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千代田区神田神保町にある九段下ビルは老朽化や耐震性の問題から
84年の歴史に終止符が打たれようとしています。
ここに住む最後の住人と今月末まで開かれている展示会を取材しました。
展示会の名前は『さよなら九段下ビル』です。
地下鉄九段下駅のすぐ近く、靖国通り沿いに、九段下ビルはあります。
1927年、関東大震災の教訓を受け
鉄筋コンクリートで造られた九段下ビルは
美しいタイル貼りとアールデコのデザインが特徴で、
1階には商店が軒を連ねにぎわいを見せていました。
それから84年がたち、老朽化が進み、
壁の一部は壊れ、落下防止のためのネットが全体に張られています。
しかし、ここには工事に反対し
今もなお生活を続ける住人がいます。
大西信之さんは15年前からここに住む“最後の住人”です。
職業は画家で、アメリカを拠点に活躍した時期もありました。
大西さんは「若いアメリカ人が住んでいるのは
ぼろいアパートメントでボロボロだけど全然貧乏くさくない。
すごくアーティストらしくてかっこいいな、と。
それで、東京で何とか同じような感じの建物はないかなと思って
探した結果が九段下ビルだった」と話します。
家の広さはおよそ70平方メートルで部屋は4つあり、
アトリエも作りました。大西さんは「冬は寒いし夏は暑い。
あちこち隙間風で細かい修理が大変ですけど、
ここで絵も描いて生活をしてお風呂に入って寝て、本当に快適」といいます。
3月11日の東日本大震災でも本などが落ちただけで建物はびくともしなかった
とも話します。 大西さんは工事に反対し
立ち退きに応じず戦ってきましたが、
ことし9月にビルの3分の1部分の解体工事が始まり
引っ越さざるを得なくなりました。
大西さんは「ここが壊されると思うと
自分の体の一部が壊されるみたいな、体の一部がなくなるような気持ちがして
とても悲しい」と話します。
来年1月から全体の解体工事が始まるのを前に、
大西さんは最後の戦いとして
多くの人にこのビルのことを知ってもらうために
展示会を開くことにしました。
古びた階段を上っていくと3階の一部で開かれているのは
芸大生による展示会です。若手アーティスト8人が『さよなら九段下ビル』と題し、
さまざまな作品を展示しています。
下にオブラートを敷いて写真を印刷し、その上に消臭剤を置いた作品
『昨日のことを今日も覚えている』を作った増田悠紀子さんは
「消臭剤がどんどん空気を吸って蒸発していって、最後には
オブラートを溶かして画質自体がなくなってしまう作品。
九段下ビルはなくなってしまうが、形はなくなっても
見た人の中に何か残るんじゃないかというのをイメージしつつ
作品にした」と話します。
また、大西さんをモデルにした『ここにある最後の言葉
−九段下ビル最後の住人−』という作品を作った桐生眞輔さんは
「この場所とそのビルが過ごしてきた時間、そこで過ごしてきた人間の思いを
1枚の写真の中で写せるようにしたいと思った」と話します。
建物の魅力にひかれて展示会を訪れた人の中には
「ここも上手に使えば、うんと味があるじゃないですか。
私だったらこうやって置いておきたいね」「昔の日本の
西洋を取り入れた建築は素晴らしい。なくなってしまうのが
もったない気がする」と話す人もいました。
解体工事は来年1月5日から始まります。
大西さんは新居を見つけ今月末に引っ越すことを決めました。
人がいなくなったビルは取り壊されるのを前に、
静かに新年を迎えることになります。
(*今月23日には「九段下ビルを語る会」として、大西さんのトークショーが行われる予定です。)