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この場にいる事ができ、本当に感激しています。 この素晴らしいイベントを実現して下さった、ここTEDxPSUにお集まりの全ての皆さん、有難うございます。
さて、私に関する2つのとても個人的な話から始めたいと思います。
まず第一に、私はスーパーヒーローなのです。 いえ、いえ、皆さんがご存知のような誰からも愛されるスーパーヒーローではありません。
バットマンでも、スーパーマンでもありません。また私がこよなく愛するスーパーヒーロー、スパイダーマンでもありません。 表にパワーアップしたバットモービルなんて停めていませんし、真っ赤なマントも羽織っていません。もちろん、スパイダーマンの第六感などもありません。
私は彼らのような華やかなスーパーヒーローではないのです。 しかし、私には超人的な力があります。 それについてはもう少ししてからお話しします。
もう一つの本当に個人的な事で、私が皆さんにお話ししたいのは、私が聾(ろう)であるという事です。
家族の言い伝えによれば、私は生後6週間の時、両肺が肺炎に罹り、命に関わるほどの高熱を出したそうです。
そしてこの高熱の為に、私は耳が聞こえなくなったのです。
どのくらい耳が聞こえないかといいますと、私はかなりの聾(ろう)だと言えます。
臨床医学用語で言えば、私はいわゆる感覚神経系の聴覚損失だそうです。 高熱の為に、内耳の聴覚器官を損ないました。即ち、その高熱が、内耳の蝸牛(かぎゅう)器官にある聴覚細胞を焼き払ったのです。
私の右耳は100%聞こえませんし、左耳は、聞き取るのに大変な困難を要します。
健聴者との会話には、私は読唇術を使ったり、たくさんのトリックを用いて、彼らの発言を理解しようとします。 でもどれも上手くいかない時は、ただ聞こえているふりをしています。
私はとても「聞こえているふり」が上手なんです。なにせ子供の頃からしていますから。
私の今日の講演には二つの目的があります。 私は皆さんに二つの話をお伝えしたいのです。
最初の話は、私が自分がスーパーヒーローである事を悟った日に付いてです。
そして、二つ目は、ろう者に付いてです。
私は、二つ目のろう者に関する話を通して、どのように私達の彼らに対する認識を変える事ができるかを明示したいと思っています。
これについてももう少ししてからお話しします。
私は子供の頃、(これが私です。)、スーパーヒーローになることができたらと、強く々願っていました。
私はとにかくテレビや漫画に出てくるようなスーパーヒーローが大好きで、森の中で彼らを演じたりしていました。 スーパーヒーローになる事が、私の夢だったのです。
そして、8歳の誕生日の時、私の夢が叶いました。 どうすればスーパーヒーローになれるのかが分かったのです。
それは土曜日でした。私は、ある小さな飛行場に、年上の子供達と一緒に無断で立ち入りました。
そこはベイポート飛行場と言って、ベイポート通りにある私の家からちょうど道路を挟んだ向かい側にありました。
私達を追いかけてくる守衛がいたので、とにかく私は走りました。
これがかって私達がスリルを味わう方法でした。
その守衛達はピックアップトラックで私達を追いかけてきたのですが、彼らは私達に向かって発砲してきたのです。
私達が飛行場から出ようとしなかったので、彼らはロックソルト・ショットガンを使って発砲してきました。
とにかく私は走りました。守衛達は私を狙って撃ってきます。 (ショットガンの擬似音)
私だけがまだフェンスを越えていないと分かった時、さすがに気が動転してしまいました。
私以外の皆は既にフェンスの向こう側にいます。
皆が何かを叫んでいるのが見えました。
「耳の聞こえないお前、早く走れ!早く!」
だから私は走りました。マントを脱ぎ捨て、それを有刺鉄線の上に放り投げました。
そして有刺鉄線を跳び越えました。
私は振り返りました。
そこにはピックアップトラックに乗った守衛達がいました。
ブレーキのキーという音を立てながら、彼らの車は停まりました。(ブレーキのキーという擬似音)
フェンスの真向かいに彼らはいます。
彼らはピックアップトラックを降りて、私を見ました。彼らは皆、私を捕らえられなかった事に、ひどく残念な様子でした。
ところで、皆が彼の事を「長官」と呼ぶ子供がいました。
彼は、私の周りを取り囲んでいた子供達の群れを押しのけてやってきました。
そして私の目の前に立つと、私の胸を突付きました。
彼は言いました。「なんでお前がここにいるんだ?」
「僕にも分からないよ。」私は答えました。
そして長官は、他の子供達に向かって私の真似をしました。
彼が言ったのはこんな感じです。
「わ~か~ら~な~い~よ~。わ~か~ら~な~い~よ~。」 49 00:03:56,96 --> 00:03:58,98 彼は自分の顔を私の前に持ってくるや、言いました。
「俺はお前を殴ってやりたいよ!」
そうすると私を取り囲んでいた子供達は、数歩後ずさりました。
私はそこに立って、来る喧嘩に向けて握りこぶしを作りました。
でも小便を漏らしてしまったのです。
そして私は殴られるのを覚悟しました。
長官が私を殴る前に、
誰かが彼の注意をそらしました。
「こいつ小便を漏らしてるぞ。耳の聞こえないこいつ、小便を漏らしやがった!」
長官は体を折り曲げながら笑いました。(笑い声の擬似音)
私は、この機会を逃すまいとその場を立ち去って、走り出しました。
そして家に逃げ帰ったのです。
家の玄関を入ると、母が誰かと電話で話しているのが見えました。
ですから私は、とにかく気付かれないよう、忍び足で歩きました。
お風呂場に入ると、私は温かい石鹸水で小便を拭き去りました。
そして服を着替えました。
やがて私の母は、私の兄ジョンと妹のジル、そして私を呼びました。
そして私の母は、私達を5時から始まる教会のミサに連れて行きました。
教会から帰ると、私の母は私達に言いました。
「プレゼントを開けたり、誕生日ケーキを食べたりするのはまだ後だから、それまで遊んできなさい。」
だから私はいつものように寝室の押入れに入って、本を読む事にしました。
押入れの中に入ると、青い毛布を取り出しました。
その青い毛布を頭から被って、懐中電灯で足元にある本を照らしました。
そこには数週間前に教会から盗み出した聖書がありました。
そして数冊の漫画本と。
興味深くなって、手当たり次第に聖書をめくってみました。
そしてあるページを開きました。
そこにはモーゼの名が書かれていました。
確かマーフィー先生の宗教の授業で、モーゼについて習った事を思い出しました。
あとテレビでも見ましたし。
だから一層、興味を抱きました。
そのページをじっくり読み始めると、次のような言葉がありました。
「モーゼは主に向かって言った。主よ、私は決して雄弁ではない。むしろ私は話すのが遅く、話す能力にすら劣っている。」
そしてその時、私は思いました。
「もしかして、モーゼも私のように耳が聞こえなかったのだろうか?」
モーゼのように、またスパイダーマンやスーパーマンのように、私にも運命があるのだ。
私は救済者になるのだ。
そう言えば、マイケル神父はいつも教会で、救済者について話していたな。
そうだ、私も彼のような救済者になるのだ。
モーゼはユダヤの民を救い、スパイダーマンはMJ(メリー・ジェーン)を、そしてスーパーマンはルイレーンを救いました。
私も彼らのように救済者になるのだ!
私も彼らのように救済者になるのだ!
これこそが私の運命なのだ!
私は、スーパーヒーローになりたい。
モーゼが、私が出会った初めてのろう者であるという事は、いささか哀れな出来事であったかもしれません。
なぜなら私はその時までずっと健聴者の中で育てられ、決して他のろう者と触れ合う事がなかったからです。
私はモーゼに出会う前、この宇宙で私はたった一人ぼっちなんだと思っていました。
でも明らかに私の周りには沢山のろう者がいたはずです。
おそらく食料雑貨店にもいたでしょうし、レストランにもいたでしょう。
私が訪れた様々な場所でろう者に出会っていたはずです。しかし決して私から彼らに歩み寄る事はありませんでした。
モーゼが最初の人物だったのです。
子供の世界観から見ると、モーゼはスーパーヒーローでした。
モーゼとスパイダーマンに、何ら違いはありませんでした。
彼ら二人とも超人的な力を持ち、そして善の行為を成しました。
ピーター・パーカー(スパイダーマン)の叔父さんであるベンはいつも言っていました。
「偉大なる力には、偉大なる責任が伴う」と。
私は子供の頃、自身が持つ超人的な力の一つに「良い話をする能力」がある事に気付きました。
私は、自分の話を通して、人々を和ませたり、彼らに知識を与えたりする事のコツを習得したのです。
だいぶ後になって、私が、保育園教諭として働いていた時、
新たな超人的な力として、幼い子供達が言葉を用いないで行う意思疎通を理解する能力がある事にも気付きました。
なぜなら私の第一言語は英語でありません。それは「顔(顔つき、顔色)」だからです。
私は、読唇術を習得する前に、人々の顔やそこに現れる感情を読み取る事を覚えました。
では一体誰の話に耳が傾けられているのでしょう?
沢山の話が聞くに値しないという理由で周縁に押しやられてきました。
ろう者は(健聴者とは)異なる意思疎通の手段を持つことから、彼らの話は決して広く世界には語られてきませんでした。
ろう者がするよりも多くの健聴者が、彼らに付いての話を書き、そして彼らの話をします。
ですから私達が知っている所のろう者に関する話というのは、たいていが誤っています。
では、まずとても説得力のある話から始めたいと思います。
私が皆さんに聞いて頂きたいと思う話です。
それはこうです。
ろう者は障害者ではないという事です。
ではこれを大きな声に出して3度繰り返してみましょう。
「ろう者は障害者ではない。」
「ろう者は障害者ではない。」
「ろう者は障害者ではない。」
では、この「ろう者は障害者ではない。」という考えを取り上げてみたいと思います。
この考えを、いかに私達の学校教育がろう児を無能にさせているかという事を明示する為に、取り上げたいと思います。
もう少し大胆に言うとすれば、私達の学校が、ろう児を愚鈍にしているとさえ言えるでしょう。
今から、全体的なろう者の卒業率、識字率、そして就労率をお伝えします。
この講演の終わりに、皆さんが、たった今、今日から、私達ろう者に手を差し伸べるのに、一体何が出来るのかをお伝えします。
多くの皆さんにとって、90%強のろう者が健聴者の親から生まれるという事は驚きであるかもしれません。
これら多くの健聴者の親は、手話やろう文化に付いて、ほとんどあるいわは全く理解がないと言っていいでしょう。
多くの健聴者の親にとっては、彼らの子供が初めて出会うろう者なのです。
例えば、あなたがヒスパニック系に属するとします。そして、アメリカに住んでいて、家庭での使用言語はスペイン語だとします。
あなたが通う学校の言語は英語です。幸運であれば、あなたはバイリンガル教育の環境にいるかもしれません。
しかし、ろう児は、彼らの親と同じ言語を共有しているわけではありません。
要するに、話し言葉はろう児にとっての、生来の言葉ではないのです。
ろう児は、私の良き友人であり同僚であるベン・バハンが言うところの、
人種の中において視覚が豊かな部類と言えるでしょう。
研究に次ぐ研究が示しているのは、ろう児の第一言語は、彼らを取り巻く視覚世界だという事です。
しかし、健聴者の社会は、ろう者が異なる意思疎通手段を用いるという事から、彼らを受け入れることをしないので、
私達は次のような結果を得るに至っています。
即ち、ろう生徒の大学卒業率は、25%から30%に留まり、
高校を卒業するろう生徒の読解能力は平均として小学4年生レベルにあります。
そして60%の成人ろう者が未雇用の状態にいます。
今日の健聴者の世界の中で、聾(ろう)であるという事は、大変に厳しいことです。
あなたに不利に働くハンディキャップが山積みされています。
健聴者の世界では、人々は、聾(ろう)は障害であるからこの世界で生きていくのは大変なのだと、教わるでしょう。
「故障した耳。」
しかし絶えず見過ごされているのは、どのように健聴者の世界が、聾(ろう)である事を一層困難にさせているのか、という事実です。
健聴者の世界は、私達を言語マイノリティーとしては認知していません。
私達を『目の人々』として見てはいません。
もしあなたが、多様性を私達の世界を豊かにするものの一つとして評価しているなら、私は確信を持って言うでしょう。
即ち、ろう児及び成人ろう者の生活世界は、これらの理不尽すぎる程の統計を表してはいないであろうと。
7千年前、初のろう者コミュニティーが形成されたという形跡があります。
現在、世界中には、200の手話があります。
ニカラグアにおける著名な例では、
1970年代に言語学者が、ニカラグア手話が突如として発達した事を明らかにしました。
それまで隔離されていたろう児達がろう学校に集った時に起こったのです。
これがろう学校が大変に重要である事の証左です。
なぜならば、ろう学校は社会化を達成する場としての役割を担うからです。例えば、ろう児の家庭文化と地域のろう文化との間の、
また家庭での使用言語と彼らが暮らす地域で使われている手話との間における—。
私達は聾(ろう)は障害であるという考えを改め、彼らをバイリンガルとして見なし始めなければなりません。
また私達はろう者を特別学級に押しやるのを止め、彼らにバイリンガル教育を受けさせる必要があります。
今日、多くのろう児は、普通学校に組み入れられていますが、かってはこうであったわけではありません。
ろう者はかって中産階級並みの職業や給与を得ていました。
もちろん全てのろう者がこのような経験を得ていたわけではありませんが。
しかし少なくとも、それら幸運にも他のろう者と触れ合う機会のあったろう者は、今日のろう児が持つことのない機会を得ていました。
1850年には、ろう学校の教員の50%がろう者でした。
今日では、その数は12~15%に過ぎません。
(マイクが落ちた為、音声が途切れる。)
これで大丈夫ですか?
とにかく150年に渡って、口話法と呼ばれる指導法が存在し、それは、科学者、教育者、利害関係者等によって推奨されてきました。
ろう者を「治す」という目的を持った彼らによって。
ですから彼らが目論んだ事は、ろう者を健聴者の中に溶け込ませるという事でした。
その結果として、口話法唱道者の同調のもと、
口話法のみを用いた学習法の推奨やろう者の普通学校への組み入れが行われたのです。
ひとたび口話法唱道者がろう者の普通学校への組み入れという点に付いて賛同すると、
これがろう児を特別学級へと強制的に収容することへの始まりとなります。
言語マイノリティーとしてろう児を認知せず、代わりに彼らを障害者として認識しているわけです。
19世紀が終焉を迎える頃、87のろう学校がありました。
今ではその3分の1が閉鎖されいます。
昨年、全国ろう者協会が警鐘を鳴らしました。
それは数十以上ものろう学校が閉鎖の危機にあるかまたは急激な予算削減を経験しているというのです。
ですから私は問いかけたい。「なぜろう者を聾(ろう)のままにしておけないのか?」と。
私達は、ろう学校またろう教員を維持する事によって、ろう児を支援する必要があります。
また、ろう児を他のろう児と触れ合う環境におく事が必要でしょう。
そして、ろう児に口語言語また手話の両方が用いられている環境を提供する事が必要なのです。
ではどうしたらこれら全てを整備する事ができるのでしょうか? 実は既にその答えは出ているのです。
私が現在、研究を行っているメリーランドろう学校では、
そこの最高責任者の名前はジェームズ・タッカーといい、彼のろう教育に対するアプローチはとてもシンプルなものです。
(雑音)
それは、「アクセス」。
その学校にいる子供達は、英語またアメリカ手話の両方で教育を受ける事ができます。
即ち、その学校にいる全ての児童が、英語また手話のどちらかに秀でているという事に関わらず、
「言語」にアクセスする事ができるのです。
またメリーランドろう学校では、容易にアクセスの機会を得ることができます。
ろう児の仲間や成人ろう者への。
彼らは教室や校庭で起こっている全ての出来事に参画する事ができるのです。
ではその結果とはどんなものでしょうか?
そうですね、メリーランドろう学校は、普通学校で学ぶ健聴者よりも高い確率で、州が実施する統一試験への合格者を輩出するという名声を得ています。
もう一度言いましょう。メリーランドろう学校のろう児は、健聴者の児童よりも高い確率で、州の統一試験に合格しているのです。
もっと確証が必要ですか?
えー、そうですね、メリーランドろう学校は、アカデミック・ボウルの地方の部で優勝しました。
またメリーランドろう学校は、上級実力クラスも開講しています。アメリカ手話でですよ!
おそらく最高責任者であるタッカー氏と膝を交えて、彼がいったい何をどうしているのかを聞いた方がいいでしょうね。
それだけでなく、ろう社会の様々な人々とテーブルを囲んで、私達が一体何をなすべきかを聞くべきでしょう。
今日皆さんに持ち帰って頂きたいメッセージは、子供の頃一人ぼっちだった私の経験がどのようなものであったかを考えて頂きたいという事です。
即ちこの広い世界で、自分は一人ぼっちだと感じているろう児に付いて考えて頂きたいのです。
でも決してそれが私の今日の講演の全ての要点というわけではありません。
ただ単にろう者に耳を傾けるという事ではありません。 社会の周縁に追いやられた全ての人々の声に耳を傾けるという事なのです。
とりわけ私は、今日会場にいらっしゃるまたこのビデオをご家庭でご覧のお一人々が、
そして社会の周縁に追いやられているあなたが、前へと進み出て、あなたの「話」をあなた独自の、あなたが話したいと思う方法で、他の人々に伝えていって頂きたいのです。
また私は、皆さんお一人々が家に帰って、ご家庭の皆さんにこれらの話をして頂きたいのです。そして彼らがまた他の人々に語り続けることでしょう。
世界に訴えましょう。今こそ、今までその声が聞かれる事のなかった彼らの声を、私達が聴く時なのです!
(拍手) �