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河瀨直美
私は 両親を知りません
私は 年老いた老夫婦に 養女にもらわれて育ちました
養母と養父なんですけど 私はずっと
「おじいちゃん」「おばあちゃん」 っていう風に 呼んでました
おばあちゃんです
1969年5月30日 私はこの世に生を受けました
生まれた時に どうだったかっていうのは
もう覚えてないんですけど
でも 大きくなるにしたがって
「どうして 私は ここにいるんだろう?」
「私は 何のために 生まれてきたのかな?」って
ずっと思ってました
「私は 生まれなかったかも しれないな」とか—
そんなとき 映画が 私の前に やってきたんです
その カタカタカタって 音を立てて
自分の目で見たものを 記憶・記録してくれる
そんな8ミリフィルムが 自分の目の前に現れました
「なんで私は ここにいるんだろう?」
「私は いないほうが 良かったのかな?」
「私って何なんだろう?」
ずっと思ってました
なんで今 私は ここに立ってるんですか?
皆さんは どうして そこで 私の話を聞いてるんですか?
インターネットで私のこと見てる人 なんで今 その時間を費やしてるんですか?
時間は みんなの元を 同じように
カチッ カチッて 1秒ずつ過ぎていきます
もう2度と その時間は 戻ってこない
なのに この1コマ1コマ刻んでくれる フィルムっていうのは
その時間を 巻き戻すことが 出来たんです
私が このおばあちゃんと 過ごした時間
その時間は もう2度と 戻ってこない
なのにフィルムは それをもう一度そこに
立ち返らせることができる
おばあちゃんを 撮った映像です
おばあちゃんやっぱり
どう言うたらええの・・・
おばあちゃん懐かしい?
おばあちゃん懐かしいていうのか
やっぱ おばあちゃん好き?
好いてくれてる? (うん)
うん? 口には出さんけど? (うん)
おばあちゃん
はーい
何してますか?
私もとりたい
豆をとってます
・・・
お昼中さかいがな
ほんま
豆取らなあかんやないか それも
この時間は もう2度と 私の前には姿を現しません
現実には
でも こうして 永遠に
皆さんと共有する ことができる
「素晴らしいな映画って」 って思いました
「なんで私に 映画が舞い降りて きたんだろう?」って思いました
それは奇跡なんじゃないかなって
だって もう2度とないと 思ってた時間が
こうして蘇ってくれる
「すごいな タイムマシンかな これは?」
思いました
このとき私は
このおばあちゃんの 映像を撮っている時に
自分の家の台所から 扉を開けて おばあちゃんに触れてました
でもどうしても その壁を越えて
本当のおばあちゃんに 触れに行きたかった
フィルムを片手に それをしました
本当のおばあちゃんは 生身の人間で
あたたかくて 本当に生きて そこにいました
あの時 このカメラを 回していた自分と
そこで そのおばあちゃんに 触れていた自分
ほんとに瞬時の 差なんですけど
私が2人存在しました
「主観と客観っていうことなのかな これが」 って思いました
その感覚を得た私は
初めてこの映画が 海外で上映された時に
「ああ 国境がなくなった
扉が開かれた」 って思いました
私のおばあちゃんのことを まったく知らない人たちが
その人達が 私と一緒に
おばあちゃんの 畑仕事を見ていてくれている
「ああ 映像って 海を越えるんだな」 って思いました
そして「感覚を共にできるんだな」 って思いました
共にできた感覚ほど 強いものはありません
なぜならそれは その人達の心の中に 確かに存在するものだから
そして その存在したものは
自分が裏切らない限り 必ず繋がっていくからです
こうして私は 国際映画祭の力を経て このような感覚に辿り着きました
映画祭は 映画を見るだけじゃない
映画祭は 人と人を結ぶ 架け橋になり得るんだ
「私がどうしてここにいるのかが わからない」
そんな風に思っていた
奈良の田舎の 何も出来ない女の子が
こうして海を越えて
そして何でもない 普通のおばあちゃんの映像で
いろんな人たちと 繋がり始めたんです
それを もたらしてくれたのが 国際映画祭でした
私は ふと思い立ちます
私が海外へ行くのではなくて 海外から日本に人がやってくる
できれば 自分の故郷
このおばあちゃんが 私を 育んでくれた 奈良という場所で
この架け橋を作ることができたら という風に思いました
架け橋は とても小さいです
今は
そしてまだ 多くの人には 知られていません
奈良の興福寺という 場所があります
そこの五重塔の下には 五十二段の階段というのがあります
そこを私は レッドカーペットに してみたらどうかなと思いました
レッドカーペットは カンヌじゃないと いけないわけではありません
どこにだってあっていい
そして そこにレッドカーペットを 作ることが大事なのではなくて
そこに自分たちがいることを 誇りに思うということが大事なんです
故郷を誇りに思う
どんな場所でもない
外に行くのではなくて 自分の足下の
そして自分を育んでくれた この場所で
それを立ち上げたいと 思いました
なら国際映画祭の 始まりです
この映画祭は できれば映画を 上映するだけではなくって
映画を作ったらどうかな と思いました
2010年に 1回目を開催して
その時グランプリを取った メキシコ人の監督に
第2回目の今年 映画を作ってもらい
それも奈良県で 撮影した映画です
メキシコから来た まだ三十代の若い監督が
奈良県の十津川村という所で 映画を撮りました
その映画が 奈良で上映され
また国境を越えて 海を越えて 今地球を周り始めます
映画祭は 映画を見るだけではなく 人と人を結ぶ
それから映画を作る
とてもクリエイティブな場所だと 思っています
これは奇跡ではないですか?
私はこの世に生まれた意味がわからずに ずっと過ごしていました
なぜだかわからないけど ここに映画がやってきたんです
私はその役割を また 新しい人との 繋がりに変えたいと思いました
「皆さん」っていう風に 呼んでしまうと
とっても漠然としていて 誰とも繋がれない感じがします
今日 ここにいる 1人ひとりの名前 呼んでみると
その人達と繋がれる気がします
モニターの向こうで見てるかな?
みつき君とか
藤沢さんもいるよね?
平井さんとか
千春? 美穂?
みんな元気かな?
メキシコのペドロも
スイスのジャン・ペレとか
いろんな国の いろんな人たちが
ちゃんとその人の名前を 呼び合って 繋がり合う
私はそんな なら国際映画祭を 続けていきたいと思っています
名前のある あなたと 繋がりたいと思っています
そして私は この奇跡を 見つめ続けたいと思ってます
あなたも その奇跡を 一緒に見てください
最後に 私が 最愛の—
今年2月10日に亡くなった
おばあちゃんからもらった 言葉を贈ります
「この世界は美しい」
(拍手)