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翻訳: Yuko Yoshida 校正: Eriko T.
逆境ばかりの人生を送ってきた私は
ここ何年もの間
苦境に立たされた人たちが
そこから 力を得て
立ち上がる姿に 感銘を受けてきました
苦境にあるときには
そこに意味を見出すことだ とよく耳にしました
長い間
「意味」というものは そこにあって
大いなる真理は発見される時を 待っているのだと思っていました
でも 次第に私は
真理は重要では無いと感じるようになりました
「意味を見出す」と言いますが
意味を与え 「創り出す」と言うべきでしょう
最近の著書で 私は
さまざまな障害を抱えたり 普通とは違う子どもを
家族がどう受け止めるかについて 書きました
取材した母親の一人は
複数の重度障害を抱える お子さんを二人お持ちでしたが
こう仰っていました
「皆さんから いつも
『神は乗り越えられない試練は与えない』 といった言葉をもらいます
でも こうした子どもたちは
最初から『神からの贈り物』 だったわけではありません
私たちが 『贈り物』だと 考えることを選んだのです」
私たちは人生で このような選択を繰り返しています
私が小学校2年のとき
ボビー・フィンケルの 誕生日パーティーがあり
私を除いたクラス全員が 招待されていました
母は 何か手違いがあったのだと思い
ボビーのお母さんに電話しました
すると こう言われたのです
ボビーは私が嫌いだから 招待しなかったのだと
その日 母は私を動物園に連れて行き
温かいチョコのかかったパフェも 食べさせてくれました
中学1年のとき
スクールバスで一緒だった子に
「(ゲイの)パーシー」と あだ名を付けられました
私の立ち居振る舞いが ゲイっぽかったからで
時折 彼は仲間と一緒になって そのあだ名を
大合唱して からかうようになりました
それも スクールバスに乗っている間中で
行きに45分 帰りに45分です
「パーシー!パーシー!パーシー!パーシー!」
中学2年のときには
科学の先生がこんなことを言いました
「同性愛の男性は
便失禁になるんだ
肛門括約筋が傷つくから」
高校を卒業するまで
一度も学食に行くことは ありませんでした
女の子たちと座っていれば
それだけで からかわれ
男の子といれば
女の子と一緒にいるべきだと
からかわれるからです
私は子ども時代を
問題から逃げ 耐え忍ぶことで やり過ごしました
当時 私が知らず
今になって わかったのですが
あの逃げ 耐え忍んだ経験は
そこから意味を 創り出す第一歩となりえます
意味を創り出したあとは
その意味を取り入れ
新しいアイデンティティにします
トラウマを受け入れ
新たな自分の一部にするのです
そして 人生で起こった最悪の出来事を
勝利の物語に織り込み
傷ついた出来事への応えとしての
より良い自分の姿を 描き出すのです
本の執筆にあたって
取材をした母親の中に
思春期にレイプされ
そのときに子どもを宿したことで
人生設計も台無しにされ
人との感情的な繋がりが すべて損なわれた方がいました
お会いしたとき 50歳になっていた彼女に
私はこう聞きました
「レイプをした男性について よく考えますか?」
「以前は彼について抱くのは 怒りでしたが
今はただ同情しています」 と答えました
その男性はこんな酷いことをするほど
未成熟だから 同情しているのだろうと思い
「同情ですか?」と言うと
彼女はこう言ったのです
「そうです 彼には こんなに美しい娘と
素晴らしい孫が二人もいるのに
彼は知らず 私だけが知っています
ですから 私はラッキーなんです」
私たちの抱える困難には 生まれながらの―
ジェンダー、性別、人種、障害のほか
途中で身にふりかかってくる ものもあります
政治犯やレイプ被害者になったり
ハリケーン・カトリーナに被災したりです
アイデンティティは コミュニティの中に入り
そのコミュニティから 力を引き出したり
そこに力を与えたりすることにも 関わります
アイデンティティは 「でも」を「だから」に変えることです
例えば「私はここにいる でも ガンを患っている」を
「私はガンを患っている だから ここにいる」という具合にです
恥じ入っている時には
自らを語ることができませんが
そうした物語こそ アイデンティティの基礎となるものです
意味を創り出し アイデンティティを築く
意味を創り出し アイデンティティを築く
これが私の信念になりました
意味を創り出すことは 自らを変えることでもあります
アイデンティティを形づくることは 世界を変えることでもあります
私たちは皆 不名誉なアイデンティティを抱えており
日々 この問いに直面しています
社会に順応するために
どこまで自分を制限するのか?
どこまで行けば
「普通の人生」の一線を越えるのか?
意味を創り上げ アイデンティティを築くことは
間違いを正すことではありません
間違いを 価値あるものにするだけです
今年1月に
私はミャンマーを訪れ 政治犯の人たちを取材し
予想していたより 彼らが悲惨な様子ではないのに
驚きました
ほとんどの方は 故意に
罪を犯して収監されていますから
胸を張って刑務所に入り
何年後かに刑期を終えたときも
胸を張って出所するのです
マ・ティーダ氏は有力な人権活動家で
獄中生活では死にかけ
独房で何年もの歳月を過ごしました
そんな彼女はこう言います 「看守には感謝しています
彼らのお蔭で 考える時間が持て
英知を得ることができ
瞑想のスキルも向上したからです」
彼女は そこで意味を探求し
味わった辛苦を 決定的なアイデンティティとしたのです
こうした方々は
予想よりも 獄中生活に
苦しんでいなかったのですが
私が思い描いていたよりも
ミャンマーで進んでいる改革を
喜んでもいませんでした
マ・ティーダ氏は言います
「私たち ビルマ人は
追い詰められたときでさえ とても寛容だと言われます
でも その魅力の下には 怒りもあるのです
そして これまで このように様々な変化が
あったという事実が
社会にはびこる問題を
消し去るという事は無いのです
刑務所にいる間に こうしたことが
よく見えるようになりました」
私の理解では 彼女が言わんとしているのは
一部の者だけが利権を握り
全ての者に開かれていない状況で
テーブルに着く場所によって
与えられる食べ物も違うということです
つまり 意味を創り出し
アイデンティティを築いても 猛烈な怒りは収まらないのです
私は レイプされたこともなければ
ビルマでの投獄に近いような
経験すらありません
でも アメリカ人のゲイとして
偏見や嫌悪の目にさらされてきた私は
意味を創り出し アイデンティティを築きました
これは 私が知りうる以上の
ひどい憂き目にあってきた人たちから
学んだ やり方です
思春期には
極端なほど ストレートになる努力をしました
「セックス・セラピー」と言われるものを
受けたりもしました
そこでは 「医者」と呼ばれる人たちが
「女性とのエクササイズ」と 呼ばれる行為を処方します
女性のことは「セラピスト」と 呼ぶように指導されます
彼女たちは売春婦ではないのですが
それ以外の何者でもありませんでした
(笑)
私のお気に入りは
ディープサウス出身のブロンド女性で
しまいには
彼女は屍姦愛好家で
死体安置所でトラブルになり
この仕事に就いたのだと告白しました
(笑)
こうした経験を通じて 私はついに
女性との幸せな肉体関係を いくつか持つことが出来て
それには感謝していますが
自分自身の中に大きな葛藤が生まれ
心に深い傷を負うことになりました
私たちは アイデンティティを切り刻むような
痛ましい経験は求めていません
私達は
痛ましい経験をした時に アイデンティティを求めるのです
無意味な苦痛は耐えられませんが
その苦痛が目的があるものと信じれば
大きな苦痛にも 耐えることができます
簡単なことより 難しいことの方が
印象に残ります
喜びがなくとも 自分らしくいられますが
意味の探究に向かわせる―
不運なことがなければ 自分らしさは生まれないでしょう
「だから 私は弱さに甘んじよう」 と使徒パウロは
『コリント人への第二の手紙』で 書いています
「なぜなら 私が弱い時にこそ 私は強いからである」と
1988年 私はモスクワに行き
ソビエト・アンダーグラウンド芸術の アーティストを取材しました
彼らの作品は
過激で政治的なものだろう と思っていました
でも 作品に現れている急進主義は
人間性を否定する社会に
人間性を再び取り入れるところに ありました
ある意味 ロシア社会は
今まさに 同じことをしていますね
お会いしたアーティストの一人は言いました
「私たちはアーティストではなく 天使になる訓練をしていたのだ」と
1991年に 取材したアーティストに
再び会いに行き
ソビエト連邦を崩壊に招いた―
クーデターの間 彼らと一緒にいました
実は 彼らは あのクーデターへの抵抗勢力を
組織している人たちでした
クーデターの3日目
誰かが スモレンスカヤまで行こうと言い
私たちはそこに行き
バリケードの正面に陣取りました
その少しあと
戦車の隊列がやってきて
先頭の戦車に乗っている兵士が 言いました
「我々は このバリケードを破壊する―
無条件命令を受けている
道をあけてくれれば
君たちを傷つけなくてすむ
そこを動かなければ
君たちを ひく以外の選択肢はない」
一緒にいたアーティストたちは言いました
「少しだけ時間を下さい
なぜ私たちがここにいるのか 説明しますから」
すると 兵士は腕を組み
アーティストは 民主主義を称賛する演説を始めました
既にジェファーソン流民主主義に生きる―
私たちのような者には
あり得ない光景です
アーティストたちは熱弁し
兵士はじっと見入って
演説が終わっても
丸1分もの間 座ったままでした
ようやく 雨でずぶ濡れになった 私たちを見やると
その兵士は言いました 「今 君たちが言ったことは真実だ
我々は 国民の意思に従わねばならない
Uターンするスペースを空けてくれれば
元来た道を帰るよ」
そして その通りに帰って行きました
時に 意味を創り出すことで
究極の自由を手に入れるために
必要な言葉を得ることができます
ロシアで私は レモネードのような 甘酸っぱい事実に気付きました
抑圧は それに対抗する力を育てるのです
そして 次第にそれは アイデンティティに
無くてはならないものだと分かりました
悲しみから立ち直るには アイデンティティが必要でした
ゲイ・ライツ・ムーブメントは
私が人と違うことを良しとします
アイデンティティ政治は 常に2つの面があります
ある条件や特徴を持つ人たちに
誇りを与えることと
まわりの世界にそうした人たちを
より温かく優しく受け入れさせることです
これらは 全く違うことですが
一方で進展があれば
他方もそれに影響されます
アイデンティティ政治は 自己陶酔的でもありえます
「違い」を讃えるのは ただ それが自分のものだからです
人々は 自らの世界を狭めて
個々のグループの中で生き 他者に思いを馳せることもありません
でも 正しく理解され
懸命に実践されれば
アイデンティティ政治は
「人間らしさ」の考えを 広めて行くでしょう
アイデンティティそのものは
独りよがりのレッテルや
金メダルのようなものであってはならず
革命であるべきです
もし私がストレートだったら 人生はもっと楽だったでしょう
でも それは私ではありません
今 私は自分らしくある方が
違う人になるより好きです
正直なところ
違う人になるという選択肢も
そう想像し得る能力も 持ち合わせていません
ドラゴンを追い払えば
ヒーローも追い払うことになります
私たちは人生において
ヒーローのような気質に憧れるものです
時々思ったものです
ゲイであることの誇りを おおっぴらに称えることなく
ゲイである私の一部への 嫌悪を止められるか?
このスピーチも 誇りの現れですが
何の思いもなく ただゲイでいられたとき
私は本当に自分をよく知っている と思っていました
でも 自己嫌悪していたときは 心にぽっかり穴が空き
そこを誇り称え 満たしてしまう必要がありました
自らの憂鬱な気持ちをどうにかできても
同性愛者を嫌う世界は依然としてあり
解決には何十年もかかるでしょう
いつかゲイであることが単なる事実となり
デモや避難の的にならない日が来るでしょう
でも それはまだ先です
友人は ゲイのプライドは
少し先走ってしまっていると感じ
かつて こんなことを提案しました
「ゲイ謙遜週間」
(笑)(拍手)
素晴らしいアイデアですが
まだ時期尚早ですね
(笑)
中立であることは
絶望と至福の間にあるように思えますが
実は最終局面です
アメリカでは29州で
ゲイであるという理由で 私は合法的に
解雇されたり 入居を拒否されたりします
ロシアでは 同性愛宣伝禁止法により
人々が街中で暴力をふるわれました
アフリカの27ヶ国では
ソドミー禁止法が制定され
ナイジェリアでは ゲイの人たちは法律により
投石され殺されることもあり
リンチも日常茶飯事です
サウジアラビアでは 最近
男性2名が性行為をしたことで
それぞれ 鞭打ち7千回の刑を受け
そのせいで今や 障がい者となってしまいました
これでは 誰も 意味を創り出し
アイデンティティを築くことなど できないでしょう
ゲイの権利は 結婚する権利だけではありません
何百万の人たちが ゲイであることが受け入れられず
何の支援も得られないところで暮らし
尊厳すら危うい状況に置かれています
私は幸運にも 意味を創り出し
アイデンティティを築くことができました
でも それは本当に稀なことで
ゲイの人たちは皆 きちんとした正義を
受けるに値します
とはいえ どんな前進も
素晴らしいものです
出会いから6年後の2007年
私はパートナーと
結婚することに決めました
ジョンに出会い
大きな幸せを手に入れ
それまでの不幸は消えました
時に私は あの苦難が消えたことで
頭がいっぱいになってしまい
喜びを味わうのを忘れるくらいでした
最初はその喜びは 大きくは感じられなかったのです
結婚は 私たちの愛を
ここに存在するものとして 宣言することでした
結婚してすぐ 子どもを迎えて
私たちと子どもたちの
新しい意味 新しいアイデンティティが できました
子どもたちには 幸せでいてほしいと思いますし
子どもたちが悲しいときは 私も心を痛めるほど愛しています
ゲイの父親として 彼らに教えられるのは
人生の「間違い」を受け入れることです
たとえ子どもたちを困難から
遠ざけて守れたとしても
親としては失格だと思うのです
知り合いの仏教学者が 教えてくれたことがあります
西洋人は誤解していますが
涅槃(ニルヴァーナ)が訪れるのは
苦難がすべて過ぎ去り
無上の喜びの到来を待っているとき ではないそうです
それは涅槃ではないのです
今ある 無上の喜びは常に
過去の喜びの影に隠れているからです
涅槃に到達するのは
無上の喜びの到来を待ち
悲哀とも思えるものの中に
自らの喜びの萌芽を見出したとき なのだそうです
私は時々考えます
結婚や子どもたちに そのような満足感を
私は得られたのだろうか
もし それらが 当然のように手に入り
昔からストレートだったり 今でも若かったりすれば
もっと容易に満足感を得られたのだろうかと
たぶん そうでしょう
たぶん 私がしたような複雑な想像は
すべて他のことにも当てはまります
でも もし意味を探すことが
見つけることより重要だとしたら
考えるべきは 私が いじめられたことを より幸せに
受け止められるかではなく
そうした経験に対して
意味を与えることによって
より良い父親になれたかです
私は日常の喜びの中に隠された 至福を見つける傾向があります
そうした喜びさえ
私にとっては普通ではなかったからです
異性愛者で同じように 幸せに結婚して
家庭を持っている人々を知っていますが
同性愛者間の結婚は 息をのむほど新鮮で
その家族も ウキウキするほど新しく
私は そうした驚きの中に意味を見つけました
10月に私は50歳の誕生日を迎え
家族がパーティーを開いてくれました
その最中に
息子が 私の夫に
スピーチをしたいと言い出しました
ジョンはこう言います
「ジョージ スピーチはできないよ まだ4歳だからね」
(笑)
「おじいちゃん、デイビッドおじさんと私が
今夜 スピーチをするんだよ」
でも ジョージはとことん食い下がり
ついにジョンは彼を マイクのところに連れて行きます
すると ジョージは 大きな声で言ったのです
「皆さまに申し上げます」
「ちょっとお耳を拝借」
誰もが驚いて ふり向きました
ジョージは続けます
「今日はお父さんの誕生日で嬉しいです
皆でケーキを食べられて嬉しいです
お父さん もっと小さかったら
僕たち 友だちだったね」
それで― ありがとうございます
それで 私はあのボビー・フィンケルにさえ
借りがあると思いました
なぜなら これまでの全ての経験は
この瞬間のためにあったからです
一時は必死に変えようとしていた人生を
そのとき初めて ただただ有難く感じました
ゲイの権利活動家のハーヴェイ・ミルクは
若いゲイの男性に
「この活動のために何ができるか」と聞かれ
こう答えていました
「ここを出て誰かに話しに行くことだ」
いつでも 私たちの人間性を
踏みにじりたがる人がいるもので
人間性を取り戻す話もたくさんあります
堂々と生きれば
そうした嫌悪を打ちのめし
皆の人生を広げることができます
意味を創り出し アイデンティティを築く
意味を創り出し
アイデンティティを築く
そして 世界の人たちに
あなたの喜びを共有しましょう
ありがとうございました
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