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面白いことに、現代の意識についての神経科学は、
実は、隠れた哲学なんです。そこでは、本当に
実に頻繁に根本的な哲学的仮定をしています。つまり
特定の哲学的考えを当然のこととした上で、しばしば経験的な情報を使って
単に古い議論を生き返らせています。たとえば、人々が意識の神経科学について
考える時に見ている基本的な図式の中では、世界は我々の
頭の中にある。脳が世界を作るのであり、経験しているものがあるのではない。
私があなたを経験するのでなく、あなたを見ているのでもない。私は脳の中で受けた
刺激のパターンを置き換えた何かを体験しています。例として、色というものについて
私が思っていることをを説明してみましょう。これは素晴らしいエリアで
ここでは科学と哲学が本当に協力しあう傾向があり、相互と対話して
多くの場合、主要な哲学者は、考えてみればまた一流の科学者でした。
一つの見方は、色は物の表面に属する特質であるという考え方です。
我々が単純に見ていると思うものがそこにあるのではなく、多分
ある波長の光を吸収・反射したりする傾向や、スペクトル反射率特性のような何かが
あるんじゃないか。でも、とにかく色は表面上にあると考える。
別の見方では、色を物の中にある何かだと考えるのは幻想で、色は単にそれが
我々に及ぼした影響にすぎない。だから、色は我々に起こるものなんだ。
木の葉が緑なのではない。緑という現象が起こったのだ。それは
葉によって神経が活性化されたおかげで、起こった感覚なんだと考える。
私自身の考えでは、これらの見方は両方とも間違っています。私が提唱するのは、
色は生態学的な属性と呼べるようなもので、つまり色は
光と面の相互作用のしかたの特徴だというわけです。その意味で、緑の色は、葉の
表面に本来備わっているのではない。葉が光との関係で、緑色に振る舞っているんです。
我々は色を安定したもののように考えますが、もちろん色はある光の下でこう見えても、
外に出してみるとまた違って見える。ある角度では
表面にハイライトができて、少しキラキラ反射したりする。
そういうことすべてが、色というものに含まれてるんです。私にとって色は、形のようなものです。三次元の形に
隠れて見えない裏側があるように、色は、もし光の状態が変わればそう見えるはずの
別の見え方を隠し持っている。外界に懐疑的になる問題では
物がそこに見えるがままに実在するかどうかは、どうしたらわかるか。どうしたら我々が
知覚した経験は信頼できるかがわかるのかという疑問は珍しくもない。哲学ではもうお馴染みの話で
今私が解決してお見せすることはできません。神経科学でもそれは解決できませんが
皆さんに伝えたいのは、神経科学は、少なくともその解決に向かっている。少なくとも
哲学でお馴染みのその問題に臨む心構えがあって、意識を研究する神経科学者の多くは
経験とは自分の内部で起こるものであり、主観的で、隠されたものだと捉えます。
世界は、我々のテントの表面の向こう側にあるよくわからないもので
我々の直接の知識を超えている、何故なら我々が今まで知っている事のすべては、我々の神経システムが
刺激によって砲撃された結果であって、刺激を起こしているもの自体には常に手が届かないのです。
byJonathanファウラーを監督/プロデュース
エリザベスロッド&
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