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神聖なる女性性質
キリスト教徒にとっては、聖母マリアが愛しそうに
赤ん坊のイエスを抱きかかえている姿は、
母親の愛情を象徴するイメージです。
ヒンドゥー教徒にとっては、やんちゃなクリシナを
大切そうに見守り、導く地球上の育ての母親、
ヤショーダがその役割を果たしています。
次世代の者達が最大の能力を発揮できるように、
愛情を持ってやさしく彼らを育て上げ、導く女性像。
悲しいことに、このイメージは現代社会に
グロテスクに踏みにじられてしまっています。
最近のニュースではカトリック教のシスター達が、
同姓者間の結婚や中絶に関する反対運動よりも
貧困問題や社会的不公正に力を入れすぎていると
ローマ法王からお叱りを受けたそうです。
人類のために私心なく貢献することに関して、
「急進的フェミニスト」だと批判されたそうです。
女性性質が、間違って導かれたあるいは
方向性のない男性から軽視され、抑圧されるという
この悲しい状態を、社会として見直す必要があります。
これは性別に関係なく、人類すべてに関わる問題です。
何が起きているかをはっきり理解するには、
女性エネルギーと男性エネルギーが何であるか、
そしてそれらがどう交わるか、交わるべきかを
理解する必要があります。
まずは、どの性別に生まれたとしても、男性性質と
女性性質の両方を持っていますが、生まれた性別に
よってどちらが強調されるかが違ってきます。
そしてもちろん、個人差や、文化や家庭環境
から来ているものもあります。
男性エネルギーは一般的に、外向きに焦点を向ける
と言われています。行動、認められること、
出世、社会的地位、名誉などを求めます。
個人を中心とした要素が強いです。
女性エネルギーは反対に、内向きに焦点を向ける
と言われています。平和、和、芸術、助け合うこと、
共同の目的に達することなどを大切にします。
社会を中心としています。
人類の生命を授かる者として、道徳を社会に
教え込むという、名誉でもあり責任でもある
役割を与えられています。
これらのエネルギーが社会でバランスよく
保たれれば、みんながより幸せでいることができ、
社会も飛躍的に発展できます。
でも、このどちらかがもう片方を支配し、抑圧し、
軽視した場合、そのせいで社会全体が苦しむのです。
社会が男性性質に偏った場合、
人々は自己中心的になります。
自分と違う意見を持った者を抑圧しようとしたり、
自分の価値観を他人に押し付けたり、意見の合わない
者に対して罰則を加えたりしたがります。
戦争、憎しみ、暴力、犯罪、圧制、汚職、
不正行為が広まります。
女性がその被害者となることも多いです。
男性エネルギーが支配する社会では
女性は自分の性質に向いていない方法で
競争するか、虐げられ、軽視され、被害者として
生きるのを受け入れなければなりません。
女性達は社会で生き残るために、自分勝手さ、
横暴さを受け入れるようになり、
自分でも参加するようになります。
私達はもう長い間、男性エネルギー優位の
社会に暮らしています。
宗教や文化によっては、女性が上に立つのを
禁じている場合もあります。
また宗教によっては、教えの中に反女性的な教えを
含め、それを宗教の一部にする例もあります。
信仰したければ、自分を軽視することが神の掟だと
書かれた教えまで受け入れる必要があります。
女性で自分の意見を主張しようものなら、
「フェミニスト」だとレッテルを貼られる可能性があります。
ほんの数年前なら、女性であり意見を持っていれば、
魔女だと宣言され、火あぶりの刑に遇ったかもしれません。
自分の意見を主張して「マスキュリニスト(男性主義)」
だと批判された男性は何人いるでしょうか。
その何人が魔法使い呼ばわりされ、
火あぶりの刑に遇ったのでしょうか。
イスラム教の女性がわが身を頭から足まで覆い、
男性の要求を満たすための道具になれば
アラーが認めてくれると洗脳されたのを見ます。
仏教や他の宗教には、女性は悟りを開く能力がないので
スピリチュアルな道を選んでも無意味だと
教えているところさえあります。
ヒンドゥー教では、一方では女性エネルギーを神聖な
ものだと崇拝していながら女性を差別的に扱い、
女に生まれたという罪で、赤ちゃんを殺しています。
「ウェディング」という奇妙な社会的儀式では、
真っ白な服を着た女性が父親から夫となる男性に
引き渡され、まるで持ち主が変わるかのように、
彼女の苗字が一人の男性のものから
他の男性のものに変えられます。
考えてみれば、これは黒を着るように仕向けられ、
見知らぬ男性と結婚させられるイスラム教女性が
経験する弾圧と変わりありません。
「内助の功」という言葉を聞いたことがあると思います。
本当の意味での偉大さに達した男性と話してみれば、
それが母親であったり、妻であったり、他の女性で
あったりはしますが、自分の成功に対して
彼女が従順に、補助的な役割を果たしてきたのではなく、
彼を励まし、よい相談役になってくれ、
偉大さに導いてくれたと言うはずです。
男性エネルギーと言うのは自分を表現するのは
得意ですが、女性エネルギーに道徳的に導かれなければ、
ひどい結果になる可能性があります。
私達が現在進んでいる方向と、コースを変えていくためには
どうしなければならないかを真剣に見なおす時が来ています。
女性性質を尊重かつ称賛するときがきています。
女性は男性と力を合わせながら、
けんかすることなく二次的な役割を受け入れず、
人類を正しい方向に導く主導権を握るときがきています。
アメリカにヨガとヒンドゥー教を紹介したインドのヨーギ
スワミ・ビベカナンダは一度こう言いました。
「女性の状況を向上しない限り、地球が繁栄する可能性はない。
鳥がひとつの翼で飛ぶことはできない」。
カトリック教のシスター達が、自分が心で正しいと感じている
ことを主張する勇気があることを願っています。
不寛容を不寛容で、攻撃を攻撃で、憎しみを憎しみで
解決しようとしてはいけません。
母親がわが子を導くごとく、人類をやさしくそして力強く、
正しい方向に導かなければなりません。
自分がたとえ男性であっても女性であっても、
自分に秘められた女性エネルギーに導かれてみてください。
「真の力」と言うのは、自分勝手さや攻撃的な態度でなく、
思いやりと優しさの中にあるのです。
ナマステ