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言葉で分かち合われた静寂
OSHO インターナショナルファウンデーションが贈る
ゾルバは愛 ブッダは気づき
座って講話を聴きながら 目を閉じていると
私は一人だと感じます あなたの声と鳥の歌とともにいて
すべてとひとつになった感じがします
それは サイレンス
明晰さ 永遠の平和 の体験です
眠り 戦争 破壊でさえ
生命の神聖な表現にみえます
形のある世界に戻ると 私は個々の人や
軋轢 二元性を そこかしこに見いだします
エグジスタンスを疑い
この惑星は破壊されてしまうかも と不安になります
すべての美が消えうせてしまうのではないか と
深いところで私は
自分はそのどちらでもあり 両者はひとつなのだと感じています
気づきは向こう岸へ渡る船で
愛は帰ってくるための橋なのでしょうか?
人生という名の川の土手をつなぐ
あなたが言っていることは
まったく正しい
気づきは向こう岸へ
渡るための船で
愛は帰ってくるための橋
人生という名の川の土手をつなぐ
これはたいへん意味深い声明だ
あなたがたのいう聖人たちは
道半ばまでしか行っていない
彼らはあるレベルの結晶化
あるレベルの気づきを得たかもしれないが
彼らは帰ってくることが
できないでいるのだ
かつての岸辺へと
愛のシャワーを携えて
聖人は
愛なしでは
まだ
半人前だ
愛の人も
気づきなしでは
同じく
心半分で生きている
あなたがたのいう聖人たちは
愛を抑圧している
いわゆる愛の人たちは気づきを抑えている
私はあなたがたに
両方であってほしいのだ
気づきと愛の
それではじめて人生という円環が完成する
ゾルバは愛で
ブッダは気づき
そしてあなたが
ゾルバ・ザ・ブッダであるとき
あなたは
存在において可能な最高峰に
到達する
残念なことに
人は何世紀にも渡って分離して生きてきた
ゾルバは
ブッダの対極にいると思っているし
ブッダはゾルバの対極にいると思っている
そしてこの対極だという考え方のせいで
ゾルバは彼の中のブッダを抑圧している
ゾルバは彼の 愛 歌
ダンスにおいて美しいが
気づきはゼロだ
ブッダは
彼のなかのゾルバを抑圧した
ブッダの気づきはとてもクリアだが
乾ききっている
無味乾燥だ
まるで
砂漠のよう
一輪のバラも咲かず
緑はまったく見られない
ゾルバなしのブッダは
ただの砂漠だ
私は両陣営から非難され続けている
共産主義者
社会主義者
そのほか様々なタイプや銘柄の
物質主義者たちが
私を非難する
なぜなら私がスピリチュアルな成長や
気づき
光明について説くからだ
彼らによれば
人はただ肉体に過ぎないのだから
肉体として生きるべきだという
そして私は反対陣営の仏教徒からも
非難されている
なぜなら私は物質主義を
彼らのスピリチュアリズムに持ち込んでいるから
私は汚しているというのだ
彼らの純粋なスピリチュアリティを
在米スリランカ大使が
私に手紙をよこした
「あなたはあなたの
レストランや
ディスコを
ゾルバ・ザ・ブッダと呼んでいますが
それは世界中の仏教徒の
感情を害するでしょう
ですから
それをお考えいただき
名前を変えていただきたい
ゾルバはブッダに加わるべきでは
ないのです」
私は彼に返事を書いた
「問題なのは 私のレストランが
ゾルバ・ザ・ブッダと呼ばれているだけではありません
私は生きている人間を
ゾルバ・ザ・ブッダにしているのです
私の人生をかけての努力は
私の貢献のすべては
ゾルバとブッダが
手に
手をとって
踊るためです
ディスコでね」
両者とも欠けているのだ
ゾルバは無意識な人生を送っているし
ブッダは愛のない人生を送っている
両者の出会いが
生み出すだろう
全一な人間を
そして全一な人間こそが神聖な人間なのだ
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