさは大手 銀行の共謀を通じて設立されたことだ
だがその機能は他の中央銀行と同じ 紙幣を印刷し金利を制御して
国の経済成長を促すことだ
連邦準備銀行だけでなく 世界の100以上の中央銀行が
今では"無から"マネーを作っている
つまり金や銀の裏付けなしで
世界初の"無から"のマネー (中国、宋朝、10世紀)
後世の、より普及したもの (中国、元朝、13世紀)
これら"無から"のマネーを使う 理由は単純だ。成長し続ける経済―
つまり"世界経済"の成長の 裏付けとなるのに十分な量の
金または銀は世界のどこにも おそらく存在しないからだ
"資本主義システムでは―"
"それらは通常、私有財産である"
ネバダ州ユッカフラット実験場
"利潤のために―"
"我々は土地を耕す"
1919年初頭、ニューヨークタイムズは
エッジウッド兵器庫として知られる 場所で世界最大の毒ガス工場が
英仏独を合わせた4倍もの 毒ガスを製造していると報じた。
1925年国際連盟はジュネーブ 議定書を採択し、化学・生物兵器の
使用を違法とした。 クーリッジ政権はこれを支持した。
退役兵の諸団体、米国化学協会、 化学製造業者はこれに反対した。
モルガンとチェースの銀行関係者が 組織した米国ローンは1920年代の
低迷するドイツ経済を下支えした。
29年と31年、スローンのGMは ドイツのオペル社を買収。フォードは
両国との架け橋になると宣言 ドイツの子会社への投資を拡大した。
大戦勃発の39年にも 両社は独の自動車産業で
優勢だったその子会社 を操っていた。
後の否認にもかかわらず 両社は独の子会社を放棄せず
独政府からの兵器生産用 設備再編の要求に応えた。
39年3月ナチによるチェコ占領 直後、スローンはその行為が
"採算性が高"かったという事実 に基づき正当化した。
実際に、軍需産業は 銀行業と並んで―
近代資本主義システムでは 最も収益性のよい事業のようだ。
なぜなら、どちらにも 最も安定した顧客―
一番破産しそうにない顧客 がいるからだ。それは国家政府だ。
それらは"資本主義原理主義者" にとって最良の就職先だ。
だがそれらはどんな宗教的・ 民族的信条にも適合しない。
ブラックメサ、アリゾナ州 ナヴァホ保留地
ここではアメリカ原住民が 民間業者によるウランの
採掘ラッシュの余波に苦 しんでいる。土地と水の―
汚染によるものである。
人々は長年に渡って―
2011年現在もまだ 何も 変わっていないと感じている。
どんな行動もとられず 道も改良されず
住居も建てられなかった。
行われたことは非常に少ない。
だから疑念がわく。
いつまでこんな暮らしなのか?
ご覧のように、資本主義"原理主義" はどこか民主主義の原則と矛盾する。
少なくとも 歴史は 我々にそう語る・・・
では、"民主主義"の概念を チェックしてみよう。
語源的には"民主主義"は "人民による統治"を意味する。
だが、20世紀を通じてこの言葉 は他の多くの意味と共に用いられた。
その結果・・・
この問題は単純だ。
(I.ウォーラーステイン、社会学者) 今日ではどんな政治家でも―
権力の座にいる政治家は 自国を"民主的"だと言う
だが事実上 世界のどの国 に対しても その国が
民主的でないと言う人々がいる。 国内にも国外にも
その国が民主的でないと 言う人々がいる。
だから言葉の意味に関して 明らかに意見の相違がある。
"民主主義"は字義通りには 人民による統治だが―
"統治"の意味に関しても
"人民"とは誰かに関しても 合意がない。
1961年に米国政府 から見たアメリカ"人民"は・・・
私はジョン・ウェイン。 (『理念の挑戦』、1961年、米国防省)
リンカーンが求めた次の希望に 比肩するものが世界にあったか?
究極的な人民の正義さ。
"人民"に関する彼の 長々しい言説を分析しよう。
我々は多くのことを信じるが
この信念は―
これは少々冗長過ぎて 曖昧ではないか?
我々は生き生きと騒がしく
工業的でもあり(以下略)
彼らは世界のしごく 平凡な人々ではないのか?
この楽天的な大衆文化は 日本や西欧だけでなく―
ソ連にも浸透した。
もちろん、ある程度 ではあるが・・・
我々の"自由"の遺産 は最も貴重なものだ。
彼らはそれを生かすため に死んだ。現代の米国人の多くも。
彼らは皆それを守るために 死に 我々もまたそうする。
この遺産の栄光が 我々の人生を照らす。
尊厳と気高い精神をもつ 人生だ。
長い人類の歩みの中で かつてなかったような・・・
我が国の公文書や国民の 歴史で繰り返される言葉がある。
彼は私達の"個人の自由"の起源 について語っているところだ。
その言葉とは―
"この国は神の下にある・・・"
この思想はナチや大日本帝国の イデオロギーからそう遠くないのでは?
"この言葉は他の同様な 言葉と共に我々の人間観を・・・"
この政治宣伝映画のこの エピソードで提示された―
"合衆国憲法前文"に そんな言葉は存在しない。
"神の下に"という文言は "忠誠の誓い"に存在するが―
それは1954年になって 追加されたものに過ぎない。
全体としてこの言説は 脈絡のない諸概念と―
矛盾しあう理念の混合物 を我々に与える。
(2001年9月11日、G.W.ブッシュ による国民への呼びかけ)
"ありがとう"
お休みなさい。 アメリカに神の祝福を。
"神の下の"、"神に祝福された" 国の概念は世界史では珍しくない。
D.W.グリフィス監督『イントレランス』(1916) の"バビロン"のエピソードより
神に栄光を! キュロス王に長寿を
諸王の王 支配者の中の支配者!
啓蒙主義時代の後 ヨーロッパ社会はいっそう
世俗化していったが 各国 は教会の宗教的権威を
利用するためにそれを 制御したがった。
19世紀を通じてロシア帝国は こうした聖堂や記念碑を建てた。
その幾つかは完成までに 数十年を要した。
ソヴィエト映画『十月』(1927年、 S.エイゼンシュテイン監督)より
この映画がはっきり示すように ボリシェビキ政権は―
あらゆる宗教の権威を 全面的に否定した。
救世主キリスト大聖堂傍 アレクサンドル3世像の除幕式前 (1912年)
なぜならロマノフ朝ロシア 帝国は正教会を―
自己正当化のために 利用したからだ・・・
そして"人民"は帝国末期に 古いシステムのからくりを知った。
皇帝像の破壊 (1918年夏)
"静寂。嵐のせまる朝霧のなか・・・"
それゆえ それは当時の "人民の選択"だった。
"最後の時の声がする"
"ドンナ・アンナはお前が死ぬ時に"
"アンナは死の時に立ちあがるだろう" (A.ブロークの詩『司令官の足音』)
これら全てのイメージは"公式的" 歴史の一部を提示するだけだ。
どの国でも任意の歴史的瞬間に "人民"は様々な信念を持つものだ。
1920年代 ロシアの"人民"の 一部は自発的に―
反宗教活動を行った。
1931年ソヴィエト共産党は 1882年以来モスクワ最大の―
宗教的・文化的な中心だった 救世主キリスト大聖堂を―
解体する決定を下した。
"個人の自由"は少々 曖昧な概念である。
フランクリン.D.ルーズベルトは "四つの自由"と呼ばれる―
もっと具体的な処方を 作成した。
F.D.ルーズベルト: 1941年1月6日の一般教書演説
第一は―
ロシア正教会はソヴィエト政権下で 虐げられていたが 禁止はされなかった。 (1.言論の自由?)
1943年に政府はその合法性を 認め 定期刊行誌の発行を許した。
第二は―
誰もが神を・・・
1980年代末 ロシアの人民は 救世主キリスト大聖堂を― (2.信仰の自由?)
復元する社会運動 を起こした。
復元(94~99年)の後2005年 には聖堂の傍に―
皇帝アレクサンドル2世の 記念像が現れた。
専制君主でありながら 彼は ロシアの近代化のために―
裁判・教育・軍事・地方自治体 の改革や農奴解放を主導した。
(3.欠乏からの自由?)
アレクサンドル2世は "人民の意志"派という―
"人民"に支持されなかった テロ組織により暗殺された。
4.恐怖からの自由?
"世界的な用語で言うなら"
"全世界的な軍備縮小を意味する"
"それは世界のいかなる国も その隣国のいずれに対しても―"
"物理的な攻撃をなし得ない 地点にまで至るべきである"
"それは何千年も先の ヴィジョンではない"
"それは現代、我々の世代に 達成可能な―"
"ある種の世界の明確な基礎である"
"その世界は 独裁者達が 爆弾によってつくろうとしている―"
"いわゆる「新たな恐怖の秩序」 の対極にある"
"その「新たな秩序」に我々は より 偉大な構想―道徳の秩序を対置する"
"良き社会は世界支配も 外国の革命も怖れずに直視する"
"アメリカ史の最初から 我々 は変化を実行してきた"
"それは永続的で平和な 革命であり―"
"確固として 静かに 変化する状況に合わせて進む"
"強制収容所や 死体の山なしで"
結局のところ 人民は自分達で あるべき"民主主義"を決めるべきだ。
人民がそうするためには 少なくとも"欠乏からの自由"と―
"恐怖からの自由"が全て の国で実現されねばならない・・・
戦争の人類学
ドワイト・D・アイゼンハワー の国民への別れの挨拶
1961年1月17日
" 我々の武器は強力・ 即時に使用可能で―"
"攻撃者が敢えて自滅のリスク を冒さぬものでなければならない"
"現在の軍事組織は平時の 私の先任者達の時代とは違う"
"私は世界大戦と朝鮮戦争 を戦った者として言う"
"最近の大戦まで―"
"米国は軍需産業を持たなかった"
"アメリカの鋤職人は―"
"必要に迫られれば 刀を作ることもできた"
"だが もはや防衛を緊急時 の即興には委ねられない"
"我々は恒久的な軍需産業 を作る必要に迫られた"
"いかにそれを為したか?"
"350万人の男女が直接的に 関連省庁で働いている"
"我が国は軍事費だけでも毎年 民間企業の純利益全てよりも使う"
"巨大な軍事省庁と大軍需産業 とのこうした結合は―"
"米国における新しい経験である"
"経済的、政治的、さらに 精神的なその影響は―"
"全ての都市や州議会 連邦政府機関で感じられる"
"我々はその必要性を 認識している"
"だが我々はそれが意味するものの 重大さを理解せねばならない"
"我々の努力や資源や生活の 全てがそれに関係している"
"ゆえに それは社会の構造 自体なのだ"
"政府の審議会で我々は―"
"求められたか否かに関わらず 軍産複合体による根拠なき―"
"影響力の獲得を防がねばならない"
"間違った権力の破滅的な 台頭の可能性があり―"
"またあり続けるだろう"
"この複合体が我々の自由や―" (核備蓄の数)
"民主主義を危機に晒すの を許してはならない"
半世紀後・・・
私の最新作『リダクテッド』は―
(ブライアン・デ・パルマ 映画監督) 本国で受けが悪かった。
米国の対外政策やイラクで 何をしたかを批判したからだ。
ああした恐るべきことが 起きるのは若者を―
なぜ戦うのか 何をしに来たか 分からない世界に送るからだ。
軍隊について否定的な 発言は禁じられている
たとえ彼らの派兵が間違っていて 無垢の市民が大勢殺されても
彼らは勇敢な戦士なんだ。
我が国の対外政策は間違っていて イラクに派兵すべきでなかったと思う。
政府は我々に嘘をついていた。
若者達を事情も分からないまま 派兵すればどうなるのか?
我々は繰り返し聞かされてきた。
そういう雰囲気を作る言葉を。 例えば―
"アメリカは世界で 最も偉大な国だ"とか。
何度聞いたか 分からないね。
なぜ我々は世界中の 国々にいるのか?
軍隊が世界中にいる。 なぜか?
我々は世界の警察官だから?
誰がそう決めたのか?
飛行機、銃、ロケット、ミサイル・・・
それらを世界中の国々に。
それが我が国最大の 輸出産業の一つ
防衛産業だ。
国防総省は特定の 映画作家を―
(デヴィッド・ロブ、元ハリウッド雑誌記者) 支援していることを認めている。もしも
その作家が撮影前に 喜んで脚本を彼らに渡し―
彼らの望む変更を加えるならば。 彼らは軍の否定的描写を―
新兵募集の目的に沿わない として削除を望む
作家がその要求に応えて 何か肯定的要素を加え―
彼らが人々を募集 するのを助けるなら
彼らの援助が得られる。 映画作家は―
空母や潜水艦、戦車、戦艦、飛行機 へのアクセスが得られる。
だが彼らのルールに 従わなければ―
それらは与えられない。
軍の援助が必要な映画作家は 彼らに脚本を渡す。
彼らはそれを見て 彼らの 要らない部分を区別し―
承認を得るために脚本を どう変えるかを示唆する。
取引が決まれば契約書 にサインし―
撮影が始まると軍から 世話人がセットにやってきて
取り決め通り撮影 されているか確認する。
そして一般公開前には ワシントンで―
将軍や提督達のために 試写される。
彼らは人々が映画を見て 英雄性に感化され―
軍に入ることを望んでいる。
もし映画が軍の誰であれ 否定的に描けば―
人員募集の目的に 合わないと見なされる。
だから 戦争犯罪や軍人 の悪行を描く映画は援助しない。
アメリカ人は―
軍によって消毒されて 軍隊を実際より英雄的に
常に正しいように描いた何百 もの映画やテレビ番組を見る。
それがアメリカ人の心に 誤ったイメージを作りだす。
私の考えではそれが国民を より好戦的にしている。
嘘はそれが個人的で社会 的に象徴化されない間は―
悪とみなされる。 人々は社会的な虚偽を―
真実と見なすのに慣れてしまった。
ニコライ・ベルジャーエフ 「人間の運命」
陰謀と歴史
一般に"陰謀"という言葉は―
"有害または違法な 何かを行うために―"
"ある集団によって作ら れる計画"と定義される。
人類の歴史は"陰謀"に 満ちている。なぜなら―
様々な集団が"秘密の 計画"を用いて―
敵を倒そうとしたからだ。
もちろん 敵にとってそれらは "有害または違法"だった。
敵国に対する"陰謀"は 正当化された、特に―
そうした敵の"邪悪さ" が明らかと思える時には。
大規模な"秘密の計画"は 人々に知らされることなく―
超大国の国家機関に よって実行された。
一党独裁の共産主義 ブロックでは容易だった。
誰も党の決定への反対を 許されなかったからだ。
だが資本主義ブロックの 政治家達には―
納税者に 計画のための 大きな出費を説明する―
口実が必要だった。
今でも役立つその口実は 戦後の復興援助だった。
ティム・ワイナーによれば "仕組みは驚くほど単純"だ。
議会によるマーシャル・プラン承認後 5年間で137億ドルの予算が組まれた。
援助を受けた国々は 同額を自国通貨で
別途用意せねばならなかった この資金の5%、つまり
合計6億8500万ドルが プランの海外支局を通じて
CIAに供された。秘密の基金 は秘密工作の要だった。
CIAは出所不明の金の 確実な供給源を得た。
T.ワイナ―『CIA秘録』より
(自由世界に力を USAより)
システムと団体
経済協力の本部を ワシントンに設置
経済学者が戦後の 世界情勢を...
指揮をとるのは自動車業界 のポール・ホフマン
相手側の意図も潜在的 軍事力も内部政争も知らずに
両陣営は互いに秘密工作と 諜報活動に熱中していった。
両陣営で戦後復興が 始まるうち、一部の戦前の
政治家達は、たとえかつての "A級"戦犯容疑者であっても
活動を再開できるように なっていた。
そうした政治家の一人 岸信介は戦時中に―
商工大臣を務めた。 1948年に釈放され
1952に政治活動を再開。 親米的な自由党に入るが
まもなく離党した。
岸はアメリカ人に、自分の戦略は 自由党を転覆させ、名前を変え
立て直して自分が動かす ことだと語った。彼の指揮する
自由民主党は自由主義的 でも民主的でもなく
帝国日本の灰塵から 立ち上がった右派の封建的
リーダー達のクラブだった。
米国は日本に軍事基地を維持し 日本で微妙な問題である核兵器
もそこに配備できた。見返り として岸が求めたのはただ
アメリカからの秘密の 援助だった。
1955年8月にF.ダレス国務 長官は彼に言った。
日本の右派が一致して 米国の共産主義との戦いを
助ければ援助すると
T.ワイナー『CIA秘録』より
岸は総理大臣となり (1957~60年)、1987年に
死ぬまで政界に 影響を及ぼした。
自民党は70年代まで CIAから援助を受けつつ
与党であり続けた。
戦時中の官僚達の中には 実業界に入った者もいたが
彼らは人民を"システム" のために―
統制するという、以前の 理想を捨てなかった。
こうした社会・政治的 システムは長い時間
-たぶん何世紀も かけて設計・改良される。
その歴史的距離のため 人々はしばしばシステムが
生まれた経緯を忘れる。
恐怖と嘘と管理
『核攻撃下でのサバイバル』(1951) 合衆国市民防衛庁
我が国の都市が無人で 非生産的になれば敵の思うつぼ。
非常時には我が国の工場が 戦闘基地となる。
勝つつもりなら生産を 続けねばならない。
オフィスや家庭にも義務 があり放棄は許されない。
最初の核爆発の際 我々を導く知識があれば―
生存のチャンスは広島や 長崎の人々よりずっとある。
(『核攻撃下のサバイバル』) 知識に基づき行動・準備すれば。
R.S.ノリスとH.M.クリス テンセンの「原子力科学者会報」
第62号(06)発表の論文によれば 米国は1951年に640発の核を―
一方でソ連はわずか25発 だけを持っていた。
地下室は下にあれば あるほど爆発や熱や―
放射能に耐えうるだろう。
あなたの住む都市の 攻撃目標地域に近い―
壁を選ぼう。家が倒れても その壁から離れた所に落ちる。
この官製映画の制作から 10年後、米国の核備蓄は―
2万4126発に増えていた。 その時でさえソ連は米国の―
10分の1以下の核しか 持っていなかった。
それで なぜ怖れる 必要が?
地下室が無いときは 1階の窓の無い場所に・・・
『共産主義』 (1952年の教育映画)
ロシアを見れば我が国が 何十億ドルもの税金を―
軍事費に投じ あなたの 家庭が史上最高の―
税を払う理由が分かる。
ソ連の指導者達は―
彼らが自国の防衛にしか 関心がないと言う。
本当だろうか?
N.レーニンを 知っていますか?
共産ロシア最初の リーダー。
もう一人はL.トロツキー。
レーニンは数年しか生きず
彼の死後 激しい 権力闘争の中から―
ヨシフ・スターリンが リーダーとして現れた。
この新しい顔の裏には―
古い顔が。
カール・マルクスです。
彼は共産主義の究極 目標として世界革命を・・・
現実には ソ連の指導者 スターリンは宿敵トロツキーと―
世界革命のヴィジョンを 共有せずに むしろ―
ソ連の近代化と防御 自分の権力保持に集中した。
この教育映画は 彼らの 内部抗争やトロツキーが―
1929年に追放されたこと に一言も触れていない。
1952年には スターリンは既に 老人で健康状態も良くなかった。
53年3月5日にスターリンは死亡。 9カ月後 元ソ連秘密警察の―
長官ベリヤがスパイ として処刑された。
ソヴィエト共産党の リーダー達のなかで―
N.フルシチョフが権力 への道を得た。
彼は1956年2月25日 第20回党大会で―
スターリンの個人崇拝を批判した。
その演説はソ連社会の 相対的な自由化への―
第一歩となった。
イデオロギー上の闘争は 継続したが 両超大国は―
人類滅亡のリスクを高め続ける のを重荷に感じ始めていた。
それは 正常な人類の一員 誰もが当然だと思うことだ・・・
J. F. ケネディの就任演説 1961年1月20日
このケネディの演説の2年前 F.カストロと彼の同志達は―
キューバ大統領F.バチスタ を倒し 彼らの政府を樹立した。
カストロは米国に旅行し 自分達が―
共産主義者でない ことを説明しようとした。
だが お互いへの不信感が キューバをソ連に接近させた。
"恐怖が人類の最終戦争を 食い止めている"
だから 新しい交渉を―
礼儀は弱さの徴でなく 誠実さは常に証明を―
必要とすることを思い出そう。
"恐怖からの交渉でなく 交渉するのを恐れずに"
ウィーン・サミット ケネディと フルシチョフ会談、1961年6月4日
これは当時の 核の軍事バランス。
青の部分は米国の 核備蓄を 赤の部分は
ソ連のそれを示している。
ご覧のように米国の 軍事力は―
少なくとも70年代末まで 人類最大の脅威だった。
当然ながらソ連は 対抗策をとった。
そして事態を悪化させた・・・
ベルリン 1961年8月
1962年10月 キューバ のミサイル危機が―
核のバランスのもとに 生きる危険性を―
世界に示した。
公正を期して指摘すべき だが 米国は66年の―
ピーク時以降は 核備蓄を減らした。
オスカー受賞のドキュドラマ 『ウォーゲーム』を見て―
正気にかえった政治家 が少しはいたのかもしれない。
だがケネディやフルシチョフの 後任達は"平和的共存"に
確信が持てなかった かもしれない。
少なくとも 米・総合参謀本部と ソヴィエト参謀本部はそうだった。
核競争は当初 ほとんど 未知の敵への恐怖から―
始まったが 多数の秘密工作 と大量の兵器製造の後で―
両超大国の軍事システム は制御不能に陥った。
制御不能の両システムは 一体となって地球上に―
信じがたい量の核備蓄 をもたらす結果となった。
フルシチョフでさえキューバ 危機のさなか ケネディに
こう書き送っていた。
"こんなことができるのは 自分が死ぬ前に―"
"全世界を滅ぼしたがる 狂人か自殺者だけだ"
ありうる軍事独裁を 防ぎ システムの安定を
維持するためにソ連の 文民指導部は―
資本主義諸国と 同様な目標を設定した。
すなわち 大衆消費社会 の更なる発展である。
これをプロパガンダと お思いだろうか?
いや 全く違う。
もう "システム"を別の 側面から見る時だ。
この世界ではユートピアは常に 全体主義的であり―
全体主義は常に ユートピア的である。
本質的にユートピアは 自由には敵対的である。
ニコライ・ベルジャーエフ 『精神の王国とカエサルの王国』
生産と消費
大洋の波のように人々も 巨大な力を示す。
アメリカ流生活の理解に― (『市場へ、市場へ』、1942年)
欠かせない事実だ。
この力は"消費者パワー" として知られる。
潜在的な"消費者パワー" に応えるために―
アメリカの産業界は米国 に かつてどの民族も―
享受しなかった最高の 生活水準をもたらした。
この短編映画は屋外広告の 促進を目的に制作された。
だが これは消費主義に基づく "より良い生活"という―
誤った仮説を唱えている。
"人々が求め、必要とする商品を・・・"
システムの公式的言説 において消費主義を―
補足したのは 民営事業 を奨励する余りに素朴な
諸概念だった。
"ジョナサンは自分の 事業で素晴らしい報酬を―"
"得ることを夢見ていた" (『それは皆のビジネス』、1954年)
従業員への支払いもあり
税金も払わねばならない。
事業に投資した友人に 利益を分配した後は―
ジョナサンの大きな 夢はしぼんでしまう。
"彼の夢"はどうやら 単なる贅沢な暮らしだ。
アルフォンスの店 だけの特典です!
ヨーロッパの王族を 飾った最新のスタイル
シックなスタイル 素晴らしい品質
そしてお値段は こんなに安い!
いらっしゃい! 大開店セールです
競争に勝つため 彼は利潤の一部を
事業に再投資 より良い帽子を開発。
顧客が彼の新商品の 質・スタイル・価格を―
彼はまだ夢を実現できる。
(競争を通じて得た 報酬に対する権利)
月日は流れ この強い 自由の土台が―
彼の家族の尊厳 を守った。
"信仰の自由"
ここに ばらばらな概念 のありえない配合の―
純粋な実例がある・・・
"雇用主と交渉する権利"
"事業を始める権利"
"自由企業"が"信仰の自由" に影響したり―
その逆の関係があったり するだろうか?
もしかすると これが真の"神"か?
少しスピードを上げよう。
どの共同体でも大人が 購入者の大半を占めるが―
子供は日用品の購入に 決定的影響を与える。
よって ポスターの掲示は 数十万に及ぶ公立学校の
立地を考慮すべきだ。
公立学校の立地は人口の 密集度に従っている。
だから学校の立地は実際 の人口分布に正確に一致する。
この理由により・・・
ご覧のように "供給サイド"は その商品の"需要"を―
喚起するために間断ない 刺激を必要とする。
それが意味するのは 消費主義が 人間にとって自然ではなく―
システムの一部に 過ぎないということだ。
"動脈による血流"
100%のポスター掲示 とチェーン店の立地が―
一致することで広告内容は 最も論理的な時と場所に
購買者に届けられる。
彼らは即座にポスター の購買暗示に応じる。
いいえ、私は自分自身 を見ているのよ
言葉どおりに?
お皿に映った私自身よ
更に言えばスーパーも 重要な要因になる。
楽しんでね
その通り あなたは本当の・・・
購買物の4分の1は輸入 品なのでポスター掲示は
スーパーに行く何千の人々に 商品の確認をさせる。
これらがポスターの完全な 掲示のための科学的配置を―
魔法のようだ
バウンティという 新しいペーパータオルは
水分を吸収する・・・
毎日 何千もの人々が 近所のチェーンストアに行く。
その"旅行"は事前にポスター により配置されたメッセージを伴う。
夜はお気に入りの映画館へ
新人スターを紹介します。
1953年の新型"シボレー"
スーパーの傍には ガソリンスタンドが。
("エッソ"の宣伝映画)
"ESSO"はあなたの車 を動かす。
"楽しいドライヴを"
広告業者達は 部分的には 彼らの作品の強制的な―
うるさいトーンを消す ことさえできた。
従妹のクリスティーと 同じように髪が伸びます
髪を短くも長くも できます。
私の肌は健康的 に見えます。
基本的なことを しているから。
新鮮な空気 日光 健康的な食事
そして水浴び
子供達も大好きなの。
("アイヴォリー"石鹸CM、70年代初頭)
エコ志向の生活は大量 生産・消費モデルと矛盾する。
その上 人々が多くの 社会福祉を望むほど―
彼らの支払う税額は高くなる。 "自由な"個人はそれを嫌う。
"天気相談所やその他多数 のサービス"
"我々の税が巨大な 軍事費もまかなう"
もしも国が長期的な 戦争をすれば―
状況はさらに悪化するだろう。
"政府"
"我々は政府による基本業務の 向上に必要な税を進んで払う"
"財務省"
こうしてアメリカは ニクソンが ドルの金との兌換を停止した―
1971年までには 袋小路に来ていた。
私が主張してきたのは―
(J.スティグリッツ 経済学者) 国際的な準備通貨の創設です。
準備通貨は私が思うに 価値の保蔵です。
そしてドルはとても 不安定でした。
アメリカ経済の窮状 を考えれば理解できます。
めざましいとは言えない パフォーマンスです。
実際 21世紀のグローバル 経済においては―
かつてドルがそうだった ようにただ一つの通貨が―
基軸になるというのは 時代錯誤です。
ドル準備通貨制度は 不平等に貢献します。
実はグローバル経済の需要 を弱めているのです。
なぜなら 他の国々は 文字通り何千億ドルも―
まさかの時の預金 として持っています。
使われないお金です。
ケインズは75年前に これを論じました。
大恐慌の直後です。 彼が理解していたのは―
英国の問題と 当時ポンドが 準備通貨だったことの関連です。
グローバル経済の安定性を 我々が望むならば―
ただ一つの国の通貨を 準備通貨にしないことです。
ブレトンウッズ体制は 彼の観点からは―
この点で失敗しました。
消費主義と"自由企業"の 経済成長に対する効果は―
米国の発見ではない。
それは遅くとも30年代までに 全ての文明国で周知だった。
1920年代NEP(新経済政策) 期のソヴィエト・ロシアの絵葉書
「赤玉ポートワイン」のポスター (日本、1922年)
東京 銀座の風景 1920年
東京 銀座の風景 1930年代
東京 宝塚劇場
『伯林 大都会交響楽』(1927) ワルター・ルットマン監督
ヨーロッパの娯楽も 近代資本主義とその―
成長する文化産業や 大量生産・消費に統合された。
ヨーロッパの映画産業は 伝統的な芸術の精神と―
大衆娯楽の最新技術 を結合させえた。
1910から20年代を通じて ヨーロッパ映画は―
世界的に大人気 を博した。
『深淵』(1910年) ウルバン・ガッド監督
このデンマーク映画の主演 女優アスタ・ニールセンは―
最初の国際的映画スター の一人だった。
この映画はアメリカでは 検閲の後 公開された。
検閲の理由は彼女の演技 の"エロティシズム"だった。
この事実は米国における "表現の自由"の―
曖昧さを示唆している。
彼女の自然な演技はロシア の新人映画スター―
ヴェラ・ハロードナヤに影響を与えた。
もしも1919年2月に夭折 しなければ―
赤軍は国内戦時代 に彼女の名声を利用できたろう。
フランス人俳優・監督の マックス・ランデーは―
ニールセンと並ぶ最初の 国際的映画スターの一人。
彼の初期作品は チャップリンに影響を与えた。
"自由競争"のもとでは 最も効率的な会社や―
最も才能ある人々が 勝者になるだろう。
市場が本当に"自由"ならば。
現実には 全ての工業国が 保護主義や 特定分野と―
特定企業への選択的 助成を容認してきた。
例えば ハリウッド映画・TV産業 とそのMPAAのロビイストである―
J.ヴァレンティは ソニーの 実現した"ホームビデオ"を―
除去しようとし その後
米国市場の開放を限定した まま欧州に市場開放を要求した。
自己調整機能をもつ"自由市場" は学問的な神話に過ぎない。
ソ連の国営映画産業は 人気あるジャンル映画の―
お陰で60~80年代は "儲かり"続けながら―
2つのオスカー受賞作と―
幾つかの非常に芸術的な 映画を生産した。
アメリカ人は恐ろしいほど 情報を知らない。
(M.C.ミラー、メディア評論家) 彼らが知りたくないからではない。
多くの人々は 何が起 きているか本当に関心がある。
経済や我が国 の戦争等について。
人々は何を知らないかを 知らない
米国は消費文化でしょう?
だから 人々に対する教育目標は
基本的にただ一つ
それは"買い物"です。
余力があればです。 今では難しいですが。
もし人々が薄っぺらで 完全に歪曲された―
ニュースしか―それは多くの 有料チャンネルがあっても同じで
彼らが見られる唯一の ものですが―
それしか見なければ それが 事実だと理解する。
多くの嫌がらせを受けた 9.11真相究明運動は―
実際には唯一のとても 理にかなった要求をしている。
彼らが本当に要求している のは新たな調査と―
新たな調査委員会で 私も要求します。
なぜなら実際に 公式報告は―
無数の点において 馬鹿げていますから。
ニューハンプシャー、キーン市 (2010年3月)
今晩 高校にお集まり下さい。
今晩 高校です。
これは我が国の未来に とって非常に重要です
少なくとも私にとっては これの究明なしには未来もない。
僕は投票します。真実のために。
私は賛成します。でないと 今夜来た理由がないわ。
正直言ってね。
基本的に不可能だ。
(ジョン・ウィンドハム、物理学者) 加速なしで高層ビルが倒壊するなど。
物理的に。だが現実はそうだ。
(マイク・ブラストス、元キーン市長) 世界大戦以外で―
私の覚えている アメリカに とっての2大悲劇は―
ケネディ暗殺と9.11です。
どちらも全く未解決だ。
「アメリカの裏切り:9.11、戦争と 破られた憲法」集会(2010年3月)
"ここに来る理由は十分あるよ"
"あの事件の後は"
(D.アヴェリィ、映画作家) 可笑しいのは僕らが何年も―
正義と説明を要求して 無視されたのに―
誰かが銃をもって国防総省 に行ったら急に注目された。
この1100人は―
(R.ゲージ、「9.11の真相を求める建築家・技術者」創立者) 3つの高層ビル全ての―
制御解体の証拠に基づき 評判と資格を賭けている。
(自由の旗よ万歳!)
(永遠に我らの基準としてはためけ)
(きらめく土地と海と)
(正義の旗よ)
(暴君たち この日を記憶せよ)
(我らの父祖が 強き精励により)
(戦地に行進しつつ宣言した)
(その威力と正義により)
(旗ははためき続ける)
いわゆる「偽旗作戦」が あまりにも頻繁に―
政治家や将校達の頭に 浮かんだために―
人民が彼らを信用しなくなった ことは嘆かわしい。
全ての対象を原因(形相因) と質料因に分けて考えること。
マルクス・アウレリウス『自省録』
システムと人的要因
システムはいかにして生まれるか?
なぜそれは嘘を生じるのか?
何がその機能不全を起こすのか?
近代資本主義 システムの始まり
その時以来 国家は 政権と権力の維持のため―
商人や銀行家達に 頼り続けてきた。
近代民主主義 システムの始まり
近代資本主義は―
(I.ウォーラーステイン) 私の意見では進退きわまっている。
それはシステムとして 存続できない。
私達が目にしているのは システムの構造的危機です。
構造的危機は長く 続きます。実際それは―
程度の差はあれ 1970年代に始まり―
あと20年から40年続きます。
それは1年そこらの 短期的な危機でなく―
システムの大きな 解体であって―
別のシステムへの 移行期なのです。
実際 今世界で 起きている真の闘争は―
大半の人は認めませんが―
資本主義をとるべきか どうかではなく―
何がそれに代わるかです。
私ならもっと相対的に 民主的で平等主義的な―
世界を望みます。
そんな世界観はかつて ありませんでしたが可能です。
もう一つの世界観は 非常に―
不平等で両極分化し 搾取的なシステムです。
資本主義はそうですが そうでなくとも―
他の多くのやり方で同じ ことができる。
幾つかは資本主義より ずっと悪いかもしれない。
幾つかは資本主義より 「ずっと悪い」かも?
我々は「ずっと悪い」システム の例を知っている。
「ファシズム」である。
それは民主主義と 個人主義を同時に否定した。
なぜならファシズムは人種差別、 わずかな選良による統治と―
人民の国家への完全な 融解に基づいたからだ。
ファシズムは他の国民 との"共存"を否定した。
ナチス・ドイツは我々の知る 人間性の否定にまで至った。
人民は自民族中心主義の 享楽主義者と見なされた。
だが これらの指導者は 合憲的あるいは"民主的な"―
プロセスにより選ばれ、 "人気があった"のだ。
ファシズムの社会的・文化的な 背景は比較的よく知られている。
だが 1930年代における 他の主要工業国の―
状況を見ると 一つの 共通する傾向に気づく。
大恐慌の後 主要な 工業国は自由主義的な―
経済政策から国家による 制御に方向転換した。
アメリカのニューディール、ソ連の 5カ年計画、ファシスト・イタリアの―
民間企業国営化等・・・ これら全ては"自由主義"―
経済に対する失望を 示している。
自由市場の"自己調整"の 信奉者は 国家の干渉が―
無ければ危機はもっと 早く去ったと主張するが―
彼らは"社会主義者による" 陰謀論しか証明できない。
スターリン主義とナチズムは "強力な国"のために―
何百万もの人民を犠牲にした。
実際に ソ連もナチス・ドイツも 30年代末までにそれを達成した。
国家主義的な指導者達の 定義した"人民"は―
一時的な偽りの繁栄を 歓迎した。
これは世界の労働と市場を示す。 (『交易入門』、1951年の教育映画)
分布が不均等でしょう。
そして これは商品を 作る工業地帯。
一般には国によって 商品が違います。
これも分布が不均等ですね。
また これらの産業に 使われる資源も不均等に・・・
カダフィはかつて言った。
アラブ諸国に必要なのは それに愛されるのでなく―
それを泣かせる人物だと。 まさに彼は自分がそうなった。
余分に生産できる国から―
人々がそれを使い 必要とする他の国へ
時にはこのバランスが崩れる。
政府が特定業界の求めに 応じて輸入規制する場合だ。
"たぶん外国との競争を怖れて"
"外国との競争"からの自国 産業の保護は―
新自由主義者の唱える "自由市場"原則と矛盾する。
だが それは人々が"より良い 暮らし"を求める国々で―
実践されてきたことだ。 そして発展途上国での―
"より良い暮らし"の意味は通常 単に"欠乏からの自由"だ。
近代軍事 システムの始まり
ソヴィエト映画『戦艦ポチョムキン』 (1925年、S.エイゼンシュテイン監督)より
―ワクリンチュクは決意した
―さもなくば!
―兄弟達!
―誰を撃つつもりなんだ!
―撃つんだ!
人の悪事はそれが 行われた所に残すがよい。
マルクス・アウレリウス『自省録』
来るべき世界
ウォーラースティンはかつて 3つの可能な選択肢を示唆した。
新・封建主義、民主的 ファシズム、そして―
高度に分権的で平等 主義的な世界秩序だ。
"資本主義にとって根本的 なもう一つの考えは―"
"利潤動機だ"
"利潤のために―"
"我々は土地を耕す"
"我々は大製造工場を建てる"
"我々は作った製品を 利潤のために売り"
"遠距離を輸送する"
"ソ連は宇宙飛行の大部分 を全世界的な政治宣伝に・・・"
"相対的に民主的で平等 主義的な"システムは―
我々が個人的価値と 社会的価値とのバランスを―
回復すれば可能かもしれない。 "利潤動機"という―
人間性に関する偽りの 概念を捨てて。
19世紀以前 それは "貪欲"と呼ばれた。
未完のプロジェクト
(ウーゴ・チャベス)
(ウーゴ・チャベス ヴェネズエラ前大統領) 今、ラテン・アメリカは違う歌を歌い―
違うリズムで踊っている。
我々は自分の合唱を好み 自分達のリズムを発展させている。
我々はお互いに助言 しあっている。
我々は自分の独立をラテン・ アメリカ連合内で守っている。
ラテン・アメリカはかつて 長い間 米国の裏庭と―
見なされてきた。
20世紀の間中 またそれ 以前もメキシコ侵略があり―
始まったのは19世紀末 になるずっと前です。
シモン・ボリバルの言葉に ―彼は一種の予言者です。
ずっと以前の1825年に こう言ったのですから―
"米国は神の摂理によって ラテン・アメリカに 自由の名において"
"苦悩をまき散らすようだ"と。
彼らはラテン・アメリカのあらゆる 政治的リーダー達の―
首をすげ替えました。独立に ついての考えが違うという理由で。
150年間 ラテン・アメリカでは 米帝の介入なしの―
クーデターは一つも ありませんでした。
彼らは注意深く 単なる従僕でなく―
我々が"プチ・ヤンキー"と呼ぶ エリート達を養成しています。
そこで主な矛盾の一つは―
大陸に 例えば経済的なモデル を変える意志があって―
ヴェネズエラでも変化への 戦いが続いています。
それは平和的な革命でした。
民主的で全く 合法的な革命です。
しかし経済的エリート達は あらゆる観点からそれを拒否し―
あらゆる手段を用いて 民主的な変化に反対する。
チャベス司令官の勝利を 祝っているの
私達はチャベス司令官の ために全力を尽くしました
彼が革命だからです。
14年の大統領在職中に チャベスは 新憲法と―
社会保障政策を導入し 貧困者の生活と人権保護の―
ための条件を改善する ことができた。
そして "米帝国"の 市民達にも善行を施した。
ニューヨーク(2012年1月)
これでいいわ
彼女は 全米50万人の 貧困者に無料の暖房用―
油を提供するCITGO ヴェネズエラ・プログラムの―
受益者である。
私が知っているのは彼が 米国の人々に親切なこと。
オバマの統治が違うように 彼の統治も違うんでしょう。
彼らに正しい生き方を 教える私達は何様なの?
彼らがこの国を 侵略したわけ?
違うわ。
彼らは寛大に油を 無料でくれた。
なのに悪く思える?
私は感謝してるわ。
他人のことに口出し するのは止める時よ。
問題はここでしょ。
私達の子供は大学を 出るのに8万~10万ドルの―
教育ローンを背負うわ。
彼らは破滅するわ。
仕事もないし。
我々は 誰もが人権や 社会的権利、教育や―
保健医療、年金、社会保障 そして仕事を持てる―
真の民主主義を建設している。
ウーゴ・チャベス (2006年7月 "Progressive"誌 のためのインタヴューより)
私は南米が赤い衣を まとったのに気づいた。
(E.モラレス、ボリヴィア大統領)
それは様々な政党や 政治的指導者が感じている。
彼らは自国民の 深い苦しみを感じている。
我々の義務はこの戦いを 続けることです。
民主的な 銃弾なしの革命を 投票を通じて行うことです。
チャベスは2013年3月5日 2年に及ぶ癌との闘病後に死んだ。
彼は支持者に 自分が死ぬ ならニコラス・マドゥーロに―
投票するように勧めることで 民主的な方法により―
後継者にマドゥーロを指名した。
マドゥーロは2013年4月 の大統領選で勝った。
チャベスと他のラテン・アメリカ 諸国のリーダーに率いられた―
"21世紀の社会主義" プロジェクトは続くようだ・・・