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彼の音楽スタイル
エネルギー
自分が飛んでるのかと思った
踊りに行ったら楽しみたい
そして誰もが…
拳を上げる
ダンスミュージックは俺の人生だ
俺にとってのすべてだ
これは現代の音楽
新しいダンスミュージック
最初に感じるものさ
ダンスミュージックはすばらしい
ラップもヒップホップもハウスも全部同じ
情熱がある
ドアが開きます
左です
このトラックは 休暇中に作ったものだよ
今夜 初めて披露する
大好きな街だから ワクワクしてるよ
グラスゴーの人たちとは 特別なつながりを感じる
それと このツアーは 別の観点でとても重要なんだ
初めての本格的な イギリスツアーだからね
もちろん今まで何度も イギリスでやった
でも今回は 俺がヘッドラインのコンサートだ
だから特別なんだ
このトラックの名前は?
まだ決定ではないけど “マイダス・タッチ”だ
でも大抵 最初は適当な 名前をつけて後から変えるんだ
ほとんどのトラックはーー
“ブダペスト”“ロンドン”とか
実際に作業した 街の名前になってる事が多い
ツアー1日目 サウンドチェック
どうだ? 準備はいいか?
ツアー・マネージャー アラン・グリーン
俺はいつも準備万端だ
ハウス・ミュージックが 生まれた背景はこうだ
ある時期 ディスコレコードが スタジアムで燃やされた
それは音楽的というより 人種差別的な行動だったんだ
ブラック音楽を燃やしたんだ
すると古いディスコレコードを 持ち出してーー
かけるヤツらが現れだした
B面曲ばかりをね
それでオリジナルの ディスコアルバムを作ったんだ
貧しい黒人の子供たちがーー
電子楽器を発見した
そして奇妙な音楽を 作り出した
暗くて最小限の音だけなんだ
一つの曲を 鳴らし続けるために
ドラムの音をプログラムして
そこにレコード音を サンプリングして ループさせた
それがハウス・ミュージックの始まりさ
ディスコ音楽を再利用して 新しいものを作った
ここグラスゴーだけのルールがある
盛り上がるとーー
みんな声を揃えて “みんな行くぜ”って言うんだ
最初は何が起きたのか 分からなかった
なまりで言葉も 聞きとれなかったしね
後になって知った
今夜ーー
“みんな行くぜ”が 聞こえたら成功だ
デヴィッド・ゲッタは 通訳してるんだ
ハウスとかダンス音楽を 知らない人にーー
聴き方を教えてるんだ
彼は認知を広げた
ダンス音楽のね
音楽への 愛と情熱だと思う
クリス・ウィリス
落ち込んでるときでも クラブに行ってーー
音楽に身をゆだねれば 元気になれる
これは今日 仕上がったばかり
聴くのは君たちが初めてだ
約束しよう
リリースする際にはーー
タイトルをこうしよう
“グラスゴー”
ダンス音楽は90年代前半ーー
ジョシュ・ウィンク
でも魔女狩りに遭って すぐに潰されたんだ
電子音楽は広まらず消えた
その後ーー
シカゴやNYのハウス デトロイトのテクノのヤツらが
認められる地へ旅立った
最初 注目したのは イギリスだった
DJの追っかけなんかが イギリスで爆発した
盛り上がった
新しいビート よかったな
最後にかけたヤツだよ
名前はグラスゴーだ
約束しちゃった
決まっちゃったよ
最初のころは まったく違った
今と比べると 色々な点でね
キャロライン・プロセロ マネージャー
常にAからBに動いている
ホテルで寝て起きて すぐに別の街に移動する
違うところは 昔は タダで音楽をやってたこと
内容だけが重要だった
誰の曲をかけるか?
デヴィッドが一緒にやりたい DJは?
でも今回は彼が主役なの
イギリス ロンドン
お願いがあるんだけど
エイコンにヴォーカルを 頼んでほしい
まったくウソみたいだよ
全部が同じに聴こえる
あなたが始めたんだよ
信じられない
2年連続グラミー賞受賞 世界一のDJーー
デヴィッド・ゲッタさんです
お忙しい中 よくいらしてくれました
来れてうれしいよ
笑ってるけど いい事でもあった?
iTunes のチャートを見たんだ だからとてもご機嫌さ
1位でしたね
そう
世界中で1位だ
いくつか2位の国もあったけど
俺たちの音楽のジャンルはーー
ヒップホップでも ロックでもポップでもない
リミックスであって 音楽じゃないとみなされてきた
長い間 俺達は業界の 異端児扱いだった
でも今やダンス・アルバムさえ 出せば大ヒットだ
インターネットだけでなく どこでも流れてる
ミックスしたものが こんなにビッグになるなんて
今夜は ブリクストン・アカデミーだ
とても緊張してるよ 胸がドキドキしてる
経験を重ねると自信がついて 緊張しなくなるものだけど
毎回 新しいことをするからーー
17歳のときの 初ライヴみたいにビビってる
今まさにそんな気分
デヴィッド・ゲッタ 5月6日&7日 ソールドアウト
ハウスとの出会いは ゲイクラブだった
俺はゲイじゃないけど そこで働いてた
どうしてもDJになりたかったんだ
まるでドラッグだった
まずはアメリカのゲイクラブで 流行ってるものを研究した
そしてイギリスも
1987年だったかな
シカゴやNYのブラック ゲイクラブを調査して
ファーリー・ジャックマスター ファンクを知った
頭がぶっ飛んだよ
それでクラブのオーナーに 言ったんだ
“この音楽は世界を変える”ってね
アシッド・ハウスだ
最高だぜ
世界一のDJだ
クリス・ウィリスに 聞いてほしいんだ
俺のセットに出るのか 自分だけのセットなのか
本人だ
どうしたい?
君のセットに出るよ
2001年 クリス・ウィリスとの 出会いが俺の人生を変えた
彼はゴスペル歌手だった
ダンス音楽とは まったく無縁の男だった
俺は彼にハウスを 教えてやった
でも彼は“こんな音楽を やったら地獄に落ちる”と
俺はこう言ってやった “教会と同じだ”
“違う種類の人に 説教するだけだ”
引き金になったのは “Love Don't Let Me Go”
とても80年代っぽい トラックだ
のちにジ・エッグによって ハイブリッド版が制作された
それがイギリスで大ヒットし 門戸を開けたと思う
この手の音楽の中心は イギリスだ
だからイギリスで 成功しないことにはーー
何も始まらない
デヴィッドは ぽっと出の 一発屋タイプのDJではない
まったく違う
デヴィッドとキャシーは 長年 やってきた
私たちの パッションはーー
キャシー・ゲッタ
デヴィッドがある日突然こう言ったの “俺たちのクラブを作ろう”
“パーティができるような 場所を探してくれ”って
私はとても不安だった 彼は私の手をとって
“ダメならまた考えればいい”
よく働いたわ
彼のパリでの パーティは最高だった
みんな参加したがった
彼は最先端の試みを 色々していた
マーティン・ソルベグ
DJピエールとか リトル・ルイ・ヴェガ
デヴィッド・モラレス フランキー・ナックルズ
客にとってはプレゼントさ
最高の音楽が聴けるんだ
俺にとっても貴重な経験だった
彼らの技術を学べたからね
ハウスを聴くまで 音楽はよく分からなかった
シャラム
すべてを忘れて ダンスフロア―でーー
拳を上げると 世界を征服した気分になる
これは“One Love”の 最初のシングルだ
“When Love Takes Over”の インストをかけていたらーー
ある女の子が 俺に話しかけてきた
“いい曲ね”ってね
そして“歌を つければいいのに”と
新しいヴァージョン 気に入るかな?
すごくいいじゃない!
最初に彼に会ったとき 同じにおいを感じた
2人とも普通と違うもの はじけるものを求めてた
ソウルとハウスの コンビネーションはーー
何とも言えない心に響く音楽だ
パーティで 泣いてしまうくらいね
色んな世界を混ぜたら_x000D_ すごいものができた
初めてケリーが歌うのを 聴いたとき…
彼女にとって 初めての経験だった
あれはハウスの歴史を 大きく変えた瞬間だったと思う
グラミー賞は デヴィッド・ゲッタに!
“When Love Takes Over”
俺がデヴィッド・ゲッタだ!
どうしよう 少し落ち着かないと
DJやダンス文化が ようやくーー
アメリカで認められた
みんな愛してる 最高の日だぜ
俺はレコードショップに 毎日 通ってたけどーー
買えなかった
それから機材が 触れるところにもよく行った
当時はターンテーブルが 流行ってた
そんなもの買えなかったから 触りに行ったんだ
1時間ぐらいずっと いじっていたよ
パリでDJするのは ほかの街とは違う
知り合いがたくさん来るから_x000D_ とても緊張する
説明は難しいな
8万人もの人の前で やるからじゃない
パリならクラブでも緊張する
何でなのか分からない バカげてるよね
でも仕方ない
地元のパリでは 知られていた
知られてるって言ってもーー
色んなクラブの オーナーにだけど
音楽がいいクラブには 人が集まる
でもDJが誰かなんて 誰も気にとめない
俺たちだって音楽をかけて お金がもらえればよかった
彼のスタイルは ソウルよりエレクトロ系だ
エイコン
このムーヴメントを 引っ張る適役だよ
だから俺たちと 一緒にやるのは自然な流れだった
新しい音楽を作るぞ
何だっけ?
ダンス? アーバン?
ムーヴ音楽だ
ムーヴ音楽か!
そして“Sexy ***”を作った
別世界に吹っ飛んだ
“Sexy ***”によって 新たな道が開けた
ヒップホップとエレクトロを 合わせるとーー
別の音楽になることが 証明されたんだ
ゲイクラブで ハウスをかけ始めた
ある夜 ユニティと名付けてーー
ヒップホップとハウスを ミックスしてみた
当時としては 考えられない試みだった
ヒップホップとゲイなんて 接点ないからね
それがハウス音楽の 始まりだった
以来 ずっとやってる
ハウス ポップ エレクトロなど 進化系の音楽はーー
どれも斬新だと思う
ハウスは爆発してるだけじゃない 乗っ取ってる感じだ
ハウス ファンキー エレクトロの ビートを聴くとーー
踊りたい衝動に かられるんだ
ダンス音楽はエネルギーや 興奮や愛がたくさんあるからーー
日常をすべて忘れて 音楽の中で自分を見失うのよ
‘WHERE THEM GIRLS AT’ プロモーション・ビデオ撮影
俺はカメラは 苦手だ
役者の素質はない
本当に…
スタジオやステージだと 落ち着けるのに
撮影になると硬くなる
情けないヤツになっちまう
デヴィッド・ゲッタの 新しいシングル
“Where Them Girls At” お楽しみください
カメラ用意
再生して
イギリスではダンス音楽は 昔からチャートを席巻していた
重要なのはアメリカで 成功することだった
どれを聴いても同じに聴こえた 聴き飽きてたよ
ハードコア R&Bから ヒップホップ 808クラップ
オートチューン ダンスウェーヴと発展した
その中の楽器音は デヴィッドが作っていた
デヴィッドは俺たちの音楽を 一般の人に浸透させてくれた
みんなの音楽にした
ハウスDJを 主役に持ち上げたんだ
彼は誰もが興奮する音楽を 作りたいと言ってた
それでヒップホップを 取り入れた
俺たちには そんなこと絶対にできない
デヴィッドは DJ全員に貢献した
彼のおかげで 色んなフェスが開催されたし
一般の人に 知られるようになった
俺たちが“ビッグビート”で やったのは
2つの種類の音楽を ミックスしてーー
商業化したんだ
デヴィッドは それをアメリカのR&B界でやり遂げた
彼は流行を感じる耳を持ってる
それからクロスオーバーにも 長けてる
フランス人なのに 大したもんだ
準備を
カメラ用意
俺は“架け橋”となりたかったんだ
ヨーロッパとアメリカのね
それからエレクトロと アーバンの
そして白人と黒人の橋
当時は黒人音楽を流す アーバンラジオとーー
白人音楽を流す ポップラジオがあった
完全に区別されていたんだ
妻は俺とは正反対だ
俺はどちらかと言うとーー
頭の中で考えることが多い
パソコンでビートを作ってれば 幸せなんだ
彼女はアートや ファッションに興味がある
だから助かってるよ
例えば俺のファッションは 彼女が決めてる
それからマヌケ面をしてると 注意してくれる
“口は閉じて”とかね
センスがあるんだ
ファッションショーにも よく行ってるしね
俺が家でビートを作ってる間に
俺の夢はクラブの 専属DJになることだった
でもそれを達成すると 今度は別の夢が生まれる
永遠に満足することはない
だから俺はいつも がんばって仕事をする
でもあまり 楽しむ時間はなかった
デヴィッド・ゲッタのサウンドは ドープさ こんな音さ
テクノとポップの影響も 受けているけどーー
大部分はハウスだね
アンダーグラウンド風のドラム
ヨーロッパのビートと アメリカンなコーラス
彼は後ろでひとつひとつの 音を聴いてーー
組み合わせることによって ヒットの方程式がわかってるんだ
“I Gotta Feeling”が 俺の人生を変えた
ブラック・アイド・ピーズの 人生もね
それからーー
ポップ音楽さえをも
友人に“Love is Gone”のプロデューサーを 知ってるかって尋ねたんだ
すごく気に入ったから
すぐに電話した
“ブラック・アイド・ピーズの ウィリアムだけどーー”
“君とコラボしたい”
そしたら彼は“前にパシャに 来て歌ってくれたよね”
“覚えてる?”って言うんだ
俺は“あのときの?”ってびっくりして
“そう 実は既に一度 コラボしてるんだ”って
じゃー“トラックを送ってくれ”と お願いして
送ってくれたのが “I Gotta Feeling”さ
彼は初めてポップ界に ダンス音楽を持って来たDJ
そしてウィル・アイ・アムは ポップをダンス音楽に
その2人がダンス音楽と ポップを融合した
彼との楽曲を仕上げるために LAに行った
震えが止まらなかった
普段はホームスタジオか PCでミックスをするのに慣れていたから
ブラック・アイド・ピーズと 一流スタジオでなんて
色んな人があいさつに来たよ
P・ディディとかバスタ・ ライムス クリス・ブラウン
一日のうちにだぜ 鳥肌ものだったよ
さすがアメリカだ!
あの曲は聴く人たちに対し 橋渡しの役割をした
まったく共通点のない 生活をしている人たちをーー
この曲で結びつけたんだ
進化だよ
ジャンルに固執せず クロスオーバーが大切だ
すばらしい人たちが 集まればすごいものが生まれる
そこから始まる
色んなアーティストが 手を組んでヒットを飛ばしてる
どんどんレベルが上がってる
朝 どこにいるのか 分からないことがある
どこにいても同じだから
俺は寝室でビートを作るだけ
そしてフェスや ライヴの会場でーー
DJをして観客と一緒に楽しむ
みんなで盛り上がる
一晩限り 頭をからっぽにするんだ
現実生活の苦しさを忘れてね
デヴィッドの原動力は 音楽と友達と家族ーー
そして過去への愛だと思う
支えてくれた人をーー
とても大事にしている
それが原動力だ
人が求めているものを 嗅ぎつける
彼はそれができるから いいDJなんだ
客はDJではなく ライヴを楽しみに来ている
だからどんなショーにするか 考えるようになった
DJが隅で音楽を かけるんじゃない
客はDJを見て ショーを楽しむんだ
俺がみんなに 味わってもらいたいのは
人とのつながりだ
両親の時代も ロックコンサートに行ったりーー
DJを楽しんだ
でも当時のDJはクラブの 従業員だった
ハウス音楽の発信地は シカゴとNYだ
だから子供のころーー
このDJはNYで 活躍していると聞くと
NYで一番だとかね
それはすごいと思ってた
彼はオールドスクールなDJさ
クラブが大好きなんだ
客と一緒に熱狂的に盛り上がる
拳を上げてマイクで 客に向かって叫ぶ
俺たちにはそんなことできない
客の方もお断りだと思う
DJの途中で突然 指を 2本 立てて腕を上げたの
すると音がどんどん 大きくなって
自分が飛んでるのかと思った
そんな錯覚にさせるのよ
パーティだ
最高のDJよ
インターナショナルだ
最近のDJは プロデューサーから始めてーー
成功するとツアーに出る
昔はそうじゃなかった
俺は始めからDJだった
でも音楽が 大好きだったからーー
編集してオリジナルの レコードを作るようになった
うまく はまらないときは ビートを足していった
それがリミックスになったんだ
ほんの10年前だよ
俺は14歳のときから DJをしてた
だからミックスの経験は とても長い
演奏はしてないけどね
トゥモローランド
トゥモローランド・フェスティバル ベルギー
世界一 デヴィッド・ゲッタ
狂ったヴァイヴを感じるかい?
すごいぞ
彼は自分自身で 道を開いてきた
最初はクラブでタダで DJをやらせてもらっていた
でも客から人気が出て 徐々にクラブ側もギャラを払うように
そうやって少しずつ 地位を築いた
彼の強い意志と勤勉さ そして音楽の才能の賜物だ
初めてアーティストの 収録をする
タイオ・クルーズだ
よく来たな ありがとう
一緒にヒットを飛ばそうぜ
任せておけ
FLY ME I'M FAMOUS! パリからイビサへ
ここだけの話ーー
すごい疲れてる
ライヴが3つとインタビュー もう最悪だよ
それが心の声だ
みんな パーティへようこそ
タイオ・クルーズも搭乗してる
ニュースがある
俺のセカンドシングルは タイオ・クルーズとリュダクリスとのコラボだ
この飛行機の中で ナマで初披露する
みんないいか?
初めてイビサに行ったのは 16年くらい前だった
お客さんに言われたの “イビサに行け”って
“クラブが好きなら 行かなきゃダメだ”って
それでデヴィッドと 遊びに行った
イビサに着いたら 一晩で全てのクラブを回ったわ
スペースにプリヴァレッジ アムネジアやパシャ
クリスマス時の子供みたいに ウキウキした
最高だった
初めてイビサに行ったのは ヴァケーションでだった
そのとき…
神の啓示を受けた
DJはデヴィッド・モラレス
ジャミロクワイのリミックス
どこに行ってもパーティで 音楽もカッコよかった
最高だったよ
ハウスの流行はイビサと イギリスを行ったり来たり
みんな巡礼者のように 島に集まって来てたよ
パーティするためにね
陸上選手なら世界選手権 サッカーならワールドカップ
ハウスの最高峰は イビサなんだ
客とのつながりが とても大切だ
そのためにはセットも変える
客のノリが悪ければ 曲調やテンポを全部 変える
それくらいユニークなんだ
何か食べてくる
最高だぜ
よかった
無料のパーティなんて 久しぶりだ
でも最高だ
F*** ME I'M FAMOUS オープニング クラブ・パシャ
“F*** Me I'm Famous”を 始めたのは2000年のこと
最初はとても小さな チームだった
デヴィッドと私の兄 親友と私だけだったの
多くても6人くらいよ
妊娠してたときでさえ イビサのビーチでーー
チラシを配ってたわ
デヴィッドも働き詰めだった
でもそんなこと誰も知らない
キャシーは…
とても強い人だよ
イビサから 一緒に帰ったことがあった
パリ到着は夜の11時
彼女は“仕事しなきゃ”と
空港から直接クラブに行った
彼女は石でできてるんじゃ ないかと思ったよ
ここは私が一番 好きな場所よ
デヴィッドと私は いいコンビなの
デヴィッドは音楽のことしか 考えてない
私は装飾とかダンサーとか パフォーマンスが好き
だから補い合える
いいショーにしましょうね
元気?
起きたばかりみたいね
髪が乱れてる
しまった!
出会ったときは まだ子供だった
一緒に育ったみたいなものだ
このホテルの部屋より 小さな部屋で同棲した
金がなかった
ふたりで世界と戦った
本当に彼女は 戦友みたいな感じだ
一緒に戦争に行くと 特別な関係が生まれるだろ?
いいときも悪いときも知ってる
ときには一緒に泣いたわ
すべてを分かち合ってきたの
運転してるとデヴィッドと奥さんの ポスターが貼ってあった
すごくホットだ
写真撮影 ロサンゼルス
キャシーの存在は大きいと思う
そこがいいんだ
最初はスペースという200人位の 小さなクラブでのパーティだった
10年経った今では人気を得て チケットは売り切れ
とてもうれしいわ
寝起きなのが バレバレだと言われたよ
45分 仮眠しただけなのに こんな頭になった
何度か一緒にやったけど 一番 よかったのはブライトンビーチだ
雨の降る元旦だった 寒さで震えてたよ
彼は早めに切り上げた
俺が“なぜ早く切り上げた?” と聞くと
“機材が使えなくて”
雨で漏電して全部 イカれた
彼は30分間 CD-J 1台と トークでつなげてたんだ
一年で一番 すばらしい日だ
イビサ シーズンの幕開けだ
世界中のパーティ好きが 集まってーー
今夜 一緒に爆発するぞ!
“F*** Me I'm Famous!”
その場にいると何かがある
“F*** Me I'm Famous!”の パーティにいるとね
彼がDJをすると 別世界に入ってしまうの
そのうち 彼のための ジャンルが生まれると思う
“ゲッタハウス”みたいなね
彼は人を幸せにする
俺もつい笑顔に
ある日 両親が 学校に呼び出された
算数の成績が悪かったから
俺は“関係ないよ DJになるから”
“算数ができなくても 困らない”
先生は“それは何?”
説明したんだ
“B面曲とか アカペラ曲を使ってーー”
“リミックスして ループを作るんだ”って
先生は“それでは食べては いけないでしょ?”と
音楽好きが集まってくる
イビサ・オープニング記者会見
DJにとってのパラダイスだ
アルバムはいつ発売ですか
たまには ルーツに戻る必要が あると思ってるんだ
ニュー・アルバムはーー
2枚組になる予定なんだ
エレクトロニックなアルバムを 制作するにはーー
エネルギーが必要だ
商業的な観点で 作るものではない
個人的な視点や 芸術的センスが必要なんだ
バランスが大切さ
商業的なのか反社会的なのか 取り沙汰される
デヴィッドは両方を うまく使い分けてる
彼はポップスターであり 一流のDJでもある
だからライバルを 寄せ付けないんだ
彼は誰にも負けない 腕を持っている
俺は選ぶのが嫌いだ
音楽を愛してる
アングラでもいい音楽はあるし メジャーでもある
最高の音楽を作るには ジャンルに拘ってはいけない
‘LITTLE BAD GIRL’ プロモーション・ビデオ撮影
再生して
ハウスミュージックの 大きな変化と言えばーー
シドニー・サムソン
ヒップホップとの コラボだ
ハウスは新しいヒップホップだ
ヒップホップが歩み寄ってきた
俺のところにも コラボの依頼の電話が来るよ
夢がかなったみたいだ
普通のフランス人が 突然 ビッグになった
世界のスターが コピーするほどね
マドンナやリアーナともコラボもした
驚きだね
すごいよ
この新しい波に誰もが 乗りたいって思ってるんだ
“Little Bad Girl”は いい例だ
特殊なことをやろうと思った
セカンド・ヴァースに ラッパーを起用するとか
そしてそのヴァースを 間奏の内側に入れてしまうなど
普通やらない構造にしたんだ
リスクはあるけど ワクワクする
最大のモチベーションは情熱だ
情熱がなければ こんなに働けない
仕事とは思ってない
金なんてもらえなくても 寝てるときまで考えてる
破産したってやると思うよ
それが強みだ 好きでやってる
だからできる限りのことをするんだ
ジャン=ギーと話しててーー
10代のころのことを思い出した
大物のロックバンドがーー
コンサートにヘリで やってきたんだ
感激したよ
ヘリからステージに降りたんだ
今から俺がそれをする クレイジーだ
エレクトリック・デイジー カーニバル
彼は大陸や国 街を 股にかけて旅をしてるが
やることは まったくぶれない
そして常にパワフルだ
疲れ知らずなんだ
彼の音楽 エネルギー クラブでの存在感
世界に通用する音
気持ちのいい音楽だ 誰もが拳を上げたくなる
デヴィッド・ゲッタが 君たちとパーティするぜ
準備できてるなら みんな 手を挙げて
デヴィッドは客の心を 掴むのがとてもうまい
ミュージカルっぽく 芸術的な方法でね
客はみんな虜になる
どんなつらいときでも 音楽を聴くとーー
気分が盛り上がる
彼は彼の分野でトップ 俺もナンバーワン
これはチャンスだ
一緒にやるしかない
俺の声を電子音に乗せた
“世界中で ナンバーワンになる”
彼が自信を持って言った
俺は普段プロデューサーとは そのような会話をしない
でも彼は俺に言ったんだ “絶対にヒットする”と
実際 世界中どこでも トップ5に入ってた
彼は正しかった
さっきまで8万人の前にいて 今の気分は?
違和感はない?
言いたいことは分かる
空虚感がないか?
まだ大丈夫 でも部屋に戻ると寂しくなる
たまに とてもつらいよ
デヴィッド・ゲッタの登場だ!
デヴィッド・ゲッタの登場だ!
昔 ヒップホップから ハウスに入った
今はハウスとヒップホップは くっついた
同じ円の中に入った
進化したり戻ったりしながら
段々 複雑な音になっていく
新しいものが付帯する
そこがおもしろいところだ
次世代のヒップホップが 誕生する
ダブステップとエレクトロ クランク・ビートをミックスして
まったく新しい ヒップホップが生まれる
フレイヴァー・フレイヴは べガスに住んでるんだ
あのパブリック・エナミーのね
すごく感激だったよ
俺のアルバムは こうやってできるんだ
エイコンもフェスで 偶然 会った
会ったその夜に “Sexy ***”を作った
ケリー・ローランドも偶然
“When Love Takes Over”の インストをかけたとき クラブにいたんだ
今度はフレイヴァー・フレイヴと 何かやるかも
ハプニングは大好きだ
デヴィッド・ゲッタだ!
心臓が止まるかと思った
2年前 僕はこんなもんだった
今ではEDCで3万か 4万人の前でプレイしてる
たぶんそれくらいだ
デヴィッドは 兄貴のような存在だ
とても親密だ ほとんど毎日 話してるよ
今日のパーティに比べたらあなたの 靴のキラキラなんか目立たないよ
彼の足のサイズでは こんな靴ないから妬いてるんだ
今では俺のファンがいる
とてもうれしいことだよ
新人DJを発掘することもある
すごいヤツがいるとーー
俺はファンになる
そいつが20代でも
マスターズ・アット・ワークを 聴いてたころと同じ
カッコいい!
そんな風に思うんだよ いい音楽は大好きだ
昔から変わらない
うちに泊まったことがあった 小さな家だけどね
僕はまだ駆け出しだから
そのとき僕の大きなベッドに 一緒に寝たんだ
キングサイズだよ
朝の5時にベッドに入りーー
僕は11時に起きた
デヴィッドはすでに働いてた
それで“おはよう!”って 自分でコーヒーも入れてた
コーヒーメーカーがあることさえも 僕は知らなかったくらい
俺にとってのドラッグはーー
人とのつながりだ
俺にとってーー
パーティ好きの客たちは
燃料なんだ
バカなことをたくさんした
今夜のおふざけは いい思い出になる
20年… 22年前からーー
ずっと一緒に 懸命に働いてきた
デヴィッドの夢は DJになることだけだった
パリかフランスのどこかで
私の夢はオシャレなクラブで 働くことだった
世界でたった一つの “F*** Me I'm Famous!”だ
リュダクリスだ
アッシャーだ アフロジャックだ デヴィッド・ゲッタだ!
俺たちが一緒に 作ってる音楽をーー
彼はハウス 俺は“革命”と呼んでる
ソウルとハウスが うまく溶け合ったときの音楽
それが俺たちの音楽だ
フレデリック・レステレ
俺はいつも走り回ってる
でもそれが好きなんだ
まだまだ学ぶことは たくさんある
やらなければいけないことも
今みたいな生活 想像できなかった
まさに奇跡が起きたの ミラクルよ
本当にミラクル… ごめんなさい
今日 俺がしていることはーー
DJを始めたときと同じ
目標のレベルに達した
でも彼はさらに上を目指してる 伝説になるためにね
彼がしたことはーー
多くの先人たちを 見習ったんだ
彼は認知を広げた
ダンス音楽のね
彼は まだまだやるぜ
思ってもみなかった
俺がこんな風になるなんて
それよりDJ自体 こうなるとはね
すごいことなんだ
俺自身じゃなく 文化が変わったんだ
DJの地位を変えた
俺が始めたころなんて…
ジョルジオ・トゥインフォルと フレデリック・レステレに感謝します