Tip:
Highlight text to annotate it
X
なんて静かなんだべ って
夜になると なんの音もねぇ
建物あっても人がいねぇから 車も走ってねえべよ
最初は凄かったぞ
電気もねぇし 音もねぇし
最初の1週間ぐらいは ものすごく不安だったな
その静かさに
今は慣れたけど 急に1人になった時 なんとも言えない感じだった
寂しいなんて 通り越してた
それは 慣れるまで 最初 大変だった
多分 乗れるよ
乗れる
教育して 手綱つけて タッカタッカって町まで行くから
「虐待だ」って 言われっかな?
最初は そんな訳 じゃねぇかった
俺も4基爆発した時は 逃げたんだぞ
10基 爆発するって思ったから 4基爆発した時 もうダメだって
「家族で逃げっぺ」って
その時は逃げたんだ 1回
「北はマズい 南に行くべ」と 言ったら 親父が言うわけ
「妹いっから そこに世話になっぺ」って
行ったら 玄関で 「入んねぇでくれよ」
「放射能 しょってるから 入んねぇでくれ」って
「避難所紹介する」と言われて 行ったら 一杯でダメだと
めんどくさいから帰るしかない って 戻ってきちゃった
それから 犬とか猫に餌やってるし 家畜はいるし
これは 残るしかねぇべって
あの頃 犬猫は 置いてく気になんねかった
みんな エサやってたから
ここは仮設住宅 私は2011年8月3日にやってきました
放射能のリスクと 避難することのリスク
どっちが大きいか
避難するリスクの方が 大きいでしょと
放射能のリスクは そんな大したことないんだよと
ここが 私の地区
全部田んぼで 全部荒れてる
上も全部(荒れてる)
高いところだと 8〜9(μSV/h)はある
ここが 私の家です
ここは 私の家 ここは飯舘村なんだけども
ここで家を作って 牛舎を作って 家族8人でずっと生活してきた
村としては良い村だったと 思いはするんだけどー
ただ ここは 原発から約45キロ離れてます
我々も 放射能だって まさか向こうから ここまで飛んでくるとは思わなかった
我々の村長は とんでもない 大きなミスをおかしたと思う
行政の長として 判断が出来なかったんだと
研究者 科学者も来て 飯舘危ないから避難しないとダメ
そう村長に言っても それを排除するわけだから
今度は 国 県から 偉い学者を飯舘によこしてー
安全説法をされた
「飯館村の皆さん 大丈夫ですよ」
「安心して下さい」 「なんともありませんよ」
ずっと言われ続けたわけだ
そうすると村人は だんだん安心していった
だから村長も 余計に 「避難なんてしないよ」って
線量が高いんだよ 凄く
でも 避難をしなかった
ずっと
東京電力は 自分が まき散らした放射性物質がー
そこら中の大地を汚している その大地を汚してしまった放射性物質はー
「無主物」 「主のないもの」 と言い出した
自分の物ではない 回収の責任もない というような事を言っている会社なのです
本当に 恥ずかしい会社だと思います
家に帰ってきたわけよ (従兄弟が)荷物とりに
TEPCOの社員で (俺の)同級生
家も近くだからー
「(どうした)おめぇ?」言ったら 「着替え 取りに来た」って
俺に「逃げねぇのか?」って
「俺は悪いことしてねぇから」って
そしたら そいつ 「どうも すみません」
こう 謝ってまでは良かった
で 俺は「大丈夫だべ?」って
「うん 2 3日で大丈夫だから 2 3日で直るから」って
そんな嘘つくかって 自分の家族は逃がして 居ねぇんだぞ
ひどいべ そこまできたってまだ嘘つくんだ
だから 東京電力って 頭を洗脳 って分かる?
宗教と同じ
洗脳されてる
「原子力発電所は絶対爆発しない」 「放射能は絶対もれない」って洗脳されてる
あの爆発した時 危ないから 免震棟に逃げろって 社員は言われてた
「ドーン」って 中に逃げて しばらくしたら
免震棟で すごい音聞いたと ドカーンって
俺 これ聞いたんだよ 東電の社員に
「そん時 おめぇら どう思ったんだよ?」って
そしたら口々に 「ミサイル撃たれた」って
原発はそもそも爆発しねぇから 外から例えば北朝鮮からー
「ミサイル撃たれた」って
放射線管理区域の中に入ったら最後 水を飲むことも出来ないしー
物を食べることも 本当はしてはいけない
そのような場所に 普通の方が住んでいる
そこで生活 というのは 私からすれば 想像を絶する
牛小屋に入っていたやつは みんな死んだ
1000頭超えてる 死んだのが
鶏だって ケージの中で 数十万羽は死んだ
俺の牧場だ
ここは セシウム高いから
6μSv/h
柵 作る前までは あっち入ったら 人が見えないくらい 草の高さ
元々田んぼだけど どうせ 米作っても 誰も買わねぇ
俺も 持ち主も 一生 田んぼ作んねえって ここに
「こんなとこの田んぼなんか いらねぇ」って
「草生えねぇ方がいいから 牛 離してくれ」って
ここ借りて 鉄パイプで 柵作って 牛みんな放した
ここに居始めた時から 気持ちは色々変わってきた
2年もいるうちに
動物なんとかすっぺって 最初はやってたけどー
こいつらだって 助けてやりたい
殆どこれ 今頃は 殺されてる牛よ
殺処分反対運動 なんで殺さなきゃなんない
今までこいつらの仲間は 悲惨な思いで死んでった
やっとこいつら 元気になっても 「目障りだから殺しちまえ」って
食うんだったらいい
これを食肉として 使うのなら 構わない
やっぱり命って そんなもんだべ
なんでもかんでも理由なく バタバタ殺してー
なんで飢えるんだ?
特にこの中だからって それも反対だし
動物も人間も 一緒だって
無闇に人を バタバタさせるかって
最初 生活用水はこれだった 湧き水を貯めた 水は大丈夫
山から水出てたから 穴掘って ホース挿した
キノコはダメ
いっぱいあるぞ キノコ取って 隠してある
そのうち食べる ハハハ
細胞を一度 傷つけるのは 間違いないと思います
ただ 細胞を傷つけたとしても 元に修復される 基本的には
そのなかで稀に 傷ついた細胞が 元に戻らず ガンになる恐れがある
量の問題ではないと思うんです 100ミリシーベルト被爆してるとかー
1ミリ被爆してるとかではなく 基本 体内に一度セシウムが入ればー
細胞を傷つける だから 「体にセシウムが入らない努力をー」
「していきましょう」と 声をかけてます 患者さんに
最初 そういうのを心配していた
5年か10年 経つと ガン 白血病になんのかとか
なったら なったで しょうがねぇ
東大行ったんだ 日本の火葬場のイメージ
寝台車に乗って 扉が閉まって18分
「終わりました」って トビラ開いて出てきた
博士に「どうだった?」 って訊いた
「松村さん チャンピオンだ」って
「どうなんだ?」って言ったらー
「それでも 病気とかなにかが 発症するのは 30 40年先」って
俺はその頃 死んでっからかまわねぇ
孫は保育園に行く時 必ずここに来て 牛を一回りしてー
それから保育園に行く
それが日課になってた
牛が好きで好きで
もう忘れたいくらいだ
私と女房で 牛の世話を やってた ずっと
牛乳も 搾んないと 牛が乳房炎になっちゃう
搾っては 畑に持っていき 捨て その繰り返しを ずっとやってた
これは牛の全部番号 1番から振ったもの
牛の個体ナンバー
この赤いのが 1番最後に残ったやつ
この黒いのは うちの息子が 屠畜に出す牛の順番を決めた(時の印)
というのは 悪い牛から 屠畜に出していった
やっぱり我々は 処分をせざるを得なかった
みんな牛というと 同じに考えちゃう
ところが全く違う 全く違うわけ
1番いい思い出...
あんまりないな もう
全部死んだ
まだ少し 匂いするな
地獄だって 片方では死んでんだぞ
その牛をまたいで 動いてる牛もいた
そしたら牛は みんな餓死よ 餓死
あの時あそこに 犬がいたわけ 犬
犬に餌やってるうち 牛小屋見たら バタバタ死んでたけどー
まだ親子で生きてた牛がいたわけ
どっちもガリガリだった
水も餌も1ヵ月も 食ってなかった
子牛はオッパイ吸いたくて 親のとこに行くんだよな
オッパイまでもう少しって時に 親は出ねえのわかってるからー
蹴るんだわ 子牛を
それでも欲しくてまた行くわけよ でまた 蹴られるわけよ
でも3回蹴られると 子牛も もう行ってもダメだと
そしたら なに考えたか知らんけど 牛小屋の角にロープが下がってた
ロープが下がってるその下が もう乳首に見えたんべなあ
そこ行って ちょこちょこって 吸ってた
それ見たら もう見てらんなかった
それから何日後かに 両方 死んじゃった
なんぼでもあった この中で 全部助けることなんか できなかった
もうできることなら 早く死んでくれ だったな
回復するような牛じゃなかった 生きてるのが不思議なくらいなのばかり
子どもにとって ここは 自然はすごいわけよ
川もある 海もある 山もある 海の魚 川の魚 山の山菜とか
どこに行っても 食うものがあるわけよ
それが楽しみでもあるわけ
それが全て 失われた
これは何年後に 回復すんだかわからない
富岡で死ぬしかねえべ これ
死ぬつったって 30年後だぞ
まだまだ元気だっぺよ
俺は 死なねえって
なかなか殺しにくい感じだよね