Tip:
Highlight text to annotate it
X
スクラップマニア、廃車にこだわるコレクター いったいなぜ? 前編
世の中には、切手集めなどでは飽き足らないひともいます。
古い、なかにはスクラップ行き間違いなしのクルマまでも救い出そうという廃棄物処理業者を取材しました。
ボロボロのクルマもありますが、中には極上車やレストア済みのクルマもありました。
朽ち果てたクルマの群れ。
フェンスの隙間からのぞき見て、思わずときめくにちがいない。
わたしが先日、ディヴァイジズでそうしてのぞいた隙間の向こうには、錆びついたクルマの大群がいたのだ。
古くは1950年代のものまであった。
そのときわたしは20の連続水門があるカーン・ヒルへクルマを走らせていたのだが、この朽ちはてたクルマの群れは何なのかを明らかにするほうが先だと思いなおした。
気がつくと次のラウンドアバウトで取って返し、廃棄物処理業者のだだっ広い敷地に立っていた。
男がひとりやってきて何かご用かとたずねてきたので、この古いクルマの持ち主はだれかと聞いてみた。
「うちの社長のです。 博物館に収めるつもりらしいですよ」と彼は答えた。
自分の財布の中身でも見ないかぎり脈が飛ぶことはそうそうないが、そのときは1度ばかり飛んだ。
そこであいにく雨が激しくなってきた。
またもどってくると誓って、処理場をあとにした。
もちろん、単にそういう古いクルマを目にして驚いたわけではない。
じつは、クルマの遺棄は英国で大きな問題を呼んでいる。
公的な調査によると、遺棄されたクルマは2012年には4万876台だったのが、2016年には14万7616台にふくれ上がっているのだ。
まるで自動車博物館。
しかもこれは調べがついた分に過ぎないわけで、網にかからないものもたくさんあるはずだ。
ディヴァイジズの一群のように空き地や離れ小屋にしまい込まれるものもあるが、多くは道端や庭に放ったらかしで朽ちるにまかせられ、近隣住民の悩みの種になっている。
下取りに売却、廃棄という選択肢もあるのに、どうして古いクルマにしがみつくのだろうか?。
理由はあとで出会ったふたりの収集家が教えてくれたが、まずはディヴァイジズの廃棄物処理業者の社長に会って、なぜ古いクルマを破砕せずに置いておくのか聞いてみよう。
45年前に100ポンド(1万4000円)と750kg積みピックアップのフォード・テームズではじめた、グリスト・エンヴァイロメンタルという廃棄物処理再生会社を営む、ナイジェル・グリスト。
ディヴァイジズに戻って来たわたしに、これらのクルマはみな自分のものだと語ってくれた。
仕事を始めてからずっと廃車を集めているという。
破砕機行きにするのがもったいないクルマを取っておくのだ。
彼は板金屋も営んでおりすでに1、2台はレストア済みだが、より面白い手つかずのクルマもあわせて、ディヴァイジズ郊外の50エーカーの土地に環境配慮をテーマとした博物館を建てて展示しようと考えているという。
保存状態の良い個体も。
掘り出しものの古いクルマが納屋に眠っていたりするとたまにニュースになるが、ナイジェルのクルマ置き場をひと巡りするだけでもそこかしこに見つかる。
あの日フェンスの隙間から垣間見たのは、まさに古い英国車という氷山の一角だったのだ。
後ろのほうにミニの大群がいたが、数えるのは18台まででやめた。
その前には無数のクルマにまぎれて、1953年くらいのくすんだ緑のフォード・ポピュラー103Eが2台。
1台はボディしか残っていなかったが、新しいフロントのシャシーレールには修理されたらしいエンジンが載っていたし、もう1台のほうはほとんど完ぺきな仕上がりといってよさそうだった。
その2台の間には、ボロボロになった1980年代のモーリス・マリーナのバンがいた。
すぐ傍にはかつての銀行頭取のご用達、あかぬけた黒のローバーP4(1950年代)が、明るい赤のモーリス・マイナーのピックアップに乗っかっていた。
ほかにも、1950年代半ばのサンビーム90もいれば、素晴らしく保存状態の良い1960年代中盤のヴァンデン・プラス・プリンセス4リッターR(ロールス・ロイスが唯一自社エンジンの搭載を許可した大量生産モデル)が、くたびれたトライアンフ1300と向かいあっていたりもする。
ちょっと向こうには、たぶんヒルマン・アヴェンジャー2ドアだとおもうが、まったく再生できそうな車体もある。
倉庫にさらに眠るお宝。
群れのはしっこのほうに、おどろくほど無傷に近いモーリス・マイナーがいた。
緑の塗装は褪せているがクロームメッキの部分は輝きを見せているし、サビもあることはあるが表面だけだ。
これまた驚くことに、内装材には破れも欠けもたるみもなければ、立て付けもきっちりとしているのだ。
ナイジェルとプロジェクトマネージャーのジョナサン・テイラーは、わたしがお宝の海に圧倒されながらよろめき歩くのを尻目に、クスクス笑っていた。
シミターGTにトライアンフ2000、美しいバーガンディ色のジャガーXJS。
またまたミニと思ったら珍しいバンだったり、車いすが載るよう改造されたものもある。
オースティン・アンバサダーもあれば、初代レンジ・ローバーも数台。
それに、廃車にするしかなさそうなトライアンフ・スピットファイア…。
それでも、ナイジェルによれば「倉庫にまだまだありますよ。
ベッドフォードのHAバンと、この間買った低床トラックの後ろです」というのだ。
ということで、倉庫へお邪魔してみる。
暗さに目が慣れたところで、目の前に極上のオースティン・プリンセスがいるのに気づいた。
ナイジェルが説明してくれた。 「1オーナーで、走行は1万kmです。
われわれは何も手をかけていません。
オーナーは女性でしたが、大きすぎるといってガレージにしまったまま忘れていたそうです。
こじんまりした住まいに引っ越すときに、わたしに売ってくれました」。
ふたつ目の倉庫。 ふたつ目の倉庫で出むかえてくれたクルマは、すくなくとも15台。
ナイジェルのチームがレストアしたものもあったが、のこりもオリジナルを保ち、りっぱに外を走れる状態だった。
車種を挙げると、1988年式フォード・シエラ・コスワース、1936年式ヴォグゾール14-6、シミターGT。
ほかにもローバー75、ジャガーやデイムラーが数台、ミニ・クーパー、2台目フォード・グラナダ、オースティンA35、トライアンフ・ドロマイト、そしてロンドン・タクシーがいた。
完全レストア計画で蘇ったナイジェルお気に入りのクルマ、モーリス1100もその中にあった。
「はじめてレストアに手を染めたころの1台です」と彼は語る。
「もう何百台スクラップにしたでしょうね。
ドアを切りはなし、クルマをひっくり返して下回りの部品を取りはらい、フロントのサブフレームを切ってエンジンを抜き取る。
それから斧でシャシーをぶった切るんです。
たいていはサビサビで、ハイドラガスのサスペンションでつながっているだけでしたね」。
ナイジェルは、設立を考えている博物館で「クルマもふくめてモノをだいじにすること、使えるモノは直して使うことを奨励」したいのだといい、こう付けくわえた。
「こんにちの使い捨て社会に棹さすものにしたいのです」。